13
「おかえり、凪」
当然のように出迎えた夕也は首にネックウォーマーを装着していた。寒いのかと聞きかけてから止めた。昨日絞めたんだったと思い出した。
「何か、わかった?」
聞きながら傍を通り過ぎてダイニングに向かう。食卓につくと夕也は正面に座り、持っていたらしい資料を机の上へと置いた。
新聞だった。でも胡桃沢が横流ししてくれたものではなく、紙面に書かれた新聞名に馴染みはない。離れた都道府県の地方新聞だと夕也は説明し、ぱらぱらと捲って後半のページまで飛ばした。
「鈴谷名義の記事だ。前にも俺が一人で調べていた時に見た記事なんだが、お前は見ていないだろうと思ってな」
「ああ……胡桃沢が寄越してくれた新聞しか知らない」
夕也はぱっと顔を上げた。
「あれは胡桃沢のものだったのか?」
「言ってなかったか? あいつのお爺さんが三十年分溜め込んでいたらしい」
「そうか……」
何か言いたそうにされるが、
「それ、貸してくれ」
さっさと遮り卓上の記事を引き寄せる。
内容は至って普通だ。地方都市で開催されたイベントについて綴られており、どのように盛り上がったかという規模感の説明が大部分だった。
文面の最後には鈴谷の名前がライターとして載っていた。枠外へ視線を滑らせ日付を確認すると六年ほど前だった。
「俺が調べていた時はこの記事が最新だった」
夕也は話しながら、無意識のようにネックウォーマーをさする。
「当時に本人にも会おうと探していたんだが、それは上手くいかなかった」
「新聞社にでも問い合わせたのか?」
「ああ。海外に行ったと言われた。念の為探偵にも依頼してみたが、本当に渡航したようでな、流石に足取りを掴めなかった」
「そうか……」
「でも、一度国際電話はした」
え、とつい声に出す。夕也はおれを見てから過去を探るように視線を流した。
「火事のことを話した。鈴谷は懐かしいと言っていた、病院には立ち入り禁止になったが、どうにかあの火事の記事を書けたことは誇りだ、という雰囲気の話し方だったな。……その、六年前の記事は地方新聞だろう。ライター業があまり上手くいかなかったらしい」
鈴谷の身の上はどうでもいい。そう伝える前に、夕也の目がこちらを向いた。
「俺の想像通り、目を覚ましたお前に火事の話を聞きたかったみたいだ。記者魂とでも呼ぶのかもしれないが、あの人はあの人で放火犯を探していたとは話した。実際に書いた憶測のような記事ではなく、ちゃんとしたスクープとして書きたかったんだろうな」
「それは……どうだったんだ?」
「俺と同じだ。頓挫した」
夕也は切り替えるように首を緩く振ってから、ネットニュースのコピーを一番上へと持ってきた。
「前提が長くなった。本題だが、探し回った結果、鈴谷はどうも帰国しているみたいだ。半年前のマイナーなニュースサイトに載っていた記事だが、海外から書いたにしては国内の情報に詳しいし、サイト側が海外にいるライターにわざわざ頼む道理もない。探せばすぐに会えると思うが、どうする、凪」
しばらく黙った。今までの夕也の話を鵜呑みにするのであれば、鈴谷に会うメリットはほとんどないように思った。何せおれが鈴谷を気にしたのは蒼姉さんの言った情報が元で、正体のわからない見舞い客は記事を書きたい記者だったということでそれ以上はない。でもなぜか、会った方がいいと感じた。自分の目で見た方がいい、鈴谷はどの程度放火犯について調べていたのかを改めて聞いた方がいい、そういう理屈を度外視したところで会うべきだと思っていた。
夕也を見る。椅子に正しく座って、じっと待っている。会わないと言っても会うと言っても頷くんだろうなと聞かなくてもわかる顔をしている。
だから先に別のことを聞きたくなった。
「夕也」
「ん?」
「首、痛いか」
夕也の右手が自分の首、喉仏の辺りをすばやく押さえた。痛くない。答えるまでに間があった。その空白の中でおれは昨日の視界を思い出す。
和室だった。物置になった、おれが初めて夕也を殴ったあの和室。毛羽だった古い畳の上でおれは夕也に馬乗りになって、拳を振り上げたけど顔は殴らず喉仏を掌で強く押さえつけた。絞めるというよりは押し付ける、押し潰す、そんな動きになった。体重をかけて力を込めると掌の下で喉仏が動いた。逃れるような動きで、たったそれだけでおれは苛立ってもう片方の手を余ったスペースに押し込んだ。夕也は反射のようにおれの手首を掴んだ。でも抵抗ではなかった。外させようなんてしなかったしこいつはいつも、きっとこれからもそうだった。
透兄さん。おれは燃えた人を呼ぶ。兄さんの親友が弟に首絞められてるって最悪な構図だよねって、本当にごめんって思いながらも、おれは夕也の首を絞め続けたままでいた。
「……どうするんだ、凪」
回想の夕也を目の前の夕也が消した。鈴村に会うのか、止めるのか、お前が決めろ。そう続いたから、おれは会うと言った。夕也はやっぱり頷いただけで、おれの口からは乾いた息が重たく溢れた。
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