12

 終業式だった。ホームルームが終わるなり、どのクラスメイトも賑やかに笑いながら立ち上がった。ランダムに椅子を引く音ががちゃがちゃとうるさい。近くの席にいる女子グループはクリスマス会をする話で盛り上がり、誰の家を会場にするか話し合っていた。

 遊びの相談をするクラスメイトのそばを通り過ぎて廊下に出る。教室内よりも更に騒がしく、冬休みへの喜びがどこからも湧き上がっていた。

 おれもないわけじゃない。やっとまともに、日中も動き回れる。

 邪魔でしかなかった義兄が協力的になったから余計にだ。

「おーい、凪ー!」

 立ち止まらないまま振り向くと、案の定胡桃沢だった。隣にさっと並びに来て、冬休みだなー、と特に感慨もなさそうに言ってから、おれの背中を掌で叩いた。

「夕也お兄さんが協力してくれるってマジ?」

 前からの協力者はにやにやしながらおれを見上げた。完全に面白がっている表情だ、ついいつものような溜め息が出る。

「……本当だって、メッセージでも送っただろ」

「まあそうなんだけどさー、ほら私が行ったときはなんか挙動不審で変だったじゃん。殴るとこも見せてくれねえし」

「それは……誰にでも見せるようなもんじゃないからだと思う」

「殴られたがってる変態の癖に体裁気にするとか意味不明!」

 明るい笑顔で無茶苦茶なことを言う姿を横目に靴を履き替えた。下駄箱は混み合って雑然としており、スクランブル交差点というのはこんな感じだろうかと、特に意味もなく考える。

 帰宅する生徒や部活に向かう生徒に紛れて、昇降口から外へ出た。胡桃沢は夕也についてまだ何かしら言っているが、ふと思い付いたような顔をした。

「凪さ、私の渡した新聞記事の特集みたいなやつ、他の新聞やら雑誌にもないか調べてみた?」

 頷きつつ裏門を抜ける。調べるには調べたがおれじゃなく夕也がやったと正直に話すと、大きな声で笑われた。

「笑うな、こっちから頼む前に終わってたんだよ」

「そうなの? お兄さん本気で協力的じゃん、良かったな」

「いや……あいつはあいつで、個人的に放火を調べてた時期がある……らしい」

 胡桃沢はきょとんとしてから、そりゃそうか、と納得した。

 おれも先日聞いたばかりだが、胡桃沢同様にそれはそうだなと腑に落ちた。俺にとっては家族のほとんどが燃え去った事件だが、夕也にとっては親友と呼べる相手が死んでしまった事件だ。おれたちは喪失感自体は似ている、夕也が火事を調べる気持ちは嫌になるくらいにわかる。ろくに手がかりがなく諦めたのだと言った横顔は沈んで暗かった。本気で探していたのだと感じた。

 だからこそ、ずっと気味悪さがある。突然協力的になった理由が不明なままなのに、その上あいつは……。

 学生鞄の持ち手を強く握り締める。浮き上がった関節は以前よりも不格好だ。殴りダコとか拳ダコと呼ぶのだと、唇から垂れた血を拭いながら夕也が話した。あんまり出来るようなら別のやり方がいいんじゃないか、目立つしお前も痛いだろう。そう淡々と話す夕也はまったくの無表情だった。

「……なあ、胡桃沢」

「うん?」

「おれに殴られたくなること、あるか?」

「はあ!? ねえよバカ!」

 だよな、と同意しつつ手に込めた力を意識して緩める。

 胡桃沢は眉を寄せていたが、駅についたところで顔を上げ、おまえじゃないなら有り得なくはないかも、と言い出した。

「誰かに殴られたいことがあるのか?」

「うーん、違うといえば違うけど……」

 胡桃沢は錆びかけた線路の先へと視線を投げる。

「今は恋人とかいないけどさ、そりゃあもうめちゃくちゃ好きな相手が出来たとしたら、何されてもいい! って気分になる可能性がなきにしもあらず、みたいな」

「……、ひどい扱いを受けても良いって?」

「実際されたら何すんだテメー! になるとは思うけどなー。それに、逆はよくあるんじゃない?」

「逆?」

「うん。何されてもいい! に対しての、何でもしてあげたい! が、けっこうそこら中に溢れてるじゃん? いわゆる尽くすタイプってやつ」

 そう遠くない場所で踏み切りが鳴る。胡桃沢は線路の先を見つめたままで口を閉ざした。視線の方向には灯火のような車体がぽつりと浮かんでいて、そう時間が経たないうちに規則的な車輪の音が甲高い踏み切りに混じって聞こえてきた。

 何をされてもいい。何でもしてあげたい。どちらを当て嵌めたとしても更にわからなくなるだけで、そもそも当て嵌めてしまえば前提がおかしくなる。

 夕也は透兄さんの代わり、兄という立ち位置になりたいのだとずっと思っていた。

 でもそうじゃないのなら。もしも逆であるのなら。

「おれが、透兄さんの代わりだとしたら……」

 激しい音を立ててブレーキがかけられる。胡桃沢はおれを振り返り見たが、何も言わないまま先に電車の中へと入っていった。

 おれも後に続いた。車内にいる同じ高校の生徒達は、やっぱり浮き足立っている。

 ほんの少しだけ羨ましい。

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