10

 夕也は膝の間で両手を組み、区切るような瞬きをひとつ落とした。

「先に……透の話をしてもいいか」

 いいとも悪いとも言う前に、

「あいつが異様に優秀だったのは、知ってるな?」

 勝手に話し出された。仕方なく首を縦に振ると、懐かしむような顔で頷かれた。

「透は生徒会にも入っていたし、成績はいつも上位だった。俺と透の行っていた高校はテストの点数を張り出したりはしなかったが、通知表に学年順位は書いてあったんだ。透は常に五番以内だったし、塾でもそうだった、らしい。本人に聞いた話だから、本当だとは思う」

「それは……蒼姉さんも、似たようなことを言ってた。透兄さんは他校でも名前を知ってる人がいたのよ、って。思い出補正の、誇張だと、思わなくはなかったけど」

「いや、事実だな」

 なぜ言い切るのか、そしてなぜ透兄さんの話を聞かされているのか。意図がわからなくなって眉を寄せると、夕也は次が本題だと前置きした。

「お前の病室に来ていたのは、その話に興味があったの男なんだよ」

「……どういう意味だ?」

「透がどうやって死んだのか、優秀な生徒だったが兄としてはどうだったのか、知りたがった奴、という意味だ」

 机に置きっぱなしの新聞記事を振り返り見た。一番上にあった放火犯についての考察を拾い上げるおれの背中側で、ぎしりとベッドが鳴った。

 夕也はおれの側まで来た。新聞記事を一瞥してから躊躇いがちに指を伸ばして、ランダムに一枚を引き抜いた。なぜか止めなかった。触るなとか干渉するなと普段なら言っていたが、なんというか、やめた。

 放火犯を見つけるために一番味方にするべきはこいつなんだと理解せざるを得なかった。

「……透についての記事を書きたかったんだろうな」

 夕也は呟くように言う。

「大きな火事だったし、父親と長男が死んで次男は重体で……でも母親は示し合わせたように不在、亡くなった長男は誰に取材しても優秀な人物。ただの憶測だって連ねれば、いくらでも扇状的な記事が書けただろう。凪、入院中のお前はまだ六歳だったのに、ライターらしい男は話を聞きたいから目を覚ました時に連絡をしろと言った。病室にも何回か来た。蒼はおそらく、その時の一回を見たんだと思う。……警察に相談して病院側にも話を通してからは来られないようになったがな」

 ふっと話は途切れた。夕也は持っていた新聞記事を、机の一番上へと丁寧に置いた。家の火事の前にあった、公園での不審火というボヤ程度の記事だ。

 見上げると、いつもと同じ何を考えているのかわからない顔があった。でも多少暗く見えた。おれは引っ掛かることがいくつもあった。

 ほとんど毎日おれの病室に来ていたような口振り、やってきたライターを追い返す苦労、その詳細。

「夕也」

「ん?」

「……お前の言い分だと、お前が入院中のおれに対してやっていたことは……本当は親、生きている母親が、やるようなことじゃないのか」

 聞かない方が良かったとは後から思った。おれを見下ろした目の中が明らかに死んでいた。瞬きの後はいつも通りの冷静な両目に戻ったが、どうしても見逃せない発露だった。

 でもずっと感じていたことでもあった。夕也はふっと視線を外したが、口は開いた。

「その頃にはもう」

 夕也は目を閉じ、重たい息を吐いた。

「俺の父親と、お前の母親は、不貞関係だったから」

 漠然とした疑いに輪郭を持たせる言葉だった。

 入院中の記憶はまばらだ。思い出せることと綺麗さっぱり消えていることがはっきりと分かれている。目を覚ました時に夕也がいたことは覚えている。火傷の痛みで何度も起きたことも、小学校の入学式に間に合わなかったことも、覚えている。

 その思い出のどこかに母親の姿はほとんどない。退院後、ひとまず移り住んだアパートの一室の中で、母親は疲れていたのか無口で、夜はあまり家にいなかった。幼い頃は不安で恋しかったはずだが今はあまり心が動かない。その時からおれではなく義父に、夕也の父親のために時間を使っていたのだろうと聞かされて、虚しくはあっても驚きはない。

 考えればわかるような実態だ。でも深く考えず曖昧にしていた理由はある。

 おれのために忙しく働いているからだと、どうしてもぐずるおれに向かって話したのは、他でもない西蓮寺夕也だ。

 アパートまでおれの様子を見にきていたこいつが吐いた嘘で、それを今更覆しただけの話だ。

「凪、黙っていて悪かった」

 自覚しているらしく謝り始める。首を振ってどうでもいいと捨て置いてから、目を逸らす方が拗れる気がして夕也の横顔を睨み続けた。

 こいつはこんな話をするために、おれの部屋に来たのだろうか。母親の不倫だとか小学校の頃の寂しい記憶よりも、友人の弟というだけの自分をこいつがなぜあそこまで気にかけていたのかというところが一番不気味で、理解できない。

 そう思っていたけど理解できなさはすぐに更新された。

 夕也はおれの方を向き、ゆっくりと息を吸い込んだ。

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