9
「部屋、あまり物を置かないんだな……」
室内を見渡しながら夕也が言った。無意識に握り締めていた拳を意識して開き、扉前に佇む姿を視界に入れる。突っ立っていられても腹が立つからベッドに座れと言い捨てた。夕也は首を曖昧な角度で揺らしつつ、整えてもいない掛け布団ごと踏みつけてベッドに座った。学習机に備え付けの椅子に座るおれとは離れた位置で、その間に横たわる空白はそのままおれたちの無言に重なった。
夕也の視線が机の上を滑った。出したままの新聞記事は隠すつもりもなかったが夕也は何も言わずに視線を足元へ落とした。そしてやっぱり、わざわざやって来たくせに唇を縫い合わせたままだった。
煮え切らない態度にイライラする。やっぱり殴ろうかなと思うが胡桃沢の案を思い出して堪えつつ、出来る限り苛立ちを押し殺してベッドを見た。
「……何の用だよ」
問い掛けに夕也は目だけをおれへと向ける。
「いや……」
「用がないなら、来ないだろ」
「それは、……そうなんだが」
やはり煮え切らない。おれを焚き付けるためにわざとやっているのかと聞きそうになる。でも前提がおかしい、夕也がおれを焚き付けるってことは、いつものような暴力を求めているという話になってくる。
じわりと爪先が冷たくなる。この男が何を考えているのか、普段以上にわからない。
「……凪」
静かに、改まった声色で呼ばれる。無言のまま睨み付けると、夕也はゆっくり姿勢を正した。
殴ってくれと言い出す気がして思わず自分の背筋も伸びたが、続いた言葉はまるで見当違いの予想外だった。
「蒼から、連絡があったんだ」
一瞬止まった。でもすぐに、蒼姉さんの顔を思い出した。最近会ったばかりの、多少疲れた様子だった彼女。そういえば夕也は元気かと聞いてきた。だから連絡をしたのか。なぜそんなことが気になるのか。姉さんはどうしてこいつなんかを心配するんだ。
ぐるぐる考えていると、
「凪に余計な話をしてしまったと言われた」
慎重な声が無造作に割り込んできた。
「余計な、話……?」
「ああ。凪が入院中、見覚えのない男が見舞いに来ていた、という話らしいが……詳細は聞いたのか?」
驚きや混乱で頭が上手く回っていなかったけど、夕也の言いたいことがやっと飲み込めた。
「いや……蒼姉さんには詳しく知らないって言われた」
繋がった思考に任せて素直な言葉を返してしまったと、言い終わってから気が付いた。反応を気にして様子を見るが、夕也は特に何でもない顔で頷いた。
「蒼は中学生だったし、付近に住んでたわけでもないからな。親の送迎がないと、なかなかお前の見舞いには行けなかっただろう」
「……おれも、あんまり記憶にはない時期だから、何とも言えないけど」
「そうだろうな。だからその見舞い客の男については、多分、俺が一番把握している」
「そんなに頻繁に来てたやつなのか?」
「いや。頻繁に行っていたのは俺だ」
口を閉じてしまった。夕也は平然とした顔でベッドに座ったままだった。余裕そうな態度に反射で怒りが込み上げるが、立ち上がって暴力を振るえば聞きたかった話が聞けなくなるかもしれなくてどうにか抑えた。でもこいつから当時の話を素直に聞くのは癪だ。視線を下げて視界からの情報を減らしながら、入院中のことを思い出せないかと記憶を探る。
確かにこいつは何度も来ていたらしいが、おれはほとんど覚えていない。火事の後、初めて目覚めた日に、なぜかこいつがそばにいたことだけは一枚の写真のように脳に焼き付いていて、いつでもふっと思い出せる。おれのベッド脇に座っていた夕也はじっとこちらを見下ろしていた。その光景を過ぎらせると透兄さんの最期の言葉も思い起こされる。
家に火をつけたやつは絶対にいる。
「その見舞い客のことを、知りたいのか?」
落ち着いた問い掛けが耳に届いた。自分の足元を見ていた視線は勝手に上がり、過去の光景も台詞も一旦掻き消えた。夕也は真剣な目でこちらを見つめていた。おれは苛立ち続けてはいるものの、こいつなりに真摯な態度だとわかる理性はあった。
知りたい。火事の、放火犯の手がかりになるようなことなら、何だって知りたい。たとえお前が止めても。勉強に身を入れろとか過去ばかりじゃなく先のことを考えろとか、不確定でわけのわからない未来じゃなくて確定しているのにわからない過去をおれは、探さなければ、気が済まない。
声に出さなかったが、夕也は把握したらしく首を縦に振った。おれは口を閉じたまま、続く言葉を聞き漏らさないよう無意識に息を止めていた。
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