8

 食卓にひとりで座りながらカレーパンを食べていると、二階から夕也が降りてきた。スマートフォンの時計はちょうど午後六時だ。おれのいるダイニングに顔を出し、中をぐるりと見回していた。

「あの女の子は帰ったのか……」

 夕也は話し掛けているのか独り言なのかわからない音量で呟きながらこちらに歩み寄ってくる。

 おれの正面の椅子に座り、カレーパンを見て、

「……恋人を連れて来るなら、先に言っておいてくれ」

 何重にも勘違いしているセリフを吐いた。条件反射で、苛立った。

 でも何とか抑えた。

「あいつは別に、恋人じゃない」

「そうだとしても、家に連れて来るくらいなんだから……仲は良いんだろう? 俺についても、話しているようだったし」

「おれの交友関係に口出しするなよ」

 カレーパンに齧りついて無理矢理に会話を終わらせる。夕也はまだ何かを言いかけたが溜め息だけを吐き、何気ない様子で窓辺へと視線を向けた。本当に無意識なのだろうが、親の不在を確認する素振りだった。

 じっと黙っている横顔を見ながら、胡桃沢の言葉を思い返す。殴られたがってるみたいだな。再生してから打ち消して、それよりも前の会話、名案ではないがおれには思い付かなかった提案を呼び起こす。逆にしたら? 胡桃沢の軽い口調ごと脳裏に浮かべて、考え込んでいる間に眺め続けたせいでふとこちらを向いた夕也とまともに視線が絡み合う。

「凪?」

 目を逸らしてカレーパンを口に詰め込んだ。咀嚼しながら立ち上がり、握りかける拳をどうにか緩める。本当は反射で腹が立っていた、もし本物の恋人を連れて来たとして同じように小言を言われるのかと思うだけで今すぐ殴り付けたくなる。透兄さんじゃなくて夕也が兄貴面で存在しているだけでとにかく憎い。

 でも何もせずに夕也の隣をすり抜けた。ダイニングを出て階段に向かいかけたところで、後ろから肩を掴まれた。

 焦りを滲ませた表情の夕也が、おれを見下ろしていた。

「……何?」

「あ、いや……」

「夕飯ならカレーパンでいい、勉強するからもう部屋に行く」

 言い切ると、夕也はわかったと言いつつ手を離した。その動きには名残りのようなものが垣間見えたが追い掛けずに背を向けた。

 階段を登る間も、背中に視線を感じた。

 夕也とまともに会話をして一度もキレたり殴ったりしないのは、本当に久し振りだった。


 部屋に戻ってからは胡桃沢にもらった新聞の記事を読んだ。あいつの言った通りに、おれの家の火事前後にもいくつかの放火事件があった。しかし一面記事ほどではない。敷地内の倉庫や車庫が燃えた、軒先に置かれていた自転車が燃えた、公園のゴミ箱が燃えたなどと、ちょっとした悪戯の域を越えてはいない。犯罪は犯罪だが全焼したおれの家と比べると、概要やら動機やら、種類自体が違う気にはなる。

「まあ、ただの感想だけどな……」

 自分を諌めるために呟きながら、おれの家についの新聞記事を引っ張り出す。出火原因についての警察の調査はまだ不明とあったから、舌打ちしつつ黄色のファイル、連続放火の特集を組まれている記事を机の上に持ってくる。日付けは火事から三ヶ月ほど経っていた。多少荒いコピーだが、文字は問題なく読み込める。

 連続放火。続けて五件の火事があり、同一犯ではないかと憶測が連ねてある。先程読んだ通りに、一番大きな火事の……おれの兄や体を焼いたあの事件以外はボヤ程度だとこっちでも簡単に触れてある。

 メインの内容はおれの家の話だ。三ヶ月の間に警察の調査はある程度進んでおり、出火場所は家の裏で確定し、翌日に捨てるつもりだった古雑誌が燃えたのだと書かれている。

 もちろん勝手に燃え上がりはしない。誰かが故意に火を付けたのだろうと、記事を書いた記者は告げている。本文の一番最後にはその記者の名前がある。鈴谷博幸。引きずり寄せたノートに名前を書き付けてから、息をついて椅子へと凭れかかる。その後にスマートフォンを覗いてフルネームを検索欄に放り込む。

 何年も前の記事だが、当時の記憶が残っているかもしれない。なら、なんとか本人にコンタクトをとって話せないだろうか。そう思っての行動だった。でも出てくるのは鈴谷の手掛けた記事ばかりで本人の情報はほとんどない。記事自体も取るに足らないゴシップなどが多く、放火犯の考察のような実在事件の取り扱いが多いと勝手に思っていたため肩透かしを食らった。

 記者について掘り下げるのは一旦やめて、やっぱりあいつに、ほかでもない西蓮寺夕也に、おれの入院中のことを聞いてみる方がいいのか。

 嫌気が差してきた。服の上から火傷痕を掻き、舌打ちをつい漏らす。

 その様子を見ていたかのように階段を登ってくる音がした。ふっと向けた視線の先で自室の扉がゆっくり開いた。

「……入ってもいいか?」

 扉の影から夕也の声がした。

 こいつがおれの部屋まで直接やってくるのは、珍しかった。

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