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「へえ? じゃあさっさと夕也おにーさんに聞けばいいじゃん」

 おれの話を聞くなり胡桃沢が軽々しく言った。こいつにとっては結局他人事だからこの調子だ。苛つくが、関係を切るわけにはいかないため我慢する。

 旧校舎の裏は影になっていて人目につきにくい。壁に背中をつけながらあぐらをかいて座り直し、薄い雲の浮かぶ晴れた空を見上げる。風は凍てついており吐く息は白い。

 昼休みはとっくに終わっていて、数分前の騒がしさはもう消えた。時々、運動場から体育の授業の声がする。それ以外は牧歌的なくらい平和だ。

 胡桃沢とはよくこの場所で話をする。見つかりにくいし静かだから嫌いじゃない。隣を見ると目が合った。百円以下で買えるジャムパンを頬張る顔はハムスターのようだ。

「……胡桃沢。お前の方はどうだった? 新聞記事、探してくれたんだろ」

 胡桃沢は頷き、パンを咀嚼しながら鞄の中をごそごそと探る。取り出されたのは何枚も新聞記事が挟まったクリアファイルだった。

「そこそこあったよ、近隣の火事についての記事」

「そうか……ありがとう」

「礼なら体でしてくれよな!」

「わかってるよ、妙な言い回しするな」

 本気で咎めたが、胡桃沢はあははと軽い笑い声を上げる。でもすぐに真剣な顔になって距離を詰めてきた。

「こっちも探しながら記事内容みたけど、確かに十年前はある程度火事が多かった。この町だけね。だから連続放火じゃねえかって旨の特集が別口で組まれててさ、それはこっち」

 鞄からもう一つのファイルが取り出された。わかりやすくしたのか黄色のクリアファイルで、受け取ろうと指を伸ばすがスッと避けられた。

「くれないのか?」

「あげるよん。でもさー、先にお礼ちょうだいよ」

「……何がいるんだ?」

「今日このまま授業サボってさ、お前の家連れて行ってくれよ」

 おれの家。燃え尽きて更地になった、その後買い手のつかない家。

 そう考えていると、違う違う! と大きな声で遮られた。

「夕也兄さんってのはずっと家にいるんだろ? 見てみたいんだよなー、お前がいつも文句言ってるから気になってきた」

「……いる……けど、あいつは確か、お前のこと話すと渋い顔になってたぞ」

「有名なパパ活高校生だからな!」

 胡桃沢は親指を立てる。つい出そうになった溜め息を飲み込んで、見てみたいなら好きにすればいいと立ち上がる。胡桃沢は手を叩いて喜んでから、おれを追いかけて来て隣に並んだ。

 そのまま相談なしで校門を出た。おれたちを見かけた近隣住民がまた高校にクレーム電話を入れるだろうが、いつもの話だからどうでもいい。

 駅に向かって歩きながら昼下がりの気だるさに欠伸を漏らす。眠気ざましに話し掛けようと隣へ視線を向けるが、胡桃沢はニヤニヤしながらすでにこっちを眺めていた。相変わらず趣味の悪い同級生だ。

「お前、おれが夕也のこと嫌がってるの面白がりすぎだろ」

「だって面白いじゃん」

「パパ活よりも?」

「いやいや、そっちはやってないって前にも言ったぜ」

 聞きはしたけどずっと噂が流れているのも事実だ。

「なんで噂されてるんだ?」

「さあ? 放火犯特定が終わったら調べてくれよ」

「面倒、自分でやれ」

「私もめんどくせー、とりあえずはどうでもいいし、多分ただの嫉妬とか妄想とかっしょ」

 そんな会話を無意味にだらだらと続けた。電車を乗り継ぎ辿り着いた西蓮寺家の前で、胡桃沢はわざとらしい歓声を上げた。

「いいとこじゃん、静かそうで」

「家自体は、まあ……暮らしにくくはない」

 うんうんと頷いている胡桃沢を連れて玄関ドアを潜る。おじゃましまーす、と呑気に言いながら続けて入ってきた胡桃沢は上がり框に思い切り引っ掛かった。咄嗟に伸びた手で肩を支えた。

「何してるんだよ、足元見ろ」

「ごめんごめん、思ってたより高かったわ」

 胡桃沢はおれの学生服を掴みながら体勢を戻して今度こそ家の中に入った。その後ろ姿を目で追っていき、止まった。

 廊下の奥から顔を出している夕也と視線が絡まった。

「……お、おかえり、凪」

 何故か動揺されて反射のように腹が立った。胡桃沢は呑気な顔で夕也に挨拶をし、

「思ってたよりイケメンじゃん、凪おまえほんとにこいつ殴りまくってんの?」

 不思議そうにしながら聞いてきた。夕也の普段まったく変わらない表情にじわじわと動揺が広がっていった。

 こいつの顔がまともに変わるなんて珍しい。おれが多少驚いている間に胡桃沢はじろじろと夕也を眺め回していたが、飽きたように振り返った。

「なー、凪」

「なんだよ……」

「こいつ殴ってるとこ見たいなー」

 無邪気に頼まれた。夕也は一瞬肩を揺らした。ファイル欲しいんだろ、ほら早く早く! そう急かしてくる胡桃沢は楽しそうでおれは腹が立ってきたが怒りの矛先はひとつだけしか存在しなかった。

 目を合わせると、夕也は後退った。その反応が珍しくておれは、嗜虐心というやつの生まれ方を理解した。

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