5
スーパーにあるフードコートは意外に空いていた。ファーストフード店で二人分の飲み物を買い、奥の席を選んで座る。後ろからついてきた姉さんは眠った赤ん坊をベビーカーへそっと乗せてから、おれの眼の前に腰を下ろした。一連の動作にはどことなく疲れが滲んでいた。
「久し振りね、凪……」
緩く微笑んだ顔もやっぱり疲れていた。なにか悩みでもあるのかと思わず聞いたが、姉さんは目を瞬かせたあとに眉を下げて首を振った。
「違うのよ、この子……赤ちゃんの夜泣きがひどくて、あんまり眠れないの。旦那と交代してやってるけど、どっちも目の下の隈が大変なことになっちゃって」
「そうか……それなら、大変ではあるだろうけど、悪いことで疲れてるわけじゃ、ないのか」
「うん、大丈夫。心配してくれてありがとう」
姉さんは手元のアイスコーヒーを引きずり寄せて、
「夕也さん……あなたのお義兄さんは、元気?」
声のトーンを落としながら聞いてきた。
「あなたと夕也さんは、ほら、あんまり折り合いが良くなかったし、あの人が透兄さんと友達だったこともあるだろうけど、色々複雑だったでしょう。本当は結婚してあなたたちから離れるのが心配だったから……」
「別に心配要らない、あいつも前となにも変わってない。何を考えてるかも相変わらずわからないし……病気なんかはしてないから、元気なんじゃないか」
「そう、それならいいんだけど」
「おれやあいつのことはいいんだよ、姉さんは元気? 赤ちゃんの夜泣き以外は、大丈夫?」
姉さんは頷き、大丈夫よ、と表情を緩ませながら言った。それで少しほっとする。おれは姉さんには何の問題もなく暮らして欲しい、何の不自由もなく、おれや夕也や、燃えて消えた家のことを忘れてもいいから、とにかく安全に生きていて欲しい。大事だと唯一思えている、片方だけでも血の繋がった人だから。
黙っていると学校について聞かれ、テストなどは問題ないと事実を話した。姉さんは安心した顔をして、アイスコーヒーを一口飲んでからベビーカーに視線を向ける。赤ん坊は安らかな顔で、すやすやと気持ち良さそうに眠っていた。
近くの席に学生の集団が来た。ちらりと見れば、おれの通っていた中学の制服が目に入った。集団に見知った顔はない。こちらを見ることもなく、気だるさと明るさのある声量で部活動の話をし始める。
その様子を特に意味もなく、ぼんやりと眺めていた。なんでもない時間だった。おれには物凄く、久し振りの感覚だ。常に張っている警戒みたいなものがつい緩んだ。
「蒼姉さん……」
「ん、どうしたの」
「おれ、放火犯を探してるんだ」
姉さんは表情を止めた後に、じわじわ目を見開いていった。
「放火犯、って……十年前の話でしょう」
「うん……でも、今手伝ってくれる奴がいて、まともに探せるくらい自由な時間もあるし」
「……それ、夕也さんは? 知ってるの?」
「教えるわけない。だってあいつかもしれないだろ、おれの家に火をつけたのは」
「そんなわけないじゃない!」
強い声に驚いて口を閉じる。姉さんはハッとした様子で赤ん坊の様子を見て、眠ったままだと確認してから、額に掌を当てつつおれへと視線を戻した。
「凪……確かにあの火事は、出火原因は中じゃなく外で……家の裏にあった古雑誌に火がついて燃えたというのが警察の捜査結果だったから……結果としては放火ではあるし、放火犯がいるって思うのは、私にもわかる。あの透兄さんが死んだなんて、未だに信じられない時があるし……でもなんの根拠もないのに夕也さんを疑うのは違うわよ。あの人がどのくらい貴方を心配してたか知ってるでしょう」
「知ってるけど、心配なんて嘘でもできる」
「夕也さんは嘘つけるような人じゃ」
「蒼姉さん。本気であいつが犯人だって決めつけてるわけじゃないよ、おれも」
一度引いて、さっき買った烏龍茶を啜る。
「でも、ある程度信用できる人じゃないと、こんな話はできない。だから夕也には話してないだけだ」
言い切ると姉さんは反論をやめた。おれも口を閉じて、お互いに無言になると周りの喧騒がよく聞こえた。笑い声、話し声、呼び声、全部重なり合って雑音になる。
その中で姉さんはふと顔を上げた。理性の中に憂いが乗った、珍しい瞳に射抜かれた。
「放火と関係があるかわからないけれど、凪に話してなかったことがあるの」
予想外の言葉に、つい身を乗り出した。
「うん、何?」
「ただの昔話だし、私が知らないだけかもしれない、ってはじめに置いておくけども」
「うん」
姉さんは記憶を探るように視線を揺らし、
「大火傷で入院してた凪のお見舞いに、一人だけ知らない人が来たことがあって……親に聞いても見たことない人だし親戚でもないって言うから、結局謎のままだった。でもこれ以上のことは知らないし、火事そのものに関係がある人かもわからないんだけれど……もし調べてみたいなら、夕也さんに聞いてみた方がいいと思う。凪の病室に一番通ってたの、あの人だから……」
余韻を残しながら口を閉じた。
周りの雑音がすべて消えた。代わりのように体内で心臓が激しく脈打った。
手がかりなのかどうかは判然としなかったが不要だと切り捨てられない情報のために、おれは話したくない相手に話したくない昔の話を振るほかなくなってしまった。
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