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透兄さんじゃなくてあいつが燃え尽きていれば良かったと何度も思いはしていた。
でも、今ではないとわかってもいる。
「夕也に構ってる暇じゃないだろ、おれは……」
切り替えるため声に出して考え事を止めた。殺すにしても後処理だとか、他の問題が浮上する。放火犯探しが第一だ。あいつのことは放置する。
今度こそ胡桃沢にもらった新聞記事を広げ、大きく載っているおれの家の火事についての記述に目を通す。使われている写真は燃え跡だ。白黒写真だがそれでもほとんどが炭化しているとわかる無惨さで拒否反応が勝手に起こる、写真からは視線を逸らして文章の方へと意識を向ける。
近隣の目撃情報だとか父親と長男が死亡した事実だとか、難を逃れた母親についての憶測の後に瀕死の重体で病院に運ばれた次男の容体について書かれている。一命を取り留めはしたが生死の境を彷徨っている。回復の見込みはあまりない。幼い命は消えかけている……。
ここまでを読んでから立ち上がった。着たままの制服をベッドに放り、その下のTシャツもさっさと脱ぎ捨て、部屋の鏡の前に立つ。長方形の鏡の中には赤く盛り上がった火傷痕に覆われた、ひどく醜い上半身が現れる。それは腹筋の下、太腿にまで及んでいた。よく生きていたなと思わず自嘲が漏れる。
消えなかった幼い命は、この傷痕によって小学校ではいじめの対象になったりしたのだ。普段は服に隠れて見えないが体育などで着替える時にはどうしても隠せず、気持ちが悪いとよく言われた。おかげで友達はできなかった。その頃はまだ夕也は義兄の立場ではなかったし母親は忙しそうにしており話す機会が減っていて、誰かにいじめの話なんてする時間も余裕もなかった。そんなものなのだなと納得した。虚しいだとか悲しいだとか感じる前に、おれは輪郭のない怒りを持った。発露みたいなものだった。
鏡の前から離れてシャツを着る。新聞記事は机の上に広げたままで、ベッドに投げた制服から入れっぱなしだったスマートフォンを取り出してWEB検索欄にワードを打ち込む。十年前、火事、父子死亡。放火犯の特徴、特定、動機、捜査方法。使えそうな情報は残し、眉唾もののサイトは閉じて、その間に胡桃沢からメッセージが飛んでくる。
『新聞ありすぎてちょっと時間かかるわ〜、気長に待ってて』
あいつの能天気な声で再生される文面だ。気長に待ちたくはないが頼んでいる手前で早くしろと言ってしまってやめると言い出される方が困るから、とりあえずはわかったとだけ返信する。親指を立てる絵文字が返ってきて溜め息が漏れた。ベッドに仰向けに倒れながら、ああくそ、と誰に向かうでもない苛立ちを口にする。
落ち着くために兄さんの最期の姿と思い出した言葉をよみがえらせる。家に火をつけたやつが絶対にいる。探して、探し出して……兄さんの代わりにおれがやる、おれが燃やして殺してやるんだ。
二学期の終わりが近い。しかし冬休みの前には期末テストがあり、テスト勉強に身を入れている生徒がちらほらいる時期だ。どうでもいい、と言いたいところだが勉強自体は嫌いではなく、夕也の心配はいつも杞憂になっている。テスト範囲は授業内のものばかりだしこの高校は進学校というほどでもない。中の中、悪くはないが取り立てて秀でているわけでもない、何かしら特別な苦労をしなくても進級できる穏便な学校を選んだつもりだ。
胡桃沢は赤点ギリギリらしかった。それでもあっけらかんとしているので、どうにかなる見込みはあるようだ。
特に誰と話すこともなく授業を終えた。ホームルームでは来週からの期末テストについて話がされて、テスト関係なくおれは少しだけ苛ついてくる。夕也は在宅ワークでいつも家にいるから午前中で学校が終わるテスト期間は嫌でも顔を合わせることになってしまう。テストはどうだだの昼飯は要るかだのと一々声を掛けてくることはわかりきっている。
ホームルームが終わると同時にそれぞれが席を立ち、なにかと話しながら教室を出たり誰かの席周りに集まったりと動き始める。その中で立ち上がって廊下へ出た。胡桃沢を少し探すが見当たらない。連絡をしておくか迷うが止めて、歩いているうちに学校からは離れていく。
家に戻りたくなかった。電車を乗り継ぎ、特に用事はないが大型のスーパーへと時間を潰すために寄ることにした。そこでかち合った他校の生徒はいつだったかどこかのコンビニ前で喧嘩になり、駐車場に転がっていた石で頭を殴り付けたやつだった。彼女連れで、おれと目が合うなり女の肩を抱いて方向転換をした。伸びた前髪の隙間に薄っすらと傷が残っていた。
制服の上から胸元をぎゅっと掴んだ。何もしなくとも消える傷跡が一生憎い。追い掛けて壁に頭を叩き付けてやろうかと思いかけるがそうしなかった。
なんとなく入った本屋の中に、見知った顔の人がいた。
「蒼姉さん……?」
つい呼ぶと、赤ん坊を抱いた彼女は振り返った。昔と何も変わらない理知的な両目が、波紋のような動揺を滲ませた。
「凪?」
おれが頷くと彼女は目を細め、口の端を少しだけ上げた。三年以上ぶりに見た、懐かしい笑い方だった。
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