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 冬の暗さを掻き分けながら歩き、ぼんやりと立っている田舎の一軒家に目を向ける。二階の部屋の電気がついていて、溜め息が出た。面倒さを覚えながら玄関を開けると古い家屋は待ちかねていたようにみしりと軋んだ。

 物音を立てないよう気をつけようが全くの無意味で嫌になる。スニーカーを脱ぎかけたところで物音がして、二階で仕事をしていた夕也が降りて来るのだとそれだけでわかる。いつものことだ。毎度毎度、おれの帰宅に合わせて顔を出す。放っておいてくれと言ったこともあるが無駄だった。とことん兄面をしたいらしい。

 夕方はまだ親はいない。義理父は忙しいのか違う用事か最近の帰宅が遅く、母親は十八時が終業時間だがその通りに帰ってくることは少ない。だから嫌でも二人きりになる。夕也が何の仕事をしているのかは知らないが、在宅ワーカーなせいで余計に二人だ。

 スニーカーを脱ぎ終わったところで、夕也が玄関先に現れる。

「おかえり、凪」

 ろくに返事をしないとわかっていても声を掛けてくる。視線だけを向けるが、何を考えているか読めない静かな無表情があるだけだ。

 それだけでふっと燃える。苛立ってくる。

 腕を振り上げて肩を思い切り突き飛ばすが避けなかった。最も、いつものことだ。それが本当に苛立つんだけど夕也は顔色ひとつ変えないまま、数歩下がって壁に背中をつける。その様子を睨み付けている間は無言が続いて沸々と燃えてくる、おれの中に燻り続ける過去が燃え広がっていく。

「夕飯は?」

 冷静な声が割り込んできた。要らないと答えるがそんなわけにはいかないだろうと返ってくる。また苛つくけど今度はどうにか抑える。

「だから、要らないって言ってるだろ」

「そういうわけにはいかないだろう。食事はちゃんと摂らないと」

「さっき胡桃沢くるみざわと食ったから」

 帰宅前に胡桃沢と寄ったコンビニの、値引きシールが貼られた売れ残ったパンの味を思い出す。胡桃沢は肉まんを食べていた。整った見た目をどうでもいいと思っているような、口に詰め込む食べ方だった。

 胡桃沢は肉まんをすべて押し込んでから、一枚の紙を差し出してきた。新聞のコピーだ。それもかなり昔のもの。胡桃沢の祖父に収集癖があって過去三十年ほどの新聞を溜め込んでいると聞きおれが頼んだものだった。

 十年前の十月九日の地元新聞。一面の見出しはおれの本当の家が燃え尽きた火事についての詳細だ。

「凪ー、探せっつうなら約束だし探すけどね、でもさあ十年も前のこと調べるのって不毛に思ったりしねえの?」

 胡桃沢は制服のスカートを揺らしつつニヤついて余計な茶々を入れてきた。

「なんでそんなに必死なわけ?」

「……お前には関係ないだろ」

「いやー、私だって片棒担いでんだからさあ、概要知ったってよくなーい?」

 面白がっている口調だった。おれと胡桃沢はコンビニ横の暗がりで向き合っていて、無視して帰ってやろうと思うが勘付かれて記事のコピーを取り上げられた。舌打ちが出るけど笑い声に促される。知り合った時から胡桃沢はこの人間性だった。それなりに苛つくが殴ろうとは思わないし、協力させているからにはある程度うまくやってはいきたい。

 それに、おれが優先すべきなのは過去と実の兄の願いだけだ。心の中でそう宣言してから向き直った。

「兄さんが言ったんだよ」

「えーと、夕也おにーさんじゃなくて焼死した方の…… 二人もいるとややこしいな、名前なんだっけ?」

東間透あずまとおる。おれの、たった一人の兄さんだ。夕也は兄なんかじゃない、同居してるだけの他人」

「あはは、カワイソーな夕也おにーさん! で、透おにーさんの方がなんて?」

「透兄さんは、家の火事は火をつけた奴が絶対にいる、探し出す、って言った。でも兄さんはおれを庇って死んだ。だからおれが、代わりに探し出して犯人を見つけたい」

 言い切ってから記事を貰おうと手を伸ばす。まだ何かしら理由をつけて取り上げられるかと思ったが、案外と素直に渡された。

 胡桃沢は目を細めながらニヤニヤと笑みを浮かべていた。

「放火ってマジなわけ? 犯人、重罪人じゃん」

「兄さんが言ったんだから、疑うところなんてないよ。おれは本当だと思ってる。それに火事のあった日は母親がいない日で誰もろくに台所に立ってなかったし、父親は喫煙者じゃなかった。……警察の調べでも放火だろうってことにはなった」

「あー、でも放火犯って確か、超捕まえにくんじゃなかった?」

「そうだ。でも、探す」

「探してどうすんの? 捕まえて同じように焼き殺すとか?」

 胡桃沢を見た。特に何でもない、テストどうだった、とでも聞いたような顔だった。こういうフラットな部分は好ましいと思っていた。だからおれの口は勝手に開いた。

「そうしてやりたいと、思ってる」

 答えた直後に胡桃沢はおれの肩を叩いた。そういうとこマジで最高! と嬉しそうに言ってから、自分の自転車にさっと跨った。

「私、面白いこと大好き! それなら余計に、色々手伝ってやるよ。近場であった他の放火やら火事の新聞も探してくる、他にもいるもんあったら言えよな」

 胡桃沢はひらひらと手を振り、漕ぎ出そうとした瞬間に思い出したように振り向いた。

「弟くんに相手にしてもらえない、カワイソーな夕也おにーさんによろしく!」

 そう皮肉気に付け足して、今度こそどこかへ行った。その後ろ姿を数秒だけ見送ってから、新聞記事を鞄の中へと大事に入れた。

 胡桃沢とのやりとりを夕也に教えるつもりは当然ないが、

「胡桃沢か……」

 と、わずかに渋い声で言う姿は少し珍しい。

 こいつは知っているのだろう。高校で浮いているおれが唯一まともに話しているのが胡桃沢で、その胡桃沢は校内でも有数の問題児だと言うことを。

 最も、おれも問題児の中に含まれているのでなるようにしてなった結果だ。

 おれが振り下ろした教室の椅子に頭をぶつけた同級生はいつの間にか不登校になっていた。

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