残り火

草森ゆき

西蓮寺凪

1

 ずっと燃えている。実際に火事で燃え尽きたのは父親と兄のはずだけど、夢で見る時には別の人間が火に巻かれる。それは親戚だったり友達だったり母親だったり色々で、最も多く焼死するのは西蓮寺夕也だからおれの中には夕也の死体が無数に積み上がっている。夢とか想像の類だけど確かにある。現実の夕也を見るとどこかにふっと火がついてじりじり燃え広がっていって、それはいつまでも怒りの形をしている。

 火事はおれがまだ幼稚園児の頃に起こった。

 病院のベッドで目覚めた直後は焼かれた皮膚を覆う激痛で毎日呻いて、まともに話もできなかった。凪、死ぬなよ凪。そうおれを呼ぶ声をぼんやりと思い出せたのは痛みが多少引いた後で、燃える家の中で誰かに庇われるおれの姿が想像として脳裏に浮かんだ。

 相手は兄さんだと中学生の頃にやっと気付いた。

 あの人はおれを庇って死んだようなものだってことを、掘り起こした記憶に思い知らされてあまりの恩知らずさに眩暈がした。

「凪」

 炎の中で兄さんがおれを呼んでいる。

「家に火をつけたやつは、絶対にいる」

 くぐもった意識の中に、聞いた言葉が蘇る。

「探して、探し出して、俺が……」

 何か終わる気配に紛れて記憶がそこから暗くなる。


 おれは訳のわからないまま色々なものを失った。

 取り戻せるとは思わないしそのつもりもないけれど、おれを呼ぶ声は兄さん以外にも存在した。

「凪……」

 病室のベッドに横たわるおれを呼んだのは夕也だ。この時はあまり関わりのない相手だったが、おれを気にかける理由はわかっていた。兄さんと夕也は高校の同級生で仲が良くいつも共にいたから、その弟を慮るのは高校生の夕也にできた自分を慰める方法だったのだろうと後々思った。

 弟を気にかけてくれる親友の姿は、兄さんが見ていれば確かに喜んだかもしれなかった。

 でも裏切った。

 おれの母親と夕也の父親が再婚して変わってしまった。

「なあ、凪」

 夕也と向かい合っているのは西蓮寺家の狭い和室だ。

「父親と兄が亡くなって辛いのは、俺にもわかるつもりだ。でも、死んだ人間の後を追うようなことは、してはいけない」

 おれは中学生で、夕也は大学生を卒業したばかりで、火事から八年は経っていた。

「火事のことばかり考えるな。親が再婚したからには、俺たちは兄弟だろう。あいつのようにはできないが、俺は凪の兄としてお前を支えたいと思う。お前はまだ子供だ、この先にやるべきことはいくらでもある。だから火事の原因や……もう時効になるようなことを、いつまでも考え込まないでくれ。俺を兄だと思って、新しい生活について考えて欲しい」

 夕也は無表情だった。諭すような言葉は綺麗事でしかなく、おれの大切な家族を蔑ろにしているとすら思った。こいつを少しも信用できなくなった。

 わかったともわからないとも言わず、燃え上がった怒りのまま静かに座っている夕也に殴りかかって、夕也は自分よりも背の低い中学生の拳を避けなかった。失言だったと思ったからなのか当たろうが問題ないと見下したからなのかは知らない。どうでもいい。

「お前なんかを、おれの兄さんだと思うわけないだろ……!」

 まともに鼻頭を殴ったから畳の上には鼻血が落ちた。夕也は痛みに呻いたが何も言いはしなかった。おれは和室を飛び出した。実家だなんて思えない家の中にろくな居場所は存在しなくて、畳の血痕はおれが高校生になった今も焼け跡のように残り続けている。

 はじめから夕也が憎かったわけではもちろんない。

 おれの母親と夕也の父親が再婚する前、おれがまだこの男に苛立っていない頃は、兄さんの面影を求めるような気持ちがなくはなかった。夕也と兄さんが似ているからではない。着ている高校の制服や、自分よりも明らかに大きな背丈などに、漠然と「兄」の定型を見出したためだった。

 夕也はおそらくある程度は応えようとしたかったのだろうし、死んでしまった友人の弟だからとも思っていただろう。でもまがいものだった。義理は義理でしかない。分別が多少はつくようになったおれは、火傷痕の気味悪さでいじめられたおれは、兄になろうとする夕也を見たおれは、怒りだけがわかりやすく頼れる指針になった。

 だから中学時代は学校で暴れた記憶しかない。火事のことしか考えられなくなっていた。

 ほとんど全部が燃えてしまったあの日、母親は偶然実家に帰っていて火を逃れたが本当なのかどうか信じられない。配偶者と息子を失ったばかりの母親を口説き落とした義父には嫌悪感がある。おれは息をつく場所がない。それでもいい。放火した奴を兄さんの代わりに探し出して復讐するために生きるのだと、兄さんの言葉を思い出してからは当然心を決めていた。

 でも夕也はそれをいいと思わないらしく何かと声を掛けてくる。進学の話や学校生活の話を聞きたがり、あんなに仲の良かった兄さんのことはあれ以来口に出しはしない。

 この上なく邪魔だった。兄さんじゃなくてこいつが生きている理不尽に常に苛立っている。

 だから何度も殴ったが、そんなことばかりしている間におれは高校生、夕也は社会人になっていた。


 怒りはずっと燃えている。いつか終わるまで燃え尽きない。

 そんな中でおれはやっと放火についてまともな情報を手にすることができていた。

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