#10

 身体は、嘘のように軽かった。そして、闇の精霊の加護のおかげなのか、敵の動きがよく見えた。大振りの右腕の下に潜り込むようにして間合いに入り、右手の爪を、脇腹へと突き立てる。


 どずっ、と鈍い手応えがあった。手首までが埋まる。生温かい感触の中にある手に、もうひとつ衝撃が伝わってきた。ロシェが背後から、刺突を食らわせたのだろう。


 次の打撃を、と思い、手を引き抜く。左を振りかぶり、同じ場所にもう一撃、叩き込もうとして、嫌なものを感じた。見上げると、深紅の瞳と目が合う。まずい。躱した腕が戻ってくる。攻撃を中断して、両腕でブロックを形成する。


 瞬間、凄まじい衝撃が身体を突き抜ける。身体が浮いた。またか、と感じた。


 浮遊感のあとの、地面との激突に備える。変質した身体のおかげか、防御は成功してあまり痛みは感じない。受身を取り、即、起きる。


 ロシェも、なんとかして対応したようだった。魔法の光が届かないところまで飛ばされているが、エクレスの目は、闇の中にその姿を見ることができる。


 ドジを踏んだが、結果としては陽動に成功していて、眷族は孤立した。


 これは、攻撃のチャンスだ。すかさずアストルが叫んだ。


「火と風の精霊よ! 悪しきものを滅ぼす浄化の炎を、ここに!」


 鋭い詠唱は、闇の眷族の周囲に、巨大な炎の柱を数本、具現化した。それは、一度に眷族へと殺到し、押し潰そうとする。


 闇の眷族は、地鳴りのような叫びを上げて、抗している。やがて、身体を引き絞る弓のように縮め、それを解き放った。


 拘束を振りほどくように開いた両腕が、火炎柱を弾き飛ばす。火の粉が散った。エクレスは、アストルを見た。そちらへ駆け出しながら。


 アストルの額には、玉の汗が浮いている。彼も授業をしていたところだったのだから、体力が限界近いのかもしれない。それでも、杖を振りかざした。


「無防備、いただきだ……! 風の刃よ、引き裂け!」


 最初から、二段構えだったらしい。火炎柱を振りほどいた瞬間を狙って、彼は魔法を放つ。エクレスには見えた気がした。風の大鎌が、眷族の胴を、真横に薙ぐ。


 その一撃によって、闇の眷族は真っ二つに切り裂かれた。どさり、と上半身が、地面に落ちる音がした。


「やった、ぜ……」


 はあ、とアストルが膝をつく。ロシェ、エクレスは、彼に駆け寄った。ルシアも、心配そうにしている。


「やったな。アストル」


「まあな。お前たちが、引きつけてくれたおかげだぜ。そっちは、大丈夫か? ああ、でも、くそ、ちょっと、やり過ぎちまった。朝の授業で魔法、バンバン使ってたから……」


「手を貸そう」


 ロシェが、アストルを起こす。


 起こされながら、彼は笑っていた。エクレスの肩に手を置いてくる。


「悪いな。なんか、おいしいとこ、俺が持ってっちゃった感じ? 前の借りも、これでチャラだかんな」


「ああ。ありがとう、アストル。すごい魔法だった」


 それに、笑い返す。と、ルシアが真顔で死体を凝視しているのに気がついた。


「まだ、終わってない……」


「へ?」


「だって。霧になって、消えてないから」


 エクレスは戦慄した。確かに、死体が消えていない。闇の眷族は、死ねば黒い霧となって、消滅してしまうはずだ。


 自分の血が、内にいる精霊が告げてくる。まだ終わっていない。


「その通りだ。まだ終わっていないぞ」


 ローファスの声がした。すぐに、身構える。異変が起きた。

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