#8
「いや、ちょっと気になって」
すると、彼はまだ手にあったペンダントを見下ろした。
「そうだな。……十年も経ってる。私も、今年で二十九か。こんな歳になるまで、手がかりひとつ掴めないとは思っていなかったから。うまく整理をつけられないまま、ずるずるとここまで来てしまった、という感じかな。放り出してしまってもよかったはずだ。だが、そうはできなかった。君にも会いたかった」
目の前には、いつもエクレスたちを導く教官ではなく、ローファスという男がいる。そんなふうに見えた。
「罵倒の言葉に、ビンタひとつで振られたならば話は違ったろうが、そうじゃない。気を持たされていたところでいきなりいなくなられるというのは、よくないな。……本当に、よくない。しかも、なにか重大なことが起きたかもしれなくて、それは自分の仕事にも関わりがあることだ。あとは……彼女がなにかひどい目にあっているかもしれない。そう考えると、放っておけない。だろう? そういうことだ」
その言葉をもって、ローファスは質問の回答としたようだ。
エクレスは、黙って頷いた。つまるところ自分が知りたいと思っていた理由も、そういうことなんだろう。
彼は、手をエクレスに差し出してきた。
「君の姉のものだ。渡すのに、時間がかかってしまったが」
それを、エクレスは固辞した。
「いいんです。教官、あなたが持っていてください」
「……いいのか?」
「はい。そのほうが、姉が喜ぶ気がします」
「いや、これは、私がアーシアにあげたものなんだが。それを自分でまた持っているというのは、微妙な感じじゃないか」
「じゃあ、捜し出して、もう一度渡してください。できるなら、僕も協力します」
ふと、頭の中に言葉が浮かぶ。それは、思ったよりも自然に、口から滑り出た。
「兄さん」
ローファスは、聞いて、目をぱちぱちやった。それから、言ってくる。
「私は、君の姉と結婚したわけじゃないが」
「でも、ラルフさんは、教官のお父さんなんでしょう。僕も、ラルフさんを父と慕っています。本当の父親だと思ってます。だから、兄弟ってことに、ならないかなって思って」
「なるほど……。それは、確かにそうかもな」
彼も気づいていなかったのか、何度か頷く。それから、肩を揺すり始めた。
やがて、殺しきれずに、声が出てくる。ローファスは笑っていた。
「……ははは。いきなりだから、驚いたが。なんだか、悪くないな。兄さん、か」
最後は呟くように言って、彼はペンダントを眺めた。
「ベイレスの遺跡の、最深部の部屋を覚えているかな」
「はい。一面、真っ黒な石でできた、大きな、空洞ですよね」
「このペンダントは、私が作ったんだ。これは、あそこにあった石と同じものだ」
「あの、真っ黒で、不気味な?」
エクレスは訝った。あそこを埋め尽くしていた石は、光を吸い込むほどに真っ黒で、気味の悪いものだった。光を跳ね返し、様々な色を見せる、透明なペンダントの石とは、とても似つかない。
「遺跡の深部には、たいてい、あの石がある。これは当然、ベイレスのものじゃない。コークス近郊の……アーシアとともに入った遺跡にあったものを、加工したんだ」
ローファスは、ペンダントをよく見えるように翳してくれた。光に照らされると、石はどうやら、赤、青、緑、茶に輝いているふうに見える。
「これを精霊石とか、涙の石と呼ぶ。地の底、闇の領域から取り出して、光の神の元に照らすと、精霊の色に輝くんだ。名前のわりには、いくらでも採れるから、まったく価値はない。せいぜい用途は、冒険者のお守りくらいのものだな」
「知りませんでした」
「そうか。アーシアも知らないようだったな。黒い石が、様々に光り輝くようになる変化には、とても感動していた。だから、ペンダントにしたんだが。ルビーやらサファイアやらの貴石よりも、これが嬉しいと言うんだから、変わっているなと思ったものだ」
そんなに、変わっているだろうか。暗黒を圧縮したような石が、四色の輝く石になるほうが、とても美しいのではと思う。そう思えること自体が、その石の前と後を知ることができる冒険者の特権なのかもしれないが。
ローファスが、話を続けた。
「これを渡して、そのときに、王都へ来ないかと誘ったんだ。その後で、遺跡の最深部に再び向かい、闇の眷族と遭遇し、それを始末した。それから、アーシアの様子がおかしくなり、考えさせてほしいと言ってきた。彼女は、村へ戻った」
それは、先ほどの説明の繰り返しだった。エクレスは、こちらを見てきた彼に頷いた。
やはりそのペンダントは、姉とローファスを結ぶ、大切なものだ。彼が持っていなければいけない。そして、また、その手で渡してほしい。
ローファスは、立ち上がった。
「では。早く回復して、訓練を再開しなければな。……思ったよりも、君はずっと強かったようだ。冒険者になることを、諦めたわけじゃないんだろう」
諦めたくはないと思う。が、こればかりは、ひとりの問題ではない。
「それは……アストル、ロシェ、それに、ルーシャに話を聞いてからでないと、僕には答えられません」
ローファスは、ドアまで歩いて、半身をこちらに向けた。
「今日は、ゆっくり休みなさい。夕食は持ってくる。ロシェ、アストルと一緒に話をするのは、また明日にしよう。いいかな、弟よ」
「はい。兄さん」
わざと言ってみる。なかなかしっくりきていた。が、ローファスはまた笑った。
「頼むから、大っぴらには言わないでくれ。家族だからとなにか手心を加えているように思われるのはまずいからな」
「分かりました、教官」
「よろしい」
最後に、にっと笑って、彼は部屋を出ていった。
喉が渇いたので、起きて水差しを取ろうとしたが、身体が言うことを聞かない。話に夢中で気づかなかったが、本当に弱り切っているようだった。
仕方なく横になり、夕食がやってくるまで、待つことにした。
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