#7

「教官。……教官は、僕の姿を、見たんですよね」


「ああ。見たとも。この手で叩きのめしたんだからな」


「……僕にいったい、なにが起きたんですか?」


「君は自分で、分からないのか?」


 聞き返され、言葉に詰まる。ローファスは弁解するように手を挙げた。


「いや、揶揄する意味じゃない。君自身で、分かることはないのかな。なにしろ、闇の純血種というものを目にするのが初めてなんだ。コース長は、元より光も闇も、そういう人がいることを知っているようだったが。私には、分からない」


「教官は、僕を叩きのめす前、助言をしてくれましたよね。あれは?」


「夢中だった。とにかく、声を掛けねばならないと思ったんだ。君の目には、まだ君らしさがあった。禍々しい、深紅の瞳になっていてもね。君は泣いていた。圧倒的な力に振り回されて、友を傷つけ、涙を流していた。だから、まだ君を引き戻せると、そう思った」


 エクレスは、もう一度、胸中で感謝した。あの言葉がなければ、戻ってこられなかったかもしれないのだ。


 あの光景を振り返ると、もうひとつ、気になることがあった。


「……教官は、最初に、僕がああなることを予期していたようなことを、言ってはいませんでしたか?」


 だから早すぎると言ったんだ、と、ローファスは激昂していた。怒りの矛先については、大体予想はつくが。


 彼は嘆息した。


「なにが起こるかは分からなかったが、なにか起きるかもしれないことは分かっていたんだ。特に、君は闇の純血種だ。闇の血は、魔法と関わると破壊の力になる。普通の人は混血しているから、大なり小なり、緩衝材としての光の血がある。しかし、君にはそれがない。もし君に魔法が使えるとなれば、その魔法の力は、純粋な破壊のための力となる」


「僕の魔法は、身体がああなることなんでしょうか」


「どうかな。私とコース長は、君が精霊の加護を持っていることは確信していたが、まったく魔法を使えない可能性も考えていた」


「なぜです?」


「神話だよ。私たち……ここには、君を含まないが。私たちが使う魔法、精霊の加護は、光の神から与えられたものだ。君は、闇の神から作られた存在だ。であれば、光の神の作った精霊とは、違うものが宿っているのかもしれない。つまり、私たちと同じ魔法は使えない可能性がある、というわけさ」


「ルーシャは、光の神から作られた存在だから、全ての精霊の加護を持っている……」


「そういうことだな。まあ、単なる四系統保持者は、私のように、たまにいる。光の純血種の大きな特徴を挙げるなら。彼女は、対象を破壊する意図で魔法を使えない」


 ルシアは、防御や癒やすための魔法に秀でている。確かに、彼女は、これまでの授業で標的を破壊するための魔法を、なにひとつ成功させられなかった。


「君に話を戻そう。最初の授業で、グレイスに呼び出されて、君にも四つの力が現れた。それを見て、私とコース長は疑念を確信に変えた。君にも魔法は使える。そして、闇の神は、神話の記述にないところで、おそらく精霊も、模倣して作っていたんだとね」


「闇の神が、精霊を……?」


「ああ。光の神のものを模倣するのが好きな闇の神が、精霊だけは真似しなかった、と考えるほうが、不自然じゃないか?」


「……そうかも、しれませんね」


「闇の火。闇の水。闇の風。闇の土。……ただ『闇の』をつけただけだが。純血種である君から現れた精霊が四つだから、おそらく光の精霊と鏡写しのような存在ではないか。闇の神の精霊の持つ力が、光の神の精霊と一致するかどうかも分からないが、とにかく今のところ分かっている部分で判断すれば、闇の精霊の与える魔法の力の一端には、肉体の変質があると考えるべきかな」


「僕がずっと、闇の精霊を呼び出せなかったのは?」


「分からない。理屈としては……私たちに言葉を与えたのは光の神で、それは神や精霊と対話するためだったと神話にあるんだが」


「光の神が作った精霊を呼び出すものとは、言葉が違う?」


「そうかもしれない。が、どうかな。神話では、光の神がヒトに言葉を与え、ヒトが話す言葉を聞いて、闇の神が腹を立てる記述がある。ならば光も闇も、扱う言葉自体は同じで、使役のための呼びかけも大差ないと考えられるんだが……」


 そこまで喋り、ローファスは手をひょいと振った。


「まあ、全て仮説だし、突っ込みどころも多い。どのタイミングで、闇の神が光の神の精霊を模倣したのか、とかね。分からないことだらけだ。煮詰めて、究明していくには、唯一の闇の純血種である君の協力が、必要不可欠になる」


「それは、構いませんけど」


 散々迷惑をかけてしまったし、今後、更なる事件を引き起こさないためにも、エクレスは全力で、協力をするつもりだった。


 今も、自分なりに、なにか手がかりになりそうなことを、思い出そうとしていた。


「そういえば……」


 ふと、閃くものがあった。


 エクレスは、闇の眷族による剣の投擲を受け、死に瀕したときのことをローファスに話した。


「姉さんの形をしたものが、囁いたんです。胸に剣を受けて、もう、死ぬんじゃないかっていうときに、死にたくなかったら、唱えろ、と。言う通りにしたら、傷は治って、身体が変化……おかしくなって」


 それを聞くと、彼は、手を顎に当てて唸った。


「ならば……。初日に授業でやったような、呼び出すためのなにかが、他に必要だったのか? だが、精霊自体はあれで姿を現していたはずだ。さっぱり、分からんな」


 独りごちてから、彼はエクレスを見やった。


「ところで。その、君たちが見たその女というのは……。本当に、アーシアだったのか」


 エクレスは、曖昧に頷いた。


「形は、姉さんでした。でも、そんなわけ、ないと思うんです」


「なぜ?」


「十年前と、同じ姿でした。歳も取らずに。そんなこと、あると思いますか」


 ローファスは、なにも答えず、椅子の背もたれに身体を預けた。


 また、しばらくふたりで沈黙する。聞くべき話はほとんど終わってしまったようだ。残っているのは、直接は関係ないような問いばかり。


 あまり黙っているのも居心地が悪いので、エクレスはそれを聞いてみることにした。


「教官」


「なんだ?」


「教官は……ローファスさんは、まだ姉を好きなんですか?」


 彼は、身体を起こした。笑っている。


「どうした、突然」

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