#2
目を開けると、そこは寮の自室だった。
仰向けの視界にまず入ったのは、真っ白な天井だ。窓からは陽が差しているようで、時刻は日中だと分かる。
自分は、いったいどうなったんだろう。肘をついて、身体を起こす。腕は、元の人間の腕に、戻っているようだった。
安堵しかけたところで、声がした。
「エクレス! 目が覚めたか!」
顔を上げると、ベッドのすぐ傍に、椅子を用意して、ローファスが座っていた。ずっとついていたのだろうか。すぐに詰め寄ってきた彼は、身体を起こすのを手伝ってくれた。
「教官……」
「身体の調子はどうだ。水を飲むか? あれから、三日三晩ずっと寝ていたんだ」
「三日、ですか……」
声が掠れていた。ローファスは、どこからか水差しとコップを取り、水を注いでくれる。それを受け取ると、エクレスは一息に飲み干した。
身体の隙間の隅々に、水は入り込んでいくようだった。久しぶりの雨を浴びる植物なんかは、こんな感覚を味わうのかもしれない。
もう一杯おかわりをして、エクレスは聞き直した。
「教官、みんなは? 無事なんですか?」
それに、ローファスはひとつ息を吐いて頷いた。と、どんどん、と音がして、勢いよく部屋のドアが開いた。
「エクレス! 目を覚ましたのかよ!」
駆け込んできたのは、アストルと、ロシェだった。それを見て、なんとも言えない気持ちになる。よかった。ふたりとも、無事だったのか。
喉から声が出てこない。だが、記憶は、完全に残っている。自分の身体が、闇の眷族のように変質し、その力を、彼らにも向けてしまった。
悔恨の念は、吐気のようにこみ上がってくる。自分はもう、彼らと一緒にいることは、できないだろう、と思う。
ローファスは立ち上がると、アストルたちに向き直った。
「今、目覚めたところだ。私は養護教官を呼んでくる。君たちは、部屋で待機していなさい。用があれば、呼びに行く」
「でも、教官」
「君たちがそうだったように、気持ちを整理する時間が、エクレスにも必要だ」
それで、アストルたちは納得したようだった。一度こちらを見て頷いてから、出て行く。ローファスも、部屋を出て行った。
しばらく待つと、彼は養護教官を連れて戻ってきた。
一度も保健室へは行っていないために、初めて見る人だ。金髪を三つ編みに束ねて、眼鏡をしている。白衣を着た、女の人だった。
彼女は確かめるように、エクレスの身体に触れた。上半身を前、後ろと調べて、ローファスに言う。
「肉体的には、問題なさそうね。意識もはっきりしているし、妙なところもない。だけど、念のためにもう数日は、安静にすること」
それだけ言い、彼女は立ち上がった。
ローファスは部屋を出る養護教官に会釈をして、ベッド傍の椅子に座る。
しばらく、ふたりして黙っていたが、やがて、彼から切り出した。
「どこから話せばいいかな……。だが、まずは、今回起きたことについては、私の失策だ。本当に、すまない」
彼は、深々と頭を下げた。なぜ、彼が謝るのか、その理由は分からない。
なかなか頭を上げない彼に、エクレスは声を掛ける。
「あの……。謝らなければならないのは、僕のほうだと思います。……僕のせいで、班のみんなを危険に晒したんです」
「いいや。君が悪いのではない」
ローファスは、顔を上げて、それだけ言った。
そうは思えなかった。よく分からない力で、皆を殺そうとしたこと。もっと遡れば、姉の姿をしたものを見て、感情を抑えられなかった。全ての始まりがあそこだと考えれば、班を窮地に追い込んだのは、自分だとしか思えない。
そう、姉だ。死んだと思っていた姉、アーシア。彼女が、あそこにいた。
脳裏に、闇を抱いて微笑むその姿が浮かび上がると、黙っていられなかった。
「あそこに、姉がいたんです」
それに、ぴくりとローファスは身体を震わせる。彼は、聞き返した。
「アーシアが? アストルたちも、あそこに女性が現れ、それを君が見て、姉だと言っていた、と。それは、本当なのか?」
彼の言葉を聞きながら、エクレスはまたも、意味が分からなかった。聞き間違いでなければ、彼は今、姉の名を口にした。彼が、その名前を知るわけはない。
「教官は……なぜ、姉の名を知っているんですか?」
「それは」
彼は言いかけ、口をつぐむ。瞑目し、逡巡した。そして、閉じた口を開く。
「順を追って、話そう。元よりこの時間は、そのためのものだ」
エクレスは頷く。この人は、自分の知りたいことを、どこまでかは分からないが、知っているのだ。ほとんどかもしれない。少しかもしれないが――
それに、耳を傾けようと思った。
ローファスは、蕩々と語り始めた。
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