#6
そこは、広大な空間だった。地下の大空洞、とでも言えばいいのだろうか。学校の室内訓練場にも勝る広さの空間が広がっていて、天井は見えないほどだ。
そして、天井も地面も黒い。壁もだ。エクレスは、自分が闇の中に浮いているような、妙な感覚を味わっていた。
それでも、全員で奥へと進みながら、周囲を調べていく。
「どうなってんだ。地下に、こんなデカい余白があって、上は崩れたりしないのかな」
「余白というか、黒だが」
「うまいこと言うなよ。でも……なんだ、ここ。遺跡って、こんなんなのかよ」
圧倒された様子で、アストルは首を上に向けていた。
一方で、ロシェは足元からなにかを拾いあげた。
「これは……。こんな石、見たことあるか?」
彼は、こちらにそれを投げてよこしてきた。エクレスは受け取ったものを見た。
それは、漆黒の石だった。
よく見れば、どこか、鈍く光っている気もする。その照りは、紫色のようにも見えた。
エクレスは、その石を魔法の光に翳した。それでも、正体は判然としない。まるで光を吸収でもしているかのような、鈍い輝きがある。
「それ……。たぶん、ここ一面、その石なんだ」
ルシアが言う。エクレスは見回した。
光に照らされる自分たちの輪郭以外、周囲が真っ暗なのは、天井も地面も、壁も、この正体不明の石でできているかららしい。
なんとなく、校庭をローファスとともに走ったときのことを、思い出す。彼は、闇の眷族についてはなにも分からないと言っていた。
闇の眷族どころか。単なる洞窟だと思っていた、生徒の初めての見学向きの遺跡ですら、理解の範疇を超えるものなのかと、エクレスは唾液を呑み込んだ。
「な、なあ……。おい、あれ……!」
アストルが、怯えた声を出す。彼は、前方を指さしていた。
そこには、魔法の光に照らされてもなお黒い、渦のようなものが浮かんでいた。
即座に、エクレスは叫んだ。
「みんな、下がれ!」
本能が先んじた。遅れて、理性がローファスの言葉を蘇らせる。
『もし遺跡の中で、黒い、闇の渦のようなものを見つけたら、近寄らずにすぐに逃げろ』
それでも、エクレスを含めた全員の反応が鈍かったのは、その渦に、意識が引き込まれていたからだった。なにか、渦に動きがあるように見える。
いつでも逃げ出せるように、後退りをしつつ、変化を見守る。エクレスの心臓の鼓動、発汗、震えは、ピークに達していた。逃げたほうがいい。全身が警告を発している。それでも、そこから目を離せない。
闇の渦の中心あたりから、すうっと、なにかが浮かび上がるように現れた。亡霊のように。黒い布のようなものをまとった、黒髪の女の姿をしている。
ひゅう、と、エクレスの喉が鳴った。喘ぐようにして、必死に息を吸う。
――馬鹿な、まさか、あり得ない。なぜ……。
頭の中が混乱する。疑問が渦を巻く。
エクレスの口は、たったひとつの言葉を叫んでいた。
「姉さん!」
「へ……?」
気の抜けた、アストルの声が聞こえる。
「あれ、お前の姉さんなの?」
エクレスは、頷いた。見間違えるはずはない。闇の渦に手を翳し、弄びながらそこに立っている女は、間違いなく自分の姉だった。
そう、見間違えるはずはない。そして、絶対にアレが姉であることはあり得ない。
なぜなら。たびたび思い出す、十年前の記憶。それと寸分変わらない姿だからだ。
「だけど……! お前は誰だ! 僕の村は、十年前に、皆殺しにされた! お前が、姉さんであるはずがない!」
恐怖を押しやるように、エクレスは叫んだ。剣を抜き、構える。
「お、おい、エクレス!」
ロシェだったか、アストルだったか、静止の声が聞こえたが、なにかがエクレスを突き動かしていた。距離は、十数メートルほど。それを一気に詰め、女へと斬りかかる。
「おぁぁぁあっ!」
だが、剣は届かなかった。女の肩口に触れるかというところで、見えないなにかに阻まれて、ぴたりと止まってしまう。びくともしない。
剣とエクレスを交互に見て、女は笑っていた。背筋を恐怖が走る。仕草は、なにからなにまで、姉とうりふたつだ。
女が腕を振るった。なにか、よく分からないものがぶつかってくる。魔法か。なす術なく、エクレスは斬りかかる前の場所まで、弾き飛ばされた。
「おっ、おい、あれ、お前の姉ちゃんなんだろ!? なんでその、姉ちゃんに斬りかかるんだよ!」
「あれは、姉さんじゃない。僕の村は、十年前、闇の眷族に皆殺しにされた……!」
「なんだと……?」
助け起こしてくれるロシェに、頷き返す。
「姉さんも、村にいた。僕は、両親の……両親の死体を、見ている。でも姉さんは、見ていない。でも……あれは、十年前の姉さんの姿と、変わっていないんだ」
どうして言葉というのは、一言で考えを全て伝えられないのか。こんなにももどかしいことはなかったが、それでもロシェは頷いてくれた。
「とにかく、なにかがおかしいということか。君の姉の姿をしたあれは、渦から出てきたようにも見えたが……。少なくとも、まともなものじゃないな」
彼は剣を抜いた。アストルは、杖を構える。
そこで、エクレスはルシアの異変に気づいた。
「ルーシャ、どうした?」
「……恐い」
彼女は、杖で身体を支えるようにしながら、女を凝視していた。
「あの人、恐い。だめだよ、エクレスくん、逃げないと……」
鬼気迫る、そんな口調に、エクレスは女を見た。不気味に笑って佇んでいるだけだったそれが、ぱん、と手を打ち鳴らした。
すると、渦から、巨大な右手が出てきた。鋭い、刃物のような爪。節くれ立った関節には、棘のようなものが生えている。
次に、左手、頭、と出てくる。それは、渦をくぐるようにして現れた。
三メートルほどの大きさの、人の形をした怪物。それは、あの夜、エクレスの両親を殺した、怪物と似ていた。
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