#5

 遺跡、とは言っても外からの見た目は洞窟で、中に入ってみても洞窟に違いなかった。ただ、普通の洞窟とは違い、広い。天井は三メートルほどの高さがあり、幅は四人が広がって進むことができるだけの余裕がある。


 息苦しさを想像していたが、あまり気にならない。それよりも、大地の底から身体の芯にまでしみてくるような、そんな寒さがあった。


 ちらりとルシアを見やる。彼女は黒いローブを身につけているので、あまり寒くはなさそうだ。不安そうに杖を握り締めて、視線をそこここに彷徨わせている。


 それからエクレスは、ベルトで腰に留めてある剣を意識した。これを使うべきなのか、あるいは使わずに逃げるべきなのか、判断をまず求められるのは、先頭を進む人間だ。


 同じく先頭を歩くロシェに、目をやる。彼は、かなり神経を尖らせていた。


 すぐにこちらの目に気づいて、ロシェは囁いた。


「なにか、気配のようなものを感じるか? エクレス」


「いいや。なにも」


「妙だと、思わないか。なんの気配もないなんて」


 それには無言で頷く。ロシェの言う気配というのは、怪しい気配のことだけではない。その他一切の生き物の気配のことだろう。


 普通、コウモリやら、こんな穴蔵を住み処にする生き物がいるものだろうが、そういった気配が全くないのだ。そもそも、魔法の光に照らされる壁や天井を見やっても、生き物がいたという痕跡自体が感じられない。


 暗闇の中に、自分たち四人だけしかいない。


 エクレスは、これが班行動であることに感謝した。完全に怖じ気づく、とまでは言わないが、たったひとりで明かりもなくここに入っていたら、と考えると怖ろしい。


「人間だけじゃなくて、普通の生き物も寄りつかない……ってのか?」


「そうなのかも……。だって、こんなところ、入ろうと思わないよ」


 ルシアの言葉は、単純な恐怖感に裏打ちされたものでないことは分かった。エクレスも、彼女の言うような不気味さを感じている。どこか無機質というか、生命の気配の一切を感じないような場所に、野生の動物が足を踏み入れるだろうか。


 地上の一切を拒み通す、闇の領域。エクレスたちの生活している空間とは、ここはなにもかもが違っている。


 ローファスの言っていたように、道はなだらかに曲がり、下っているようだった。土と石、それだけの道を踏みしめて、光と闇の境界を見定めながら、先を進む。


 どれほど進んできたのだろうかと考えてみても、遺跡の単純なつくりのおかげで、はっきりとは分からない。


「しっかし本当に、なにもないな……」


 声が響くために、いつもは声の大きなアストルも、抑え気味に喋る。エクレスは前方から目を離せないが、後ろで彼がきょろきょろしているのが気配で分かった。


「なにもなくとも、あれだけ闇の眷族の危険性やらを聞かされれば、嫌でも警戒を続けないといけないからな」


 ロシェは、言いながらも、最初よりかなり力が抜けていたが。


「なにか、突き当たりそうな感じはあるのか? おふたりさん」


「いや、まだ続きそうだ。後ろから、なにか来ていたりしないか」


「恐いこと言うなよ……。多分、大丈夫だぜ」


「なにか出てくるとして、前からとは限らないだろう。お前も警戒を怠るなよ」


「おい、エクレス?」


 不意にアストルに名前を呼ばれた。後ろから、肩に手を置かれる。


「エクレスくん?」


 続いて、ルシアの声。顔を上げると、前にロシェが立っていて、こちらを不審そうに覗き込んでいる。


 そこでやっと、エクレスは、自分が立ち止まり、しゃがみ込んでいることに気がついた。


 手が震えている。汗もかいていた。身体の芯は、相変わらず冷たい。


 ずっと前方に、なにかを感じる。なにかがいる。そんな気がしていた。


「……たぶん、そろそろ突き当たる」


 立ち上がりながら、言う。直感かなにかが、それを告げている。いや、直感とは異なる、もっと懐かしいなにかが、エクレスの全身に語りかけてくるようだ。


 恐怖と懐かしさが同居する感覚――説明しがたいが、その感覚が導く光景は、たったひとつだけだ。十年前の、あの夜。自分の家の、居室のドアに手を掛ける前に感じた、あの違和感と恐怖感……


「足手まといは不用だ。体調が悪いなら、君だけ今から教官のところへ戻ってもいいが」


「いいや、大丈夫だ。……でも、ロシェ」


「なんだ」


「ここからは気をつけよう」


 長々と、ここに至って身の上話をする気にはなれなかったので、それだけを告げる。ロシェは、雑に頷いた。


「ふん。君の何倍も、僕は注意を払っているさ。僕が前に出る。君は、アストルとルーシャの前につけ。体調が悪くとも、盾くらいはできるだろう」


 ぶっきらぼうに言うと、ロシェは進み始めた。出会ったばかりの頃は、やや嫌味な性格なのかと思いもしたが。一週間も行動を共にしていると、ただ不器用なだけだというのが分かっている。彼の覚悟と責任感は、人一倍強い。


 一歩ごとに強くなっていく不快感を押し殺しながら、エクレスは進んだ。自分以外の三人は、それを感じていないらしい。


 と、魔法の光が照らす範囲が広がった。


「着いたようだぞ。広い……」


 ロシェが言う。最深部に到達したことは、エクレスたちにも分かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る