#4

 そして、朝七時よりも早くに起きた。


 日課になっていた早朝鍛練の時間が染みついていたからだ。エクレス以外の班員も同じだったようで、部屋を出て、階下に向かうと、すぐに全員が集合する。


 朝食を済ませてから実技訓練時に使用する革製の戦闘着に着替えると、エクレスたちはすぐに、教官主導で街外れの遺跡に向かうことになった。荷物は、ほとんどない。見学自体は昼までに終わる予定で、なにごともなければ、今日中にも学校へ戻り、コース長に成果の報告となる。


 遺跡の入口の前で、エクレスたちは整列した。


 全員の顔を確認して、ローファスが話を始める。


「これが、遺跡の入口だ」


 彼が示したものを見る。それは遺跡というよりは、単なる洞穴のように見える。蔦が這い、下草の生えた斜面にぽっかりとそれは口を開けていて、奥は窺えない。


「確かにこの遺跡は、入学したての生徒に見学させるためにあるような遺跡だ。実際のところ、毎年そのために使われている。だが、私の言ったように、危険が潜んでいる可能性もある。用心すること」


 いつもよりも引き締まった口調で言い、彼は手を虚空に翳した。なにもない空間から、剣が一振り現れる。さらに、もう一本。これは、ロシェとエクレスの分だろう。


 次に、杖を二本。それは、アストルとルシアのためだ。


 それを受け取って、エクレスは鞘と握りの具合を確かめた。握りは手に吸いつくように、ぴたりと合う。剣の重心も自分に合っている。


 杖を持って、アストルはローファスに訊ねた。


「防具はないんですか?」


「防具を着けるよりも、身軽に動けたほうがいい。ひ弱な闇の眷族であれば、今の君たちなら容易に対処はできる。大物が出たら、生半可な防具では無意味なだけでなく、動きを妨げるだけだ。本当なら、そのあたりの説明も終わり、防具を着けての身のこなしにも慣れてから、こうしたかったんだが……」


 苦々しそうにローファスはエクレスたちを見回した。


「君たちが今着ているのは、基本的な革製の戦闘着だ。最低限ではあるが、ある程度の戦闘なら耐えられる。祝福もこれから施すが……あまり過信はしないように。なにかあって、手に負えないと感じたら素直に逃げること。そのための軽装なんだ」


 ローファスは、もうひとつ嘆息を交えた。


「その武器にも、可能な限り、私が祝福を施している。下手な鎧や盾よりも、身を守る防具になるだろう。そしてルーシャ、君にはこれを渡しておく」


 彼は、ポケットからなにかを取り出した。差し出したルシアの手のひらに置かれたそれは、握り拳よりも二回りほど小さい、石だった。


「これは……?」


「君たちに危険が迫った場合、それを通して、私に分かるようになる。特別なことはしなくていい。ただ、ポケットの中に入れておいてくれ」


 ローファスは、渡したものと似たような石を取り出した。


「これが反応するんだ。私が冒険者をしていた頃、作ったものでね。シンプルながら、なかなか出来がいい。何人もの生徒の危機を救った。今回もそうだといいが」


「さっきから、し、心配性だなあ、教官は。なにも出ないかもしれないんでしょ?」


「そうであることを願うよ。ほんの一週間かそこらで、君たちは、驚くほどのペースで力をつけた。それは保証できる。しかし、いつだって実戦は危険で、なにも保証はされない。それでも、前には進まないといけないというのは、まあ反論できない、厄介なことなんだが……」


 ローファスは、胸に手を当てて言った。


「助けに入ることまでは禁じられていない。なにかあれば、すぐに向かう。ただ、ヤバいと思ったら逃げることだ。本能で無理だと思ったら、意地を張らずに逃げる。これを守ってくれ。あと、もし遺跡の中で、黒い、闇の渦のようなものを見つけたら、近寄らずにすぐに逃げろ。これも、絶対に守ってくれ」


 ひとつ嘆息を混ぜて、真剣な顔のまま、ローファスは続ける。


「……馬車の中で話したことにひとつ、付け加えるが。こうした遺跡に元から棲みついている闇の眷族というのは、あまり危険ではない。弱いんだ。だが、渦のようなものから現れる闇の眷族は、極めて強度が高い。それこそ……街とはいかなくとも、村のひとつふたつは、あっさりと滅ぼしてしまうほどの力がある」


 ごくり、とエクレスは息を呑んだ。隣でルシアも、同じような反応をしている。


「だから、いいね。闇の渦を見つけたら、すぐに逃げてきなさい。そこから先は、私とグレイス教官の仕事になる」


 それで言いたいことは言い終えたのか、ローファスは、グレイシスに顔を向けた。彼女は頷くと、一歩前に出る。


「私は、特に心配はしていない。降って湧いたような話だが、せっかくの遺跡探検の機会であることも事実だ。闇の支配する領域を、十分に堪能してくるといい」


「グレイス教官からは、なにか餞別はないんですか?」


「もちろんある。ほれ」


 グレイシスは、手を振った。人の頭ほどの大きさの光球が生み出された。それはエクレスたちの頭上まで来ると、ぴたりと静止した。


「明かりだ。これがなければ、闇の眷族なぞいなくとも、死にそうな目に遭うからな。照らせる範囲は、半径五メートルほどだ」


「俺、作れますけど」


「ローファスの言う通り、眷族が出ないとは決まっていないからな。体力は温存しろ。明かりは、たっぷり三時間は持つ。ローファスの祝福と同じくらいだな。当然だが、それ以上の長居はお勧めしない」


「そういえば……」


 ルシアが言った。


「中は、どんなふうになっているんでしょうか」


「基本的には、一本道だ。蛇のように曲がっていて、ゆるやかな下り道が続く。突き当たりは、開けた空間になっている。気が済むまで見学したら、好きなタイミングで戻ってきなさい」


 どれほど見学するかは、エクレスたち次第であるらしい。それでも、すぐに戻ったりすれば、呆れられてしまいそうだが。


「私たちはここで待つ。気をつけて、いってらっしゃい」


「本当に来ないんですね? こっそりついてくるとか……」


「すまないが、無理だ。あのジジ……コース長は、今も『見ている』はずだ。ルール違反をすると、どやしつけられる」


「元々、最初だろうと、よほど危ない場所でなければ、見学は生徒のみでやるのが普通だ。私たちも、急だったからここまで過保護なだけでな。さっさと行ってこい」


 それが、教官たちからの言葉の締めくくりだった。腹を決めて、洞窟の入口に向き直る。


「ようし、じゃあ、先頭はエクレスとロシェだ! 行こうぜ!」


「お前は?」


 ロシェに言われて、アストルは笑った。


「俺はサポートだからな。武器持ったお前らが前だろ、普通」


「まあ、いいけどね……」


 エクレスは呟いて、進み出た。ちらりと背後のローファスを振り仰ぐと、彼は頷いてきた。それに頷き返して、足を踏み出す。


 湿った土の臭いがする。黴臭くもある。が、グレイシスのくれた魔法の明かりを頼りに、四人固まって、奥を目指した。

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