#2

「おお、やっとるやっとる」


 エクレスは、声のした背後を振り返った。思わず仰け反ってしまうほど近くに、コース長が立っていた。


 なんの音も、気配もしなかった。コース長に会うのは、以前の朝食の席以来だったが。多少の訓練を経たせいか、以前よりも、その凄まじさが分かる気がした。


「コース長。なんのご用で?」


 ローファスが棒を消して、訊ねる。コース長は、肩を揺すって笑った。


「五班の子たちがやたらと熱心に頑張っておると聞いてな。どんなものかと見に来たんじゃよ。どれどれ……」


 コース長は、いきなりエクレスの両肩に手を乗せた。大きなしわくちゃの手が、肩、腕、胴、と順に、確かめるように触っていく。


「初日とは見違えたのう。まだまだじゃが、できあがってきておる。女の子も、サンフォレットのも、しっかり鍛え込んでおるな」


 続けてロシェとルシアを一瞥して、評価を下す。最後に、アストルに目を留めた。


「お前はなんじゃ。サボっとったんか」


「ちょ、そんな! 俺だって頑張ってますって! ほら、ほら!」


 慌てて、アストルは手を翳し、炎と風の球を作った。さらにはそれをひとつに合わせ、唸りを上げる火炎球に仕立てる。


 それを見て、ほう、とコース長は唸った。


「もう増幅ができるか。こりゃなかなか。侮っておったわ」


「俺、すごいっすか?」


「十分じゃ。けろりとしておるところを見ると、魔力のためにずいぶんと追い込んで鍛えたようじゃな。約束は覚えておるか?」


「もちろん! 覚えてますって!」


「一週間ではなく、九日が経ちましたけどね」


 ロシェの言葉に、コース長はふふ、と笑った。


「せっかく対眷属用の訓練まで入ったようじゃったからの。様子を見てたんじゃ」


「僕たちは、合格ですか?」


 エクレスは、訊ねていた。いち早く遺跡を見に行きたいわけではなかったが、この一週間の努力に、評価をつけてほしかった。


 コース長は、笑顔で一度、深く頷いた。


「合格。合格じゃ。わしの思ったところよりも、かなり先に進んでおる。そんなわけで、ごほうびじゃ」


「おおお! やったあ!」


 アストルは万歳をした。そのまま、コース長とハイタッチをする。


「いったい、なんの話を?」


 ローファスが、コース長へ質問する。彼は、ふたりの教官に顔を向けた。


「一週間前に、約束したんじゃよ。一定水準に達していれば、遺跡の見学を許可するとな。どうじゃ、そろそろ、見学に行かせるのは」


 教官ふたりは、露骨に顔をしかめた。


「いや……」


「さすがに早すぎるでしょう。まだまだ、チームワークの訓練も十分とは言えません」


 ローファスはきっぱりと断ったが、コース長はかぶりを振る。


「十分じゃろ。チームワークなんてものは、最初のフィーリング次第じゃ。慣れんやつとは、何度やったって一定以上のものにならんよ」


「それがコース長の言葉ですか?」


「おう。だから、班編成には細心の注意を払うんじゃ。お前もようく分かっておるじゃろ。実戦の重要性ってやつを」


 ローファスは額に手を当てて、深々と嘆息した。渋面を隠しもせずに、コース長へ問いかける。


「ですが、いきなりはさすがに承認しかねますよ」


「うむ、まあ……教え子を心配に思う気持ちも分かる。ふたりとも同伴で構わん。遺跡も、すでに調査の終わったベイレスに向かえ」


 それに、ローファスは少し気配を変えた。


「なにか危険があった場合、私たちで対処しても?」


「そうじゃなぁ。真っ先に手を出すことは許さん。こやつらに、まずやらせてみい。さすがにまずいことになりそうであれば、助けてやれ」


「……どう思う? グレイス」


 ローファスは、彼よりは動揺していないグレイシスに聞いた。彼女は、なんとも言えないというふうに、首を振る。


「どちらにせよ、コース長の考えたことだ。私たちは、ひとまず従うしかないだろう。むざむざ死にに行かせるような、無謀なプランには聞こえない」


「お前たちは、もし闇の眷族が出ても、大丈夫そうかね?」


 コース長は、ふたりの教官を尻目に、話をこちらへ移した。


「ものによるんじゃないかと思いますけど。俺たちわりといい感じだし、けっこうイケるかもしれないっすよ」


 軽く応じているのは、アストルだった。それに、コース長は頷く。


「案外、やってみるとイケるものじゃ。それに、本物と出くわしてみなければ、戦い方など掴めんしな。教官にもどきの役をやらせてみたところで、実戦ひとつの感覚には、到底及ばんのよ。それなら、弱っちいヤツでもいいから闇の眷族と戦ったほうがマシじゃ」


「コース長。お言葉ですが、それはあなたの、冒険者は慎重に慎重を期すべし、という考えの反対ではないですかね」


 ローファスが横槍を入れるが、コース長はにべもない。首だけそちらへ向ける。


「その優先順位は、ひとりひとりに合った教育プランを、よりも下じゃ。ボウズ。このまま仲良しごっこをさせておいて、いいと思うか? この状態で団結が深まるほど、あとで取り返しがつかなくなるぞ」


 なんのことかは分からないが、急に真剣味を増したコース長の言葉に、ローファスは額に手をやった。少し考えて、彼はまた嘆息する。


「……であれば、どうしろと?」


「言った通りじゃ。遺跡に見学に行かせる。調査の終わった場所でよいし、眷族と戦わんでもよい。お前たち教官もついていく。以上じゃ」


 コース長は、首をこちらへ戻した。先ほどから教官と話していたことを、おさらいのように言う。


「あやつが厳しいから、ひとまず、もう調査の終わった安全な遺跡の見学にいってらっしゃい。不測の事態のために、あやつらも同行させる。なに、眷族はいなくとも、闇の支配する領域の臭いを嗅いでくるだけでも、身になるものじゃよ」


 それから、ルシア、そしてエクレスを見てくる。


「慎重そうなおふたりも、どうじゃ。一週間経って、腹は決まっておるか?」


 エクレスは、ルシアと顔を見合わせた。彼女はまだ、逡巡しているようだった。


 なので、エクレスから先に答えた。


「行きます。見てみたいという気持ちは、あるので」


「……私も、行きます」


 それに、コース長は満足したようだった。


「よろしい、よろしい。達人になってから、遺跡に出掛けるわけにはいかんからのう。こういうときに大事なのは、まず一歩を踏み出す勇気じゃ。そして、自分がいつ死ぬのか分からない恐怖、臆病さについては、向き合ってみないと分からんものじゃ」


 コース長は、ローファスへ言った。


「すぐに準備をさせ、出発せい。手配しておくからの」


 その瞬間、コース長の姿がかき消えた。忽然と、今あったものが幻であったかのように、影も形もない。いつかの朝食の時と同じだ。


 エクレスを含めて、また班員全員で呆然としていると、グレイシスがローファスに話しかけているのが聞こえた。


「大変な班の担当になったものだな」


「……すまん。君には迷惑を掛ける」


「それはいいが。まあ、成り行きを見てみるほか、ないか」


 教官たちにとってはあまりにも急な遺跡見学の決定だ。相変わらず、ローファスは思案顔だった。


 ふと、袖を引っ張られたのに気がついた。見ると、ルシアだ。


「……大丈夫かな?」


 一週間前から、慎重な姿勢を保っていた彼女だ。だが、一緒にかなり訓練を積んできたし、早朝鍛練にも、嫌な顔をしていなかったように思う。だから、彼女も多少は乗り気でいると、エクレスは思っていた。


「分からない。でも、教官たちがいてくれて、見学に行くのは調査が終わっている遺跡っていうことは、安全ってことだろう?」


「そうだと、いいんだけど」


 エクレスは、ルシアをそれ以上勇気づけることはできなかった。


 自分もまた、熱心に鍛練に打ち込んできたが、この段になって、言い知れない不安を覚えていたからだ。

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