第三章

#1

 最初の授業を受けた日から、九日が経っていた。


 エクレスは、室内訓練場で、ロシェと木剣を手に相対していた。


 中段に構えた剣の切っ先が、触れるか触れないかの間合い。数十秒、膠着が続いていた。


 なかなか、仕掛けるタイミングは見出せない。彼の構えは隙がなく、剣術については、ローファスが手放しに褒めるほどの実力者だ。


 と。エクレスは、ロシェが小さく息を吸うのを感じた。仕掛けてくる。


「おおっ!」


 裂帛の気合いと共に打ち出される剣を、エクレスは左に弾いた。そのまま、彼の身体の左側を制するように、回り込む。


 崩れたロシェの胴を狙い、剣を振るう。が、それは素早く彼が引き戻した剣に受けられた。次の瞬間にはそこからエクレスの剣が払われ、無防備になった正面から、彼は体当たりを仕掛けてきた。


 こちらが構えるよりも速い。なす術なく、エクレスは吹っ飛んだ。


 板張りに尻もちをつき、起き上がろうとするが、それよりも先に、ロシェの剣先が鼻先に突きつけられ、動きを制された。


「よし、そこまで」


 グレイシスの止めがかかる。ロシェは剣を収め、手を差し伸べてきた。それに掴まり、起き上がる。


「なかなか、エクレスもいい動きだった。結果ほどには大差はない。ロシェも、うかうかしてはいられないな」


「そう簡単に、追いつかせませんけどね」


 軽く汗を拭い、ロシェは澄まし顔だった。


「エクレスは魔法がない分、武芸はみっちりだもんな。俺はそろそろ追い抜くとみた」


 そんなことを言うアストルに、ロシェはふんと鼻で笑った。


「お前には魔法の才はあるようだが。武芸はからっきしだからな。僕たちとどんどん差がついていく心配をしたほうがいいんじゃないのか」


「適材適所ってやつだよ。剣を振り回したりとかそういうのは、お前たちふたりに任せるって決めたんだ。俺がヒイヒイ言って武器を振り回すより、後ろからサポートするってのが、なんか正解みたいだし」


 呟き、アストルは人差し指を立てた。その指先に、炎と風の渦が灯る。彼はそれを眺めてから、消した。


 それから、ルシアに話を振る。


「俺が得意なのは、やっぱり闇が強いせいか、攻撃したりする魔法みたいだしな。防御に関しては、ルーシャみたいに、グレイス教官の魔法を受けることなんてできやしないし」


「でも、私は、アストルくんみたいに炎を飛ばしたりはできないから。ロシェくんみたいに剣を扱ったり、エクレスくんみたいに、いろんな武器を使ったりもできないし……」


 手と首を振り、謙遜するルシアだった。


 一週間と少しの期間ではあったが、エクレスたちは、自分たちでもなかなか上出来なのではないか、と思えるほどの力をつけていた。グレイシスは見ての通り厳しい、一切甘やかすことのない指導が特徴で、ローファスは反対にどんなことでも笑顔で手放しに褒めてくれる。この分かりやすい『アメとムチ』が、成長に一役も二役も買っているのかもしれない。ふたりが相当に優秀な教官であることは、一週間足らずで身に沁みて分かった。


 ロシェは、最初から持ち合わせていた総合力の高さから、各技能を満遍なく伸ばしていた。武器については、剣のみに絞っているが。彼は魔法の力も高く、特に剣に魔法の力を宿し強化する、『祝福』と呼ばれる技術に長けていることが分かっている。魔法の授業では、もっぱらそれについて重点的に訓練していた。


 アストルは、自己申告の通り、あまり身体を動かすことは得意ではなかった。しかしコース長が言っていた通り、魔法の才は飛び抜けているようで、彼だけはグレイシスの出す魔法の課題を、次々にクリアしていった。守り、防ぐ魔法は不得手でも、火球を飛ばしたり、空気の刃でそこそこの厚さの木板を裂いたりと、闇の眷族と戦うための魔法の力は十分に身につきつつあるようだった。


 ルシアは、案外動ける人だった。大人しい性格なものの、授業となれば積極的にエクレスに組み打ちを挑んできたりもする。あまり腕がいいとは言えないので、基本はエクレスが受けるだけになるが、それでも毎日続けていたため、体力はかなりついている。だが、ルシアの真骨頂は、強い光の性質を生かした魔法だ。それは、実技訓練で負った簡単なケガ程度なら、すぐ癒やすことができるほどのレベルにある。彼女はアストルの言うように、最近ではもっぱら、防御術を中心に訓練していた。


 エクレス自身は、武芸を重点的に訓練していた。相変わらず精霊は呼び出しに応えてくれない。そのため、武芸の実技訓練の時間が多くなり、それに熱心に付き合ってくれるローファスのおかげだが、剣ではロシェとそこそこやり合えるようになった。彼の慣れていない武器や格闘でなら、五分かそれ以上に渡り合えることもある。


 ここまでできるようになれたのは、教官の熱心な指導もさることながら、この学校の設備のおかげもあった。


 たとえば浴場の湯は、特製の薬湯であるらしく、激しい訓練のあとでもゆっくり浸かるだけで、嘘のように疲労が取れてしまう。他にも、食堂で用意される朝昼晩の食事は、料理人が工夫を凝らせたもので、味も栄養も文句ないものだ。


「さて。それでは、闇の眷族を想定した訓練に移るぞ」


 グレイシスが宣言をする。待ってましたとばかりに、アストルが立ち上がった。


 相手に闇の眷族を想定した訓練は、一昨日に始まった訓練だ。主に、人の形をした闇の眷族を相手取った場合に、どのように立ち回るか、その連係や対処を学ぶ。


 闇の眷族の役をするのは、ローファスだ。彼はエクレスたちの前に進み出てくると、魔法で長めの棒を作り出す。闇の眷族は大きく、三メートルほどの背丈があるものもいるという。その長いリーチを想定しての棒だった。


 ローファスは、無造作に立ち、微笑む。


「ようし。遠慮は無用だ。私を闇の眷族と思って、かかってきなさい」


 それは、お決まりの前口上だったが。今日はそこに、闖入者が現れた。

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