#7

 翌日の朝。エクレスは、誰よりも早く校庭に出て、柔軟体操をしていた。


 誰に言われたわけでもなく、エクレス自身の判断だった。時刻は午前六時。


 身体を捻りながら、頭の中から離れていかないのは、やはり昨日の精霊を呼び覚ます授業のことだ。実のところ、夜通しずっと、そのことを考えていた。


 身体は辛くない。元々、というか、十年前のあの日から、エクレスはほとんど眠ることができなくなっていた。


 眠ろうとしても、眠れない。あの日の出来事が悪夢として蘇るせいではなく、ただ単に目が冴え、眠れないのだ。たまに思い出したように、日中に眠くなることはある。そういうときは、ラルフに言って、昼寝をさせてもらっていたが、それも小一時間ほどで覚醒してしまう。


 ひょっとして、自分の中に眠るのは闇の精霊で、それが夜、自分を眠らせていなかったのかもしれない。そんなことも頭を過ぎる。


 あの後、ローファスとグレイシス、班員の皆は、総出で慰めてくれた。創世神話にある通り、闇は決して邪悪という意味ではないのだ、とか、訓練を積めば、いずれちゃんと使いこなせる、とか、闇カッコいいじゃん、どっちかというと俺も闇サイドみたいだし、とか、元気出して、とか、そういう言葉だった。


 ありがたかった。しかし、みんなには申し訳ないが、どのような言葉をかけられたところで、胸の内にわだかまる違和感が消えることはなかった。


 それがなんなのか、エクレスにも分からない。ただ、正視したくなかった。自分を加護する精霊の正体が闇そのものだったとは、できれば忘れてしまいたい。


 忘れるには、身体を動かすのが一番だと思った。校庭を使うとか、トラックコースを走るということは初めての経験だが、これを今なら独り占めにできるというのは、なかなか楽しそうではあった。強引にでも、気分を高める。


「エクレスくん」


 走り出そうとして、声が聞こえた。首を向けると、運動着姿のルシアがこちらへ小走りにやってくるのが見える。


 彼女がこちらに到着するのを待ってから、エクレスは聞いた。


「早起きだね」


「うん。……いや、えっと、ウソです。朝、苦手なんだけど、寝具とかが変わったせいかな、早くに目が覚めちゃって」


「ああ。枕が変わると、寝られないっていうやつ?」


「そうかも。エクレスくんも?」


「僕は……あんまり気にしないかな」


 そもそも、あまり眠ることがないのだから。


 そう胸中で呟きながら、昨日の入浴時にあった、アストルとロシェのやり取りを思い出して言う。


「アストルが言ってたんだ。枕が変わると寝られないんだよなーって。すぐにロシェが、僕は初日、お前のいびきのせいで寝られなかったがな、って言ってたけど」


 ルシアは、口元に手を当ててくすくすと笑った。


「男の子は、もう仲が良いよね。いいなぁ」


「仲、いいのかな。でもこれまで、同年の人と話をしたことがなかったから、楽しいよ」


「そうなの?」


 ルシアが目を丸くする。エクレスは頷いた。


「僕のいた村には、同じ歳の子供はいなかったんだ。みんな、六つか七つくらいの子ばかりで……そういうところだった」


「そうなんだ? 私も、そうだったよ」


 ルシアは、少し目を逸らした。が、すぐに顔を戻す。微笑していた。


「なんていうか、エクレスくんとは、似てる感じがするんだよね」


「それは……僕と、君が?」


「うん。農村出身、っていうところとか」


「そうだね。他には?」


「他に? うーん……。えっと」


 ルシアは考え込んでしまった。似てると言いつつ、共通点をひとつしか挙げられないのに笑ってしまう。


 エクレス自身も、ルシアと自分は似ていると思っていた。自己紹介で知ったもうひとつの共通点を、彼女に言う。


「僕も、知りたいことがあって冒険者になりたいんだ」


 言うと、ルシアは不思議そうな顔をした。丸く、金色に輝く瞳に吸い込まれないように注意しながら、エクレスは続けた。


「それは、冒険者にならないと、きっと分からないことなんだ。だから僕は……冒険者になりたいと思った」


 なんの意味もないような、曖昧な言葉に終始してしまったが、ルシアは反応を返してくれた。なにかに弾かれるように、どこか焦った調子で言ってくる。


「エクレスくん、もしかして――」


 が、それはそこで止まった。彼女を見返すが、続きは出てこない。


 ルシアは、かぶりを振った。


「……ううん。なんでもない」


 それから、彼女は顔に無理やり笑みを作る。


「でも、やっぱり、仲良くできそうだなって。なんていうのかな、ほら。農村出身だし。冒険者になる目的も、同じなんだもんね」


「そうだね」


「冒険者コース、一応他にも女の子はいるけど、他の班の子は、自分の班で忙しそうだし……。正直なところ、心細くて」


「それは、そうだろうね」


 同じ班員が残り全員男というのは、想像以上にやりにくいのだろう。エクレスにルシアの気持ちは、想像すらできないが。


「こうして、校庭に出て行くエクレスくんを見かけて、よし、話しかけよう、って思って来たのも、すごく勇気を振り絞ったんだよ? 昨日、グレイス教官に色々聞いてみたんだけど、とりあえず声でも掛けてみろ、としか言わないし……」


「そうなんだ」


 ずうっと同じような受け答えしかしていないな、とエクレスが自分で気づいたとき、ちょうどルシアも不審な目で見てきた。


「ちゃんと聞いてる?」


「聞いてるよ、うん」


「本当かなぁ」


 訝しむ彼女に、手を振る。


「何度も言うけど、こうして同年の人と話すことが初めてなんだ。勝手が分からない。僕のほうは、みんなの話を聞いているだけで、面白いんだけど。もちろん、ルーシャとこうして話をしていても、とても新鮮で楽しいよ」


 言うと、ルシアは微笑んだ。


「そういうところ。なんだか、話しかけてみようかな、って踏み出せたのは。同類……って、勝手に仲間にしたら、怒られちゃうかもしれないけど。お互いに、あんまり人に馴れてないでしょ? だから、そういうところも一緒かなって」


「一緒かもね。じゃあ、アストルや、ロシェにも話しかけてみるといいよ。いい人たちだし、すぐに仲良くなれると思う」


 勧めると、彼女は頷く。


「うん。班員は、力を合わせないといけないんだものね。だから、まずはエクレスくん、ってことで。みんなと仲良くなるのに、協力してね」


「うん。分かった」


「おーい!」


 頷き返すと、呼び声がした。そちらを見ると、アストルが手を振りながら寮の入口から出てきたところだ。ロシェも、やや遅れて続いている。


 とりあえず、エクレスは手を振り返した。ルシアも倣って、手を振り始める。

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