#6

 おお、とアストルがひとりで色めき立った。


「分かるんですか、それ。今すぐ?」


「ああ、分かる。今すぐにな」


「教官は、僕たちが一体どの精霊の加護を受けているか、もう知っているのですか?」


「ある程度はな。が、実際に見てみるまでは、下手なことは言いたくない。まずは、両の手を腹の前に持ってこい。手のひらは上に。やや大きいボールを受けるような感じのポーズだ」


 質問するロシェの後ろで、ルシアがひょこひょこ身体を動かしているのに、エクレスは気づいた。どうやら彼の背が高いので、グレイシスの様子がよく分からないらしい。


 こうなるなら、ふたりよりも背の低い自分たちが、前の列のほうがよかったかもしれない。入室して、アストルがいきなり前に座ったせいだが。


 思いながら、エクレスは右へ一歩ずれた。すると、それに気づいて、ルシアも一歩動く。ロシェとアストルの間に入り視界が確保された彼女は、笑顔で会釈してきた。


 エクレスは、グレイシスの指示する形に、両手を持っていった。


「これで、どうするんですか?」


「慌てるな。私がひとりずつ声を掛けて、精霊を呼び覚ます。お前たちはその姿勢のまま、立っていればいい」


「そんなすごそうなこと、教官はできるんですか」


「まあな。まあ、元々お前たちにくっついているものに声を掛けて出てきてもらうだけだ。多少のコツはいるが、難しいことではない。精霊の力の覚醒には、自力でできる場合もあるが、他者からの呼びかけのほうが効果的なんだ。なぜかは分からんが」


 と、グレイシスはまず、アストルに手を翳した。


 そして、告げる。


「アストルの内に眠る精霊よ……目覚めよ。そして、この少年の力となることを、ここに示せ」


 すると、アストルの手のひらの上の空間に、赤、緑の輝きを宿した、握り拳大の光がふたつ現れた。それを見て、彼は悲鳴をあげる。


「うっ、うおあぁ! 出たあ! なんか出たあ!」


「やかましい。心を平静に保て。おい、ローファス」


 呼ばれるまでもなく、ローファスはグレイシスの隣に進み出てきていた。ふたりしてアストルの生んだ光を見て、頷く。


「火と風の二系統。そして、闇がかなり強い。間違いないね」


「だな。よかったな、アストル」


「そ、それは、いいことなんでしょうか……?」


 おそるおそる聞いているアストルに、グレイシスはふっと笑った。


「殺られる前に殺ればいいだけのことだ。身を守る術や、治療する術には劣るだろうが、熟達すればそれすらもある程度はこなせるようになるだろう。それまではまあ、班員を頼りにすることだな」


「りょ、了解っす。ところでこれ、どうすればいいんですか?」


 手のひらの上にある精霊の光を示すアストルに、ローファスが言った。


「消えていいよ、と念じてごらん。精霊の力は、最初に呼び出せさえすれば、あとは本人の言うことを聞いてくれるようになるんだ」


「分かりました。消えていいぞー……お、ホントだ消えた!」


 ふわり、と湯気が空気にかき消えるように、赤と緑の光が消える。アストルは、大いにはしゃいでいた。


「じゃあこれ、俺ってもう自由に出せるんですか? もう魔法も使えたり?」


「これはまだ初歩の初歩だよ。魔法は、この精霊の力に、なんらかの性質を付与することで発現する。たとえば、このようにね」


 ローファスは、一歩下がると、右手を虚空に翳した。


「出てこい」


 言って、彼は中空からなにかを掴み、引き出した。見えない鞘から抜くように、なにもない空間からすうっ――と一振りの剣が出てくる。


 それを示して、彼は言った。


「こんなような感じにね。まぁ、こういうことができるようになるのは、だいぶ先になるだろうけど。訓練すれば、君たちもできるようになる」


「すっ、すげえ……!」


 驚愕するアストルに笑いながら、ローファスは剣に消えろ、と囁いた。すると、剣は忽然と消滅する。


 エクレスも驚いていた。魔法とは、雲を退けたり、なにもない場所に火や風を起こすものかと思っていたが、武器などを作ることもできるのか。


「教官のそれって、なんの精霊の力なんですか?」


「今の剣は、土だね」


「じゃあ、俺には無理なんですかね」


「いいや。精霊が違っても、できることに大差はない。多少の向き不向きはあるけどね。アストル君なら、空気を圧縮するようなイメージを使えば、不可視の剣を作ることができるだろうね。火の精霊なら、もっとおっかない剣を作ることができる。あるいは、その両方の性質を複合させて、さらに破壊力を高めた武器を作ることも」


「ま、じすか……」


 アストルは、自分の手をまじまじと見つめた。顔を上げると、一転、彼の顔からはしゃいでいた気配が失せている。


「でも、これ……。なんていうか、ヤバい力ですよね」


 神妙になったアストルとは対照的に、ローファスは笑っていた。


「そうだ。この時点で浮かれ通すのではなくて、そこに思い至るのなら、大したものだよ。君の言う通り、魔法は凄まじい力だ。発現には体力を使うから、代償がないわけじゃないが。悪くするとそれこそ古代のヒトのように、この力でお互いを傷つけ合うことになりかねない」


 ローファスの言葉を受けて、グレイシスも言う。


「私の魔法の力ですら、ひとつの都市を滅ぼすことはたやすい。ローファスなら、この王都を滅ぼすことすら、朝飯前だろう。コース長であればそれこそ、この世界そのものを滅ぼすことのできる力を持つと言っても過言ではない。そしてそれは、冒険者を目指すお前たちも、そういう存在になり得る、ということだ」


「……道を踏み外した冒険者はいないんですか?」


 ロシェが問う。ローファスは笑顔を崩さず、言う。


「ごく、ごく稀にいないわけではないが。そういう連中は、コース長が直々に、責任を取っているよ。だから、大丈夫だ」


 迂遠な言い方が、なにか空恐ろしいものを感じさせるが。


 すぐさま、ローファスが手を叩き、空気を切り替える。


「辛気臭いのはここまでにしておこう。次はロシェ君だね」


 言われて、ロシェはグレイシスに向き直った。彼女は、先ほどアストルに言ったものと同じ言葉を、もう一度唱えた。


 ロシェの手のひらに生まれたのは、青、茶の光だ。ふたりの教官が頷く。


「水と土か。そして、光に寄っているな」


 言われてみると、アストルのそれよりも、明るく光っている気がした。


「そうだね。ということは。アストル君が攻撃で、ロシェ君が防御というふうに、役割分担ができるね」


「……なんだか、不本意な響きですね」


 重々しく、ロシェは言う。アストルは抗議した。


「なんでだよ。大事なのはチームワークだろ? 攻撃は俺に任せろよ。ロシェはしっかり俺を守ってくれ」


「なぜか、引っかかるな……。これがエクレスかルーシャの言うことなら、役割のひとつだと受け入れられそうな気がするのに」


 釈然としていないロシェを、ローファスがなだめにかかる。


「まあまあ。光が強いとは思うけど、訓練次第なところはあるから。私なんかは、闇が強いけど守りも得意だよ」


「そうなんですか。では、僕も修練に努めます」


 ロシェは光を消した。次にグレイシスが示したのは、ルシアだ。


 精霊を呼び覚ますための言葉を唱えると、ルシアの手のひらに、四つの眩い光が現れた。


「これは……」


 思わず、といったふうに、グレイシスが呟く。


 ルシアの光は、ほとんど白い。正視するのも難しいほどの白さで、注意深く見てやっと、赤、青、緑、茶の色が分かる。


「四系統……。そして見ての通り、光が強い」


 ローファスが判じる。グレイシスは、まだ驚いている。


「……凄まじいな、これは」


「あっ、あの。これって、大変なことなんですか?」


 ルシアは精霊の光を手のひらの上に出したまま、おろおろしている。なだめるのは、またしてもローファスの役目だ。


「ものすごく珍しい才能なのは間違いない。でも、怖じることはないよ。それらは元々、君と一緒にいたものだ。だから、分不相応なんてことはないし、胸を張って、君の考える正しいことのために、力を借りればいい」


 ローファスの顔と、手のひらの光と、交互に見てから、ルシアは頷いた。


「分かりました。……これから、よろしくね」


 ルシアが光に語りかけると、それらはかき消える。


 そして自然と、最後のひとりであるエクレスに、視線が集まった。


 やはり緊張して、姿勢を正す。ひとつ深呼吸をしてから、エクレスはグレイシスに頷いた。彼女は、これまでの三人にしたように、手を翳し、唱える。


「エクレスの内に眠る精霊よ、目覚めよ。そして、少年の力となることを、ここに示せ」


 ぞくり、と全身が総毛立った。なにか得体の知れないものが、自分の中から、出ていく。


 それは一瞬の感覚だった。気がつくと、エクレスの手のひらの上で、四つの球が、ふわふわと浮いている。


「これは……」


 アストル、ロシェ、ルシアは怪訝な顔をしていた。エクレスも、自分がそういう顔をしているに違いないと思った。


 浮かんでいるのは、どれも漆黒の球体だ。お世辞にも、光っているとは言えない。色を判別することは不可能で、一応四つはあるから、四系統ということになるんだろうか。


 光ではなく、黒い霧のようなものが立ちのぼるその様子は、十年前、村に死をもたらしたあの怪物に似てすらいる。


「これは……闇に振り切ってるってことか?」


 ぽつんと言ったアストルの言葉は、静かな教室に、やけに大きく響いた。


 エクレスは不安になり、ローファスを見た。


「それは、消せるかな」


 言われて、エクレスは闇の塊に念じた。消えろ、と。


 しかし、闇の塊はこちらを嘲笑うように中空へ鎮座し、うんともすんとも言わない。


「消えないんですが……」


 やっとの思いで言うと、ローファスも首を捻るばかりだ。


「それは、妙だな」


 彼の言葉の調子には、もう余裕を感じない。不安が恐怖へと変わり始めた頃、やっと思いが通じたのか、闇の塊は、ふうっと消えた。


 しばらく、場を沈黙が支配する。それでも声を掛けてくれたのは、ローファスだ。


「エクレス。もう一度、呼び出せるかどうかやってみてくれ。このように唱えるんだ。『この身体に宿る精霊よ、主の前にその姿を示せ』」


 頷いて、エクレスは唱えた。


「この身体に宿る精霊よ、主の前にその姿を示せ」


 だが、なにも起きない。先ほどは消えなかったばかりではなく、今度は呼びかけに応じすらしない。


「……お前の精霊は、なかなかの聞かん坊のようだな」


 グレイシスが、冗談めかして言ってくれるが、エクレスは、それに笑う気はしなかった。

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