#5
再び白墨を手に取ると、グレイシスは黒板になにかを書き始めた。ひし形の頂点に配置するような具合に、火、水、風、土、と記して、彼女はこちらを見る。
エクレスも紙を束ねたノートを広げて準備をしたところで、グレイシスは言った。
「いちいち、私の言ったことを全部書き取る必要はない。覚えておけるというなら、書かなくてよい。遺跡の中でメモを広げるよりも、頭の中から情報を引き出せるほうが、リスクの軽減に繋がるからな」
「でも最初は、面倒でも書き取っておくことを勧めるよ。覚えることは後からでもできるし、さらに経験を伴うことで定着する。君たちは、なにが必要な情報なのかも分からないし、いろんな情報を取捨選択できるようにするための訓練だと思って、まずは私たち教官の話を聞くことだ。幼稚な話に聞こえるかもしれないけど、こういうことをしっかりできる人は、意外と少ないからね」
ローファスの補足に、エクレスはなるほどと頷く。情報をいるものといらないものとに分けることは、確かに、冒険者に必要な、馬鹿にできない能力に聞こえる。
グレイシスは次に、黒板に書かれた四つの文字を示した。
「これがなんのことか分かるか? そうだな……ルーシャ」
名指しされて、少し戸惑った後、彼女は答える。
「精霊……ですか?」
「その通りだ。お前たちは、創世神話を知っているな? 原初の神が光の神を作り、光の神が流した涙が世界となった、というアレだ」
エクレスは頷いた。ロシェ、アストル、ルシアも頷く。
「アレは単なるおとぎ話だと思うか? アストル」
「えっ、おとぎ話なんですか?」
疑うことを知らない様子で、アストルが聞き返す。
グレイシスは曖昧に首を振った。
「それを調べること、あるいは手がかりを入手することは、私たち冒険者の仕事のひとつだ。それが真実なのかどうかを知るために必死になっている連中もいる、という程度の意味でしかないが――」
グレイシスは続けた。
「今のところ、創世神話は正しい。というよりは、創世神話の誤りを指摘できない、と言ったほうが正しいか。枝葉の部分ではなく、根幹の部分でな」
「誤りを指摘できない、とはどういうことですか?」
ロシェの質問を聞いて、グレイシスは再び、木椅子に座った。
「順にいこうか。光と闇の神がいた。光の神は生き物を作った。闇の神はそれを真似して、みにくい生き物を作った。それは穴を掘ったりなどして、独自の住み処を作った。やがて神はヒトに言葉と文字を与えた。火水風土の精霊も与えた。光の神の作ったヒトと闇の神の作ったヒトは混血した。その後、増えたヒトは戦争を繰り返した。それにみにくい生き物も加わった。涙の世界は何度か滅んだが、やがて、平和な時代がやってきた」
創世神話の要約だ。聞いていると、それだけでグレイシスの姿に姉の姿が重なる。
が、それを振り払って、エクレスは話に集中した。
「私たちは魔法を使うことができる。ただし、現在それには素養が必要で、誰にでも使えるわけではないんだ。魔法の素養を持つ者を、私たちは『精霊の加護を持つ』と表現している。魔法は、火水風土の要素をもって発現するからだ」
「あと、精霊の加護に加えて、もうひとつ、重要なものがある。光のヒトと、闇のヒト、どちらの血が濃いのか、ということだ。俗に、光の神は再生や誕生、闇の神は破壊の象徴として知られているが。私たちの魔法にも、これが適用される」
グレイシスの後を継いで喋ったローファスに、アストルが質問する。
「光の神さまの血が濃いと再生の魔法、闇の神さまのほうが濃いと破壊する魔法が得意になる、ってことですか?」
「まさにその通りだ。魔法が使えるか使えないかは精霊の加護次第。それがどのような形で現れるかは血次第、というふうに考えるのが、現在の主流だ。ひとまず私も、それについて異論はない」
エクレスは、圧倒されながら話を聞いていた。
そもそも、ずっと農村で暮らしていたため、魔法なんてものは本の中で読んだことしかなかった。この世界にそれがあるとは知っていても、現実味は伴っていなかったのだ。
グレイシスが、話を続ける。
「冒険者には、魔法の力が必須だ。というのも、比較的最近の取り決めではあるが。魔法を使えない冒険者は、今、ほとんどいない。この学校ができて、そしてそのコース長が、独自に精霊の加護を持つ人間を見定める方法を見つけてから、魔法は冒険者の必須技能となった」
ロシェが、グレイシスに言う。
「ここに入学するための試験というのは、もしかして。冒険者コースには、精霊の加護を持つ人間しか合格できない、ということなんですか」
「ご明察だ。冒険者を志すものは、当然他に比べれば少ない。その中からさらに精霊の加護を持つものを、と選別すれば、この程度の数に落ち着く。それにしても、今年は少ないほうだったが。そういうこともあるだろう」
それは、ローファスも言っていたことだ。
この大陸の人の何割が精霊の加護を持つのかは分からないが、ふたりの教官の言葉から考えると、かなり少ないのかもしれない。
グレイシスは、腕を組んだ。
「神話の、他の部分についても気づいているとは思うが。みにくい生き物……私たち冒険者は、これを闇の眷族と呼んでいる。それが築いたものや、洞窟を、私たちは主に遺跡と呼んでいる。そこには、古代からなのかなんなのか分からないが、事実としてまだ、侵入者を脅かすためにみにくい生き物――闇の眷族は住みついている」
闇の眷族。それを聞いて、手のひらに汗をかくのを、エクレスは感じていた。
自分を見下ろす、暗黒を身にまとう怪物。父と母を惨殺した血まみれの爪――それは、今も脳裏に焼きついている。
ローファスの声が聞こえる。それでエクレスは我に返った。
「古代の人間が住んでいた街の跡なんかも、もちろん遺跡と呼ばれる。そちらに闇の眷族はいないから、多少は安全だ。もっとも、古代の彼らも魔法が使えた。それを利用した罠があったりして、注意は必要だけどね」
「闇の眷族は、当然闇を好む。だから、我々の立つこの大地の下に、彼らの遺跡はある。古代人の遺跡と違い、ほとんど無事な状態で残されている。地下だから、戦争の時代の被害を、最小限に留めたのだろう。もちろん、戦争のせいで地中に埋まったと見られる古代人の遺跡もあるが」
「そういうわけで、私たちの世界の状況を、神話は適切に説明しているね」
まとめたローファスの言葉を聞いて、ロシェがグレイシスに聞いた。
「誰かが、後から適当に説明をこじつけたというのは?」
「否定できない。が、肯定もできない。結局のところ、神話が事実だとはっきりさせたいのなら、光の神か闇の神か原初の神の首根っこを捕まえてこの世界に引きずり出し、私が作りましたと白状させるしかない。その場合にも、それが本当に神で、かつ発言が虚偽でないことを証明せねばならん」
ふん、とグレイシスは笑った。
「実りのない議論だろう。そんなことを論じるよりかは、精霊の加護を素直に神さまからの便利な贈り物と解釈して、ただ恩恵にあずかればいい。神話が正しいのか疑うよりも、信じたいものを信じる人間のほうが多い。それも、当然の話だ」
それは、そうなのだろう。姉からこの話を読み聞かせられていたとき、そもそも、誰が神さまのやったことを見て、これを記したのか、子供心に不思議だった。
ロシェ、グレイシスが言ったように、解釈はどのようにもできるし、信じたいように信じられる。しかし、真実を知る方法というのは、今のところないということか。それを知ろうとしているのが、冒険者という職業であるらしいことは分かった。
ぱちん、とグレイシスが指を鳴らした。彼女は椅子を立ち、エクレスたちにも立ち上がるように促した。
「だから、実際的な話をしよう。差し当たっての関心事は、自分が一体どの精霊の加護を受けているのかだろう」
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