#5

「普通の学校や、寮と玄関はほとんど変わらないよ。君の靴箱はあっち。外履きはそこに入れて、室内用のものに替えなさい」


 ローファスに言われるまま、エクレスは靴箱に向かった。冒険者コース入学にあたって、ラルフ夫妻から贈られた靴をしまい、最初からそこに入っていた室内用の靴を取り出す。


 これを使っていいものかと考えていると、ローファスが言ってくる。


「それは無料で支給されるものだから、遠慮なく使ってくれ。サイズも合ってるはずだ。それとも、自分のものがある?」


「いいえ。買うための、お金は持っていますけど」


「じゃあ、そのお金は取っておくことだ。備品は寮内の売店でも取り扱っているけど、タダなのは最初のひとつ目だけだからね。ちなみに売店は、そこだ」


 ローファスは、靴箱を上がってすぐのところにあるドアを示した。開け放たれており、エクレスの立っている場所からでも、中を窺える。奥になにやら商品の陳列された棚が見え、見本に運動着を着させられた木人形が入口の傍に立っている。


 ローファスも靴を履き替えると、玄関から上がる。エクレスが目で次はなにか、と問うと、彼は左手を示した。


「寮は、ロの字型をしているんだ。反時計回りに見ていこうか。基本的なルールとして、建物の右側は女の子、左側は男の子が使うと覚えておいてくれ」


 と、くるりと彼は振り返り、エクレスに笑いかけた。


「間違っても女の子にちょっかいをかけようなんて思わないことだ。まあ、やらないとは思うけど、念のためね」


「教官はかけたことがあるんですか?」


 言ってみると、ローファスはぶっと吹き出した。それから、かぶりを振る。


「まさか。私がそんな男に見えるか?」


「いやあ。微妙ではありますね」


「傷つくなぁ。真面目でチャーミングというのが、私のいいところなんだが」


 少し間を置いて、彼は続ける。


「でもまあ、私もここの生徒だったわけだが。当時の班員に勇者がひとりいたな」


「どうなったんですか?」


「とても酷い目に遭っていた。彼の名誉のためにも、寮長の命令で『一ヶ月間女装して生活』という罰が下されたなんて、言えないな」


 見事に喋っている。と、売店のほうからしわがれた声がした。


「こら、ローファス。いつまでンなところで突っ立って喋ってんだい。とっととボウヤを案内してやんな」


 そちらを見ると、老婆が売店の勘定台からこちらに首を伸ばしている。


 それにローファスは肩を縮めて、エクレスを先に促した。


「あれが寮長のミスラさんだ。まさに歴戦の戦士というやつだよ。逆らわないほうがいい。彼女からすれば、私もまだまだ子供さ」


 喋りながら、廊下を進む。最初の角を曲がり、奥へ進むと、左手に両開きのドアがある。


「ここは食堂。反対側にもドアがある。で、突き当たりは女湯。間違っても覗きなどはしないように」


 廊下突き当たりのドアを示して、ローファスは左に折れた。


「左右対称に作られているから、当然向こうの突き当たりにあるのが男湯だ。で、浴場に挟まれているこのドアは、養護教官の詰め所。いわば保健室だね。保健室は、校舎のほうにもあるから、ケガをしたり、体調が悪い場合は、遠慮なく訪ねるといい。ただし、具合も悪くないのに訪ねると怒られるので、それはやめておくこと」


 また廊下を突き当たり、曲がる。左手にあるドアは食堂だと先ほど言われたので、ローファスも特に説明はしなかった。


 廊下は薄暗い。大きなガラスの窓が等間隔でついてはいるが、隣の教官用の寮のせいで、採光がいまいちなようだ。


「どうかしたかい?」


 気配を読んでか、声を掛けられる。エクレスは、思っていたことを言った。


「薄暗いですね、けっこう」


「隣が隣だからね。でも、そのお詫びに、校舎の裏は綺麗な芝生に、花壇なんかが作ってある。天気のいい日には、売店でおやつと飲み物でも買ってそこで食べると、なかなか気分がいい。おすすめするよ」


 と、階段に行き当たった。つまり、玄関を出てすぐ左に、階段がある。


「これを昇れば、いよいよ君たち生徒の領域だ。何度も言うが、こっちじゃない右のほうにある階段に足をかけた瞬間に、命の保証はできかねる。気をつけることだ」


「そもそも、男女別の寮を作ればよかったんじゃないですか?」


 エクレスは、だいぶローファスとの会話にも慣れ、それが楽しく感じられてきた。彼のほうも、身振りがややくだけてきている。


 彼は肩をすくめた。


「予算の問題だよ。そもそも、冒険者コースを志す女性というのは、あんまりいないからね。冒険者の素質のありそうな子でも、精霊学や魔法学に進んでしまうことが多いんだ。だから、そのためにいちいち寮を作るのでは、割に合わないのさ」


 そういうものか、とエクレスは頷いた。となれば、班にいるというひとりの女の子は、珍しい存在ということになる。


 階段を昇ると、一階とほとんど同じ構造の廊下が目に入る。違うのは、ドアが等間隔に並んでいるということだ。


 その一番手前にあるドアの前に進んで、ローファスは手招きをした。


「ここが君の部屋だ。さあ、入ってみるといい」


 エクレスははやる気持ちを抑えて、ドアに進んだ。息を整えてから、開ける。


 中は、白を基調とした落ち着いた雰囲気の部屋だ。ベッドに、勉強机など、学校生活にいるものは一式が揃っているように見える。


「他の部屋より、ちょっと狭いけどね。それでも、これより少し広い部屋をふたりで使うよりはマシだろう。どうだい?」


 エクレスは声もなく頷いた。ようやく、自分は今日からここで寝泊まりし、学ぶのだという実感が伴ってくる。


 部屋の床は、なんだかふかふかしていた。廊下の板張りとは違う。これが絨毯とか、カーペットとかいうものだろうか。それすらも初体験だ。


「今日はゆっくりと休むといい。午後七時過ぎに、食堂で夕食が食べられる。その後は、さっさと寝てしまうのがいいだろうな。明日は九時から入学式だからね。コース長の挨拶、班員との顔合わせ。それから、より詳しい学校の案内をして……と盛りだくさんだ」


 ローファスはドアに手を掛けて、最後に言った。


「式の格好はなんでもいいからね。九時までに校庭に出ていてくれ。私を見つけて、声を掛けてくれればいいから。それじゃあ、寝坊だけはしないようにね」


 そして、ドアが閉められる。まず、エクレスはメイからもらった白い花を取り出して、机の上に置いた。もらったときには気づかなかったが、それは紙と布、針金を組み合わせて作った、造花だった。普通の花だと、王都までに萎れてしまうことを考えて、わざわざ作ってくれたのだろう。少々いびつだが、それが微笑ましい。


 偶然、机の上には一輪挿しが置いてあった。それに飾ってみると、いい雰囲気がある。メイの泣き顔と、精一杯馬車に向かって手を振る姿を思い出して、エクレスは自然と笑顔になった。


 これから、ここで冒険者を目指して勉強していかなければならない。立派な冒険者となって村に凱旋するために、頑張らなくては。

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