第一章
#1
エクレスは、荷物の点検をしていた。出発に必要なもの、必要のないもの、それらを部屋の中から慎重に確認して、考える。その途中で、本棚から幼児向けの創世神話の本を見つけたため、つい昔を振り返っていたのだ。
古い本の表紙を撫でる。この本は、あの夜に姉が読み聞かせてくれた本ではない。あの惨劇によって身寄りをなくしたエクレスを引き取ってくれた、ラルフ、メイジー夫妻の所有するものだった。
それを本棚に戻してから、エクレスは改めて胸の内で両夫妻に感謝した。ふたりは生活の面倒に加えて、読み書き、学問の初歩、農作業、簡単な武芸について教えてくれた。さらには、王都の冒険者の学校へと進学したいと言ったエクレスの希望にも、便宜を図ってくれた。どれほど感謝しても、しきれない人たちだ。
とんとん、とノックの音がした。はい、と答える。
ドアが開いて、ラルフが顔を出した。
「そろそろ、馬車が来る時間じゃないか。準備はできたかね」
「はい。大丈夫です」
「では、外で待ってるよ」
ドアが閉まる。エクレスは、これもラルフからの餞別としてもらい受けた、立派な牛革の鞄を手に持った。年代物だが耐久性は十分で、これがあれば大陸中を旅できそうだ。当面の予定では、片道七日間の小さな旅しかないが。
エクレスは、これから街を出る。
冒険者となるために、王都の訓練学校へ入学するのだ。
村をなにかが襲ったあの夜から、十年が経っていた。
エクレスは、今年で十六歳になる。
結局、あの村には、生存者はエクレス以外、誰もいなかったらしい。らしい、というのは、あまりラルフ夫妻は詳しいことを話したがらなかったし、エクレスも聞けなかった。ただ、なんとなく、そうなんだろう、と肌で感じるほかなかった。
エクレス自身は、誰かの手によって、村から救い出されたということだった。ほとんど瀕死だったが、適切な治療のおかげで、一命を取り留めることができた。
しかし、助けてくれた人に会うことはできなかった。エクレスがラルフ夫妻の家で目を覚ましたのは、あの夜から数週間ほど経ってからであり、あの夜の記憶の最後、おぼろげに覚えているあの金髪碧眼の人は当然、影も形もなかった。
あの人は誰なのか。姉はどこへ行ったのか。村に、そもそもなにが起きたのか。そんな疑問を抱えたまま、エクレスはラルフ夫妻の元での新しい日々を過ごしていた。
そして、八歳になった頃だったと思うが、冒険者という職業の存在を知った。きっかけは、夕食の席で、ラルフがそのような職業があると教えてくれたことだった。
なんでも、野山などの大地には、不可思議な遺跡、洞窟が残っているらしい。そこには邪悪な生き物がいて、古代の人々が残した財宝なんかも一緒に眠っていて、それを発掘したり、調査して、保全したりする人たちがいるという。
メイジーが、話をするラルフを肘で突いて話を制していたのを覚えている。その邪悪な生き物に故郷を滅ぼされた子供に聞かせることではない、と思ったのだろう。だがそれを聞いた時、エクレスの内心では、あの夜の恐怖よりも、興味のほうが勝っていた。その話を聞いて、あの晩に姉から聞かされた話も、思い出していた。
エクレスが冒険者についての質問をすると、ラルフは、詳しく話を聞かせてくれた。彼によると、冒険者になるには、学校へ行き、認められる必要があるとのことだった。遺跡は大切なものだから、入って調査をするには、資格とか、そういうものが必要なんだとか、冒険者を育成する学校は王都にある、とか――
それらを聞かせてもらい、相槌を打ちながら、エクレスは、ほとんど心を決めていた。一通り話し終えてから、ラルフは質問をしてきた。
「冒険者に、なりたいのかね?」
それには、エクレスはほとんど即答した。
「はい」
「どうしてだね?」
聞かれて、色んなことが身体の中を渦巻いた。
――なぜ、故郷の村にあんなことが起きたのか。
――助けてくれたあの男の人は誰だったのか。
――姉は、どこへ消えてしまったのか。死んでしまったのか、生きているのか。
しばし間を置いて、エクレスは答えた。
「ぼくの知りたいことを知るには、冒険者になるしかない。……そんな気が、します」
「そうか」
ラルフは、笑みを湛えて、頷いていた。彼の笑顔は、あの晩、姉が部屋を出て行く前に見せた、なにかを悟ったような笑顔に似ていた気がする。
深く追及することはせずに、その日から、ラルフはエクレスに色々なことを教えてくれるようになった。そして、今年の三月の始め、王都へ試験を受けに行った。試験は簡単な筆記に、面接、医師による検診くらいのものだった。冒険者を育成する部門は非常に狭き門なのだと聞かされていたため、拍子抜けしたほどだ。
実技試験などもなく、あまりにも簡単だったためにむしろ不安だったが、三月の頭に、王都から遣いが来た。
それは、試験の結果の通知だった。エクレスは無事試験に合格していた。
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