#2
今年で六歳になるエクレスは、寝かされたベッドの中で、姉の語る創世神話に耳を傾けていた。
「……はい、おしまい。どう? ぼうや。もう寝る気になった?」
語り終えて、本を閉じた姉、アーシアが額を撫でてくる。
それに、エクレスは目を細めた。胸元に光る、涙の雫の形をした石のついたペンダントと、姉の顔を交互に見る。
「もう一回読んで」
「また? あんた、これ好きねえ」
姉はくすくすと笑った。このやり取りは、姉が村に戻ってきたときの、お決まりのやり取りでもあった。エクレスが眠るまで、姉は創世神話を読み聞かせてくれる。読み終わると、それをもう一度とねだる。姉が苦笑する。
姉はエクレスを撫でた手で、長い艶やかな黒髪をかき上げると、本を枕元のテーブルに置いた。それから、言う。
「もういいでしょ、本は。あんたに読み聞かせるたびに金貨を一枚でも貯金箱に入れていたら、きっとすぐに大金持ちになるでしょうね」
そう言われても、と思う。特に創世神話が好きだというわけではなかった。ただ、理解できて、かつ読むのに一番時間のかかる話が、それだったというだけだ。
冬が明けて、久しぶりに会う姉なのだ。もっと、一緒にいたい。
ただ、姉は一度こうと決めたらテコでも動かない頑固さがある。つまり、もう本は読んでくれそうにないこの姉に、それならば、とエクレスは、次策を実行に移した。
「じゃあ、昨日も話してくれた、外のお話がいい」
「外のお話? ようし、分かった」
本を読むように頼んだときとは違い、外のお話を頼むと、姉は決まって乗り気だった。まず気合いを入れて腕まくりをする真似をして、次に椅子に座る尻の位置を直してから、色々な話を聞かせてくれる。
「前も言ったことだけど。このあたりにだって、さっきのお話に出てきた『みにくい生き物』の作った洞窟やら、そういうものがあるの」
「うん」
「おとぎ話にだって、侮れないところがあるものよね。この世界には、精霊がいて、みにくい生き物もいて……もしかすると、神さまだって本当にいて、私たちを見ているのかもしれない」
独り言のように姉はまくしたてて、それから続けた。
「そうそう、外のお話だったわね。面白いことといえば――」
姉は視線をちらりと右上に投げて、それから頷く。
「コークスっていう街、分かるでしょう」
「うん。お姉ちゃんが、お仕事に行ってる街」
「そう。コークスのそばにも、洞窟があってね。そこに、入ったのよ。外の光なんて入口を少し照らすだけっていう、そういう洞窟だったわ。真っ暗なね」
脅かすような口調になった姉に対して、思わず首を縮める。
「……お姉ちゃんひとりで?」
「さすがにひとりじゃないわよ。ああ、そうそう。私ね、恋人ができたのよ」
「こいびと……ってなに?」
「難しいこと聞くなぁ。うーん。まぁ、大切な人? なんかちょっと違うな……。まぁでも、そういう感じのヤツ。パートナーとか。お父さんに対するお母さん、お母さんに対するお父さんみたいなヤツよ。それの、タマゴみたいな」
「そうなんだ」
姉の説明がよく分からないときは、とにかく頷いておくに限った。それで姉も満足して、話が次へ進む。
「全然分かってない顔してるけど。あんたも、大きくなったら恋人ができたりして、そんなふうになるのよ。私みたいにね」
「お姉ちゃんみたいに?」
「ええ」
姉は頷く。エクレスは、姉のように振る舞う自分を想像した。
村の外に出ても怒られることはなく、いろんなことを知っていて、それを人に話して聞かせることができる。
「楽しそう」
「楽しいわよ。村の外にはね、いろんなものがあるから。馬車に乗ってみたい?」
「乗ってみたい」
「見たことのない食べ物や、飲み物だってあるわ」
「すごい」
エクレスは、素直にそう返すのがやっとだった。それを見てか、姉はまた、額を撫でてくる。
「でも外には、危ないものもたくさんあるから。外を冒険するには、まずはしっかりと寝て、大きくならないとね」
姉は、毛布をエクレスの胸まで引き上げて言った。もう、話はお終いのようだ。
姉が立ち上がろうとする前に、エクレスは、ふと頭に湧いた疑問を投げた。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なに?」
「『みにくい生き物』って、本当にいるの?」
聞いて、姉は笑ったようだった。身を乗り出して、エクレスの顔を覗き込む。
「なに、恐くなっちゃった? おねしょ癖は、去年やっと治ったってのに」
「う、うるさいな。ただ、本当にいるのかな、って思って」
姉は微笑した。ランプの明かりに照らされて、オレンジ色をした笑みだった。
「いるけど、ここには来られないわ。この村には、周りを見張ってくれている人がいて、明かりに囲まれている。そしてこの家には、お父さんたちに……今は私もいるでしょう。だから、大丈夫よ」
姉は笑顔のまま、そっとエクレスの額に口づけをした。
「大丈夫……。あなたのことは、私が必ず守ってあげるから。ね?」
そう言われると頼もしいが、むしろなんだか、エクレスは恐い気分にもなっていた。ぼんやりとした不安が、胸の中に溜まっていく。
エクレスは、また訊ねた。
「ねえ、『みにくい生き物』がいるなら、光の神さまも、闇の神さまも、いるのかな。本当にいて、ぼくたちを見守ってくれてるのかな」
「そうね」
姉は頷いた。そして間を置いてから、今度は質問をしてきた。
「……ねえ。あんたは、自分が光の神さまに作られたか、闇の神さまに作られたか、どっちだと思う?」
唐突な質問に、エクレスはぽかんとした。聞き返す。
「光の神さまに作られたヒトも、闇の神さまに作られたヒトも、仲良くなって、一緒になっちゃったんじゃないの?」
「そうね……。そう、創世神話の本には書いてある。でも――」
姉はなんだか、苦しそうな顔になっていた。
「もしかして。ずっと、交わらずにいたヒトたちも、いるかもしれないでしょう?」
「そうなのかなあ」
エクレスも少し考えてから、言った。
「そうなら、どういうところに住んでるのかな」
「……どこか、あまり外から人も来ないような、山奥の村とかかしら」
「ぼくたちみたいに?」
「ええ。普通に考えたら、そうじゃない?」
「そうかも」
自分たちのような暮らしをする人たちを、エクレスは想像した。その人たちはきっと、姉の話と本くらいしか楽しみがない自分のように、退屈をしているはずだ。
だから――浮かんできた考えを、そのまま口にする。
「お友達になってあげられたらいいな」
「へ?」
目を丸くした姉に、エクレスは繰り返した。
「きっと、みんな退屈だと思うから、お友達になって、一緒に遊びたいな」
なぜかは分からないが、その言葉は姉の笑いを誘ったらしかった。姉は、くつくつと笑って、それから立ち上がった。
「そうね。お友達になれたら、いいでしょうね。すごくいいことを言うわ。じゃあ、エクレス。ちゃんと寝なさいな。おねしょはダメよ」
おやすみ、とウインクをして、姉はランプを消した。すぐに部屋を出て行く。
真っ暗になった部屋の中で、エクレスはやっと、目を閉じた。
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