第12話 坊主頭の葛藤


「最近、気になる子が出来まして……」




またか、という言の葉を喉元すれすれで飲み下す。表面張力が働く世界に生まれてよかったと思う瞬間である。坊主頭に醬油顔で、纏う学ランが異様に似合う男。そんな第一印象の生徒が、何の面識も存在しない僕のもとへ、昼休みに突如押しかけてきたのである。酸っぱい口内を舌で舐めまわし、意を決して口を開く。




「……なんで、初対面で恋愛相談を?」




「仲良くなった転校生の人が教えてくれました!」




「あの子かよ……」




脳裏に浮かぶは金色の肉食獣。生徒の恋愛事情を出歯亀するのは大歓迎だが、こうも連続で来られては胃もたれもやむなしである。不純異性交遊の手綱を握らされている此方の身にもなってほしい。




「………それでわざわざ職員室まで来るかね」




「悟、どした?」




「いや、こっちの話」




興味本位から声をかけてくる親友を軽くいなし、椅子を回転させて目の前の少年と向き合う。子供というのは得てして向こう見ずで生意気なきらいがあるが、彼からはそういった要素を感じない。特徴的な坊主頭も相まって、むしろ誠実さすら感じられた。




「君、一応聞くけど名前は?」




「草山田俊之、野球部です!」




快活で心優しき巨人の登場である。時刻は現在昼休み、適当に鞄へ放り込んだ●ッキーをおやつに齧りながら、話半分で彼の悩みを聞く姿勢をとる。仮にも僕を頼りにしている生徒である、無碍に扱う真似などできなかった。




「ああ、草山田君。それじゃ本題に入ろうか」




「わかりました」




素直に頷く坊主頭。健全な少年少女には、これくらいの純朴な素直さを持ち合わせていて貰いたいものである。促されて語りだす少年を横目に、そんな無益で無体なことを考える。




「へぇ……学級委員長の高田さんねぇ」




少年の恋慕が自身の恋慕を告白した後、拭きあげられた結露に部屋の照明が反射し、窓に映りこんだしたり顔。にたりと微笑んでいたはずの僕の表情は、どうにも酷く歪んでいた。


人の恋路が成就する過程は、聞いている分には楽しいのだ。聞いている分には。




「せ、先生、声でかいですって」




「職員室だし今更だぜ、草山田少年」




「し、少年……」




草山田の鍛え上げられた大胸筋に、メタル輝く菓子袋を押し付けて黙らせる。僕の肉眼を抉った経歴持ちの棒菓子を、困惑した面持ちとは裏腹に、頑強な前歯でシュレッダーの如く細切れに分解していく様は圧巻の一言であった。教員デスクのコースターからカップを持ち上げ、緩慢な動作でコーヒーを啜る。




「しっかし、よりによって高田かぁ……」




「悟先生、お知り合いなんですか」




「いつも世話になっているからなぁ」




何を隠そう、草山田少年が懸想している相手。そんな彼女こそ、クラスメイトが存在しない故の重労働を手伝ってくれるお人好しの一員なのである。純粋なボランティアとしては瓶底眼鏡くんと合わせ二人、そこに厚生委員を数名派遣してもらい、なんとか現状は事なきを得ている。


そも、学校の給食時間があそこまで短くなければ何一つ問題はないのだが、教員となった今でも解決には至っていない。僕は無力である。




「お、噂をすればなんとやら」




「え“」




「失礼します!!」




瞬間、建付けの悪い職員室のドアが傷だらけの敷居を一気になぞる。摩擦で火花が弾ける錯覚、それだけの衝撃が室内を走り抜けた。




「……高田さん、ドアはゆっくりと引いてくださいね」




暴走機関車のような生徒を慣れた口調で窘める学年主任。僕としても、何度の既視感を味わう羽目になっているのだろうか、今となっては分からなくなっている始末だ。手に負えない。




「はい!!以後気を付けます!!」




扉を閉めず、制服のスカートをたなびかせて一直線に僕の元へと向かってくる彼女。英断である。二十四時間全力投球の彼女がもうひとたび同じ作業を行えば、ただでさえ襤褸の扉が木っ端微塵になるところであった。




「悟先生、昨日ぶりですね!!」




長い三つ編みのおさげを振り回し、丸眼鏡を掛けた快活ガール。高田純子のお出ましである。




「高田、ハロー」




「はい!!こんにちは!!」




「はわわわわ」




最敬礼を決め、ナチュラルに草山田少年の隣を陣取る彼女。急な大本命の登場に動揺を隠せないのか、全身に鳥肌を張り巡らせる純情ボーイ。




「オッース草山田、なに昼間から辛気臭いツラしてんだよっ」




尻を一発スパンキング。野球部の厳格な特訓によって鍛え上げられた、引き締まった臀部が暴力の音色を奏でる。楽曲名があるとするならば『快感』一択であろう。




「い、委員長、本日はお日ごろもよく……」




「何言ってんだ、バリバリの曇天じゃねーかよ」




「すみませんッ」




一歩踏み出したファーストコンタクトは失敗に終わったらしい。野球部キャプテンとは思えないほどの弱弱しい態度にもどかしさを感じながら、突如出現した彼女に体を向け、話題の優先順位を切り替える。




「それで、何か僕に要件かな」




「はい!!」




「わあ、いい返事」




「我らが担任から、悟先生のお手伝いをするように頼まれまして!!」




挨拶に来ました、と礼儀正しく腰を折る彼女。それにつられ、親鳥の真似をする雛のように直角九十度のお辞儀をカマす草山田少年。




「……崎谷先生か」




以前の会合からしばらく、ボブカットの数学教師はこの学級委員少女ガールを選出してくれたらしい。確かに彼女であれば実務は勿論のこと、日頃から積み重ねてきた故の信頼もばっちりである。




「うん、よろしく頼むよ」




「お任せ下さい!!猫の手以上の働きをしてみせましょう!!」




自身に満ち溢れた胸を反り、世界が裏返って見えるレベルの高笑いをする彼女。ふらついた姿勢を鍛え上げられた体幹で立て直し、整った鼻筋からずれた赤い眼鏡をかけ直す。




「体育祭も近くなってきたからね」




役割は裏方だが、仕事内容は多岐に渡る。去年以前の競技内容と照らし合わせて計画案を練り、用具の準備や会計、来賓の対応まで、全てを期限内に定額で行わなければならないのだ。多忙とは全くもって恐ろしい話である。




「草山田!!」




「ひゃ、ひゃい!」




「お前はうちのクラスの要だからな、期待してるぞ」




「は、はいッ」




一切の遠慮なく横幅の広い背を叩く彼女。白いシャツの裏側には、朱肉のように真っ赤な手形がびったりと張り付いていることであろう。大層愉快そうな彼女の表情には、未だ苦悶の感情を浮かべる少年に対する確かな信頼が含まれていた。




「それじゃあ、何かあったら遠慮なく呼びつけちゃうけど、ごめんね」




「いえ!!悟先生にはお世話になっていますので!!」




全力の平謝りを敢行し、彼女の良心に付け込んで免罪符を獲得する。現状、僕のクラスに新規生徒を加入させることは不可能に近い。幾星霜という試行回数を重ねた末、僕の担当するクラスには転校生の「て」の字も編入性の「へ」の字も、しまいには不法侵入者を含め、クラスを訪れる人間は存在しなかったのだから。




「それでは失礼します!!」




そんな僕の思考を読み取れるわけも無く、要件を済ませた故再度最敬礼する彼女。中学生の昼休みは貴重なのであろう、かまいたちの如き俊敏さでそそくさとその場を立ち去っていく。




「あ……」




ひらひらと手を振る事も叶わず、呆然としている草山田少年。




――そんな彼の肩を鷲掴み、脳震盪を起こしそうな位に上下左右縦横無尽に揺らす。




「うわわわわッ」




突然のことで混乱の渦に染まる黒瞳、停滞の最中にいる草山田。しかし、惑乱した


彼を待ってやれるような暇はない。頼られたからには、気になるあの子とのきっかけくらい、なんとかくれてやらなければならない。未だ鈍痛に苛まれているであろう背中を、小さな手形を上書きするよう思い切りに引っ叩く。




「ほら、行け!」




「……は、はい!」




椿の花が散るような潔い敗北、そんなものはスポーツマンとしての彼のプライドが許さないであろう。その証拠に、発破をかけられた彼の瞳には深く蒼い炎が宿っていた。




「た、高田さんッ」




腹から出した周囲を気遣った雄たけびと共に、既に見えなくなった彼女の背中を追う草山田。建付けの悪い職員室のドアが後ろ手に閉められ、履き潰された上履きの靴音が廊下から遠ざかっていく。今後の彼と彼女の関係性にどんな変化が訪れるのかは未定だが、ヤらない後悔よりもヤる後悔である。依頼を終え、回転する椅子の上で溜息が込み上げてきた。




「いやあ、青春だねえ」




隣り合った机、書類の山から一部始終を垣間見ていたらしい親友が共感を求めにやってきた。ただでさえ少ない灰色の空きスペースに堂々と肩肘をつき、気怠さを白衣に纏ったまま応対する。




「瑞樹、覗き見は趣味が悪いんじゃないか」




「実質的な当事者が何を言うか」




「僕もお前も、結局は部外者だよ」




お若い二人に任せて、というのは少々違うが、事の顛末は神のみぞ知るところ。恋は下心、愛はまごころなのである。中断していた作業を再始動しようと、マウスを洗剤で荒れた掌で握りこんだ。




「あ、そうだ。俺のトコからは応援に智クン送るからよろしくな」




「ああ、瓶底眼鏡君か」




「覚え方酷くねえ?」




「気のせいだ。兎角ありがとう」




「ほいよ」




見事に見知ったるメンバーが大集合である。パソコンのデスクトップを弄りながら、何の気無しに事務連絡を済ませた瑞樹。漠然と積まれた書類の隙間を塞ぐ新たな資料。手元のマウスカーソルがなぞるやけに難解な文書、それと必死の形相で睨み合いながらお互いの敵と格闘する。大人しく二人隣合わせ、ホイールが転がる感覚を人差し指で感じながら目の前の作業を着々と進めていく




「……ん?」




突如、地響きのように近づいてくる履き潰された上履きの靴音。ペンキの禿げた襤褸の扉にとどめが刺され、金属のレーンから沓摺りが足を滑らせた。半開きで動かなくなったドアの先で仁王立ちする男。足音の正体であろう先程の坊主頭が、刻々と、はっきりした足取りで僕のもとへと向かって歩いてくる。




「……草山田少年、随分と早いお帰りだね」




「駄目でした」




こいつまさか、あの足と勢いで告白を敢行したとでもいうのであろうか。とんでもない胆力である。




「ばっさり断られてしまいました」




話を聞くに、高田はそういったことに一切の興味がないとのこと。生徒間の恋愛事情ばかりに精通していく自分の立場に、些か疑問を持ち始める今日この頃。




「そ、そうか。まあ、星の数ほど出会いがあるから―――」




「おれ、諦めません」




送り出した故の気まずさから逸らしていた視線を彼に向ける。その瞳に宿った覚悟の証である蒼い炎は、その火勢を益々増していた。同情の言葉は熱さに耐えかねて喉奥に引っ込んだ。下手な慰めは無用のようである。




「必ずや、彼女の心を射止めてみせます」




それだけ言い残すと、即座に踵を翻す草山田少年。扉という障害物が無くなった廊下と職員室の境界線を飛び越え、その場から立ち去っていく。その中学生にしては大きな後ろ姿に、失恋を経験した故の僅かな成長を感じとった。




「なあ瑞樹」




「お、なんだ恋愛マスター」




「青春だな」




「………そうだな」




ブラインド越しの空はやけに青く、そして限りなく眩しく見えた。












尚、職員室のドアを破壊した件に関しては、反省文と奉仕活動案件であったのできっちりと絞られていた。たとえどんな大義名分があったとしても、自分の尻は自分で拭くものなのである。






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