第6話 図書室の肉食獣


 給食を終え、束の間の休息時間。他クラスの厚生委員と数人のお人好しに協力を仰ぎ、二人分の給食の缶々を受け所に運び終えた後のことである。一階から四階まで階段を登り降りする重労働は勘弁願いたいものだ。小学生の頃は十分間の休みにグラウンドへと飛び出していくだけの元気が有り余っていたのが懐かしい。




疲労困憊な肉体に鞭打ち、渡り廊下を過ぎていく。途中、すれ違う生徒達と挨拶を交わし、言葉少なにその場を振り切る。何事にも優先順位というものがあるのだ。時速を上げ、校舎に隣接されたプレハブ小屋のような出で立ちの建物へと歩を進めて行く。別棟に移動し、埃の絨毯に室内履きのスニーカの足跡を次々と下ろしていく。地に足をつける度みしみしと、安物のマットレスのように軋む白い床。吹き荒ぶハウスダスト、肺を直に捻られるような息苦しさが目的地までの距離をやけに遠く感じさせた。










木屑がささくれて飛び出した、建付けの悪いドアを開ける。換気の徹底されていない部屋特有の、籠もった匂いが鼻頭をなぞり上げていく。後ろ手に扉を締め、完全に密閉空間となった図書室に足を踏み入れた。カウンターに居座る、七三分けで瓶底眼鏡の少年と親しげな視線を交わし、入口に掲示された館内マップを確認する。




(……図書室なんて、何時振りだろ)




今回、僕がここに来た目的は、繰り返しに対抗するきっかけを探すためであった。そも、僕は人生において、同じ一年を繰り返す現象に遭遇する事態は全くの未経験なのである。




繰り返しを自覚した後、もしかすれば彼女と同じ経験をした人間がいるという可能性を、僕は捨てきれていなかった。インターネットの知恵袋や関連しそうなブログは大概漁った。しかし碌な情報は無く、薄味のカルピスと同じ情報量を連日ブルーライトと共に浴びる夜が続いた。




それ故、灯台下暗し、彼女を苦しめる孤独の巣窟と化している場所そのものに解決法が転がっているのではないかと愚行し、蜘蛛の糸に縋りつくような気持ちで図書室までやってきたのである。


眼鏡のレンズ越しに、ミステリーやら随筆やら、多種多様なジャンルで区画された本棚を嗅ぎ回る。古本屋とはまた違う独特な雰囲気が漂う空間、その懐かしい空気に触れ、落ち着いた心と僅かな期待を胸に、周辺を見て回っていった。










「何も無い………」




見事撃沈である。元より薄かった希望ではあるが、少ない手札から繰り出した案に結果が伴わないとなると中々にクるものがある。いつの間にか出現したらしい金髪少女と乳繰り合っている瓶底眼鏡の少年を横目にしながら、死角になる位置に配置された椅子に背中を預けている。




(……帰りたい)




温かいご飯とお風呂、それから彼女が待っているマイホームが愛おしい。眉間を揉み解し、鉄パイプの椅子にベストなポジションを求めてぐいぐいと調整を加え、座り直す。




(昨日の件もあるしなァ……)




結局、先日のクラス委員に関しての問題に対する解決策も未だ浮かばぬままである。積み重なる課題を後回しにする趣味は無いのだが、先人の知恵にも頼れないとなると、如何せん取っ掛かりが少なすぎる。




「どうしたもんかね……」




腕を組み、凝り固まった思考を回す。




『一人で抱え込まないこと――――』




不意に、主任の言葉を思い出した。




「………ちょっくらお願いしてみるか」




彼女の抱える問題に対して根本的な解決にはならないだろうが、二人寄らば文殊の知恵である。教員としてのキャリアの長い佐藤先生ならば、僕より少しばかりマトモな案が出てくるかも知れない。


取り敢えず、明日にでも相談に行こうと決めて席を立つ。見栄を張って右手に嵌めた腕時計を確認すると、図書室を出るには丁度良い位の時間帯であった。出口に向かい、委員の少年に挨拶でもして帰ろうと思い立つ。




「智君、それじゃ―――」




図書委員長である顔馴染みの中学生男子に静かに声をかける。死角から覗けなかった彼の様子を改めて視認した。




――――獣の顔をした金髪少女が、瓶底眼鏡のプレイボーイに覆い被さっていた。




校則違反すれすれのスカート、露わになる真っ白な太腿にぎっちりと挟まれ、一切の身動きを取れない智少年。対する金髪少女は目が完全に座っており、眼前の獲物を捉えんと、油断すること無く足による拘束をじわじわと強めている。




僕の存在に気がついたのか、救いの神を求めるように此方を見る少年。




「さっ、悟先生」




「不純異性交遊だ……」




「そんなこと言ってないで早く助けてくれませんかねぇ!?」




「無視しないデ」




シャツのボタンに手をかけようとする少女。たかだか三十分ちょっとのボーイツミーツガールで何があったというのか。




「あーはいはいそこのお嬢さん、一旦ストップで」




「………」




カウンター越しに、シュシュの嵌められた白い手首を掴む。しかしスナップを効かせて思い切りに振り払われた。




「せ、先生……!」




「………取り敢えず、話を聞かせてくれるかい?」




肉食動物のように牙を剥く少女を前に、教師としての対話が始まった。


















少年少女を正座させ、典型的なお説教の形を取る僕。残り少ない昼休みの時間を無闇に削られる訳には行かない。早急に審判を下さねばならなかった。




「………それで、智少年。今度は何をやらかしたんだい?」




「オレ被害者なんですけどねぇ」




今度ってなんですか、と悪態をつくのは瓶底眼鏡の図書委員、妙蓮寺智。他クラスの生徒だが、国語教師である僕の授業を受けたのがきっかけで、純文学を読了する度職員室まで感想を報告に来るようになった変わり者である。




「だって智君、職員室の教師界隈で有名だからね」




「なんですかその界隈」




「とんだ天然たらしだって、職場のお姉様方が」




「巫山戯るのも大概にしません?」




瓶底眼鏡のレンズを拭き上げ、再び装着する智少年。その一連の動作はやけに磨きがかかっており、彼のアイデンティティであるぐりぐりとした厚みのある丸メガネは一層その輝きを増していた。




そしてその横で、不満たらたら欲望だらだらの態度を包み隠す努力もしていない金髪少女。




「あー……お名前は?」




「伊勢、ミリアでス」




「転校生?」




「はイ」




「学年は?」




「一年生」




それは把握していない訳だ。三学年の生徒は、名簿表で顔と名前が走馬灯に鮮明な記憶として蘇ってくるレベルで脳裏に焼き付けている。しかし、その他の学年となると話は別だ。




「ええっと、ミリアさん。君は何故智くんを襲っていたのかな?」




「好きだかラ」




直球なのが来た。火の玉ストレートである。お兄さん胸が痛い。しかしこのままでは埒が明かないので、この場では僕に次ぐ常識人枠である彼の話に耳を傾けてみることにする。




「智君」




「話すと長くなるんですけど……」




「簡潔に頼む、いつもみたいに」




「あ、はい」




彼の話をまとめるとこうだ。


新しい学年での生活が始まり数日後、海外から突如として現れた転校生である彼女、伊勢ミリア。


退屈な日々を過ごす学生にとって、一世一代のイベントである学友の新加入。新しいクラスメイトに挨拶くらいはと思い立ち、野次馬を掻き分け、休み時間に声をかけに行く智少年。彼女と目が合う。そしてその瞬間、勢いよく抱きついてくる転校生。即座に騒然とするクラスメイト達。




混乱の最中、蚊帳の外であった担任が「なにそれオモロいやん」とその光景を大層愉快がり、智少年を勝手の分からない彼女のお世話係に任命。初対面である筈の彼女に理由もわからず異様に懐かれ、現在も付き纏われている、ということが事の顛末らしい。




「……別に良くない?だって好きじゃん、異国情緒溢れた金髪ガール」




「今それとこれとは関係無いでしょう!?」




というか何故それを、という視線。思春期の中学生男子の趣味嗜好など、読んでいる本を確認すれば手に取るように分かるのだ。舐めるな若造。




「先生だってまだ二十代じゃないですか」




ナチュラルに人の心を読むな。人の道から逸脱するにはまだ早い。




「と、兎に角困ってるんです!さっきなんて貞操の危機だったんですよ?」




「まあでも、ラブコメの導入はちょっと専門外かな……」




「こっちだって困惑してるんですよッ」




我儘な奴め、成敗してやる。そう言いたいところではあるが、審判では平等を喫さなければならない。次は彼女の話を聞くターンである。智少年に肩を小突いてもらい、正気を取り戻した少女に向き直る。




「ミリア、さん?」




「はイ」




受け答えもしっかりしている。言葉尻に少々クセはあれど、比較的流暢な日本語であった。




「勉強した、必要だったかラ」




だからナチュラルに人の心を読まないで欲しい。メンタリスト型無しである。でも偉い。




「彼は君と面識が全く以て無いらしいんだけど」




「とてもショック」




「………なにか事情があるなら教えて貰えるかな?」




「ん、いいヨ」




「いいんだ…」




「智が、信頼してるっぽいシ」




恥ずかしいからと手招きされ、本棚の後ろに黙って連れていかれる僕。話的にも肉体的にも置いてけぼりにされた智少年の事は思考の片隅において、彼女の言葉に耳を傾ける。




「………それで?」




「ワタシと智は幼馴染み」




「本人覚えてないっぽいけど」




「だからとてもショック」




幼い頃、体が弱く、外出も叶わなかったらしい彼女。家族は忙しく、友人もいない孤独感に苛まれていたそんな時期、同じ病室に入院し、唯一話し掛けてくれていたのが智少年だったらしい。彼は退院後も毎日のように彼女を見舞い、体調が改善したあとも度々交流があったのだという。




「……それで?」




「………智は、とってもお人好しだっタ」




ある日、事件が起こった。互いの家族を交え、ハイキングを開催していた最中での出来事であった。興味本位で親元から離れ、山の中腹辺りから足を滑らせて転げ落ちてしてしまったという彼女。齢六歳にして骨折を経験し、自分の力で立ち上がることも、余りの痛みから助けを呼ぶことも出来ず泣きじゃくっていた、そんな時。




「……あの時の智、とっても格好良かっタ」




智少年が、碌な手掛かりが無いのにも関わらず、助けに来てくれたのだという。それも、少しの助けにもならない手を伸ばす前に、鋭利な斜面を滑り落ち、助けが来るまで一緒に居てくれたのだとか。




「……でも、私が特別って訳じゃなイ」




智少年はその後日本に帰国。彼女は駄々を捏ね、両親はそれを了承。そして今に至るという経緯であった。




「智が私を覚えて無いのも、あの日の出来事が、智にとっては当たり前だったかラ」




智少年は、超が付く程のお人好しである。人が困っているのを放っておけない性質で、クラスメイトや学年問わず慕われている。そのためか、ミカミちゃんに対する抵抗は多少あれど、僕のクラスにおける缶々の運搬を毎度ボランティアで手伝ってくれてもいる。




「だから、智の特別になるために私は此処に来タ」




「……成る程」




自分の心に正直な、何処までも一途な乙女の姿が、そこにはあった。










「判決を言い渡す」




静謐の図書室、その一角。喉が鳴る音だけが響き、曖昧な緊張感が館内を走る。両者の目は爛々と見開かれ、己が身に降り掛かる十字架を、今か今かと待ちわびている。




「「…………」」








「智少年、有罪!」




「なんでだよッ!!!」




握りしめていた栞を面子の要領で地面に叩きつけ、眼の前の理不尽を嘆く智少年。全く、図書委員失格である。そも、偏った天秤に頼る方が悪いのだ。僕は何時だって頑張る生徒の味方である。




「悟先生、智ずるイ」




「じゃあミリアちゃんも有罪で」




「やった、これでお揃イ」




「なんでいつの間にか仲良くなってるんだよぉ!!!」




図書室ではお静かに。入り口付近に貼られたポスターには、彼が描いた警告の文字列がポップ体で綴られていた。




「いやだって、あんなもの聞かされちゃったら、ねえ?」




「僕には何も知らされてないんですけどッ」




結局、彼女は幼い頃のエピソードを話すつもりはないらしかった。本人曰く、過去では無く今の自分自身を見て貰いたいらしい。なんと高潔で純粋な精神であろうか、脱帽待ったなしである。




「まぁ、全面的に智君が悪いわ」




「でショ?」




両者ハイタッチ。いつの間にか意気投合していた。一目散に彼のもとへ駆け寄り、嘆く少年の背中を擦る彼女。千里の道も一歩からである。




「まあでも、羽目を外し過ぎないようにね」




自由恋愛といえど、一応釘を差しておく事を忘れない。反面教師だからこその実感が込もった、しんみりとした台詞である。




「うん、ありがとう先生」




眩しく輝く彼女の笑顔。丁度チャイムが鳴り、退室するには良い時刻であった。何時の間にか膝に頭を乗せられ、耳元を赤らめてひなびた両手で顔を覆う智少年。恨みがましい目線と華々しい笑顔を尻目に図書室を出る。




結局、本来の目的は達成出来なかった。恋する純情こじらせ乙女の背中を後押しするだけに留まってしまった。




「転校生かぁ……」




酷く長い教師生活だが、そういったイベントにはとことん縁がない。一度くらい経験してみたいものだが。そんな無体なことを頭の隅で考えながら、埃だらけの絨毯を踏み荒らして行った。




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