第六話 けつだん
「ああ参った参った。もうこりごりだ。大学なんてやあめたって感じ。いやね、そりゃはなっから慣れるとは思っていなかったよ。ほら、オレこういう性格だし?それになんていうかさあ、勉強?研究?そんなもん初めからわかんねえって。こっちは高校時代スポーツしかやってこなかったんだから」
時刻は午前一時三十二分。静まった住宅地を泥棒のように通り過ぎる私たちの軽自動車が、街灯のない小路をぎこちなく走っていた。昼間より時間の流れが遅く感じる闇夜の車内には、陰鬱ながらもよく通るAの声が大きく響いて、窓を開けてぼんやりと後部座席に腰掛ける私の耳にもはっきりと届いた。
「履修?必修?なんかよくわかんないけどさあ、取り合えずそれには出席しなきゃなんないんだよ。そんである時オレがな、一日だけ、本当に一日だけその授業を休んだんだよ。それで次の日に教室に来て、隣にいたやつにプリントを見せてもらおうと思って声をかけたんだ。そしたらなあ、そいつが『ひいぃ!』って怯えた猫みたいな顔して逃げ出すんだよ。プリントを見せるのがそんなに恥ずかしいのかと思って、違うやつに声かけたら、そいつもあからさまに嫌な顔をして無視するんだ。そんなんだからオレもう頭にきちゃってね『オマエらさっきからなんなんだよ』って怒鳴ったんだ」
荒っぽいAの唇にタバコがささると車内いっぱいに苦い香りが充満する。私は顔をしかめながら、「目立つようなことするからさ」となだめるが、「そんなの知るかよ」と不貞腐れた表情で顔を背ける彼を見ているうちに、どうやら入学早々なにかしでかしたらしいことがうかがえた。呆れて何気なく窓の外に目をやると、ちょど車は鎌倉街道を南に進んでいた。見おぼえるのあるラーメン屋が目をかすめ、そのまま左へ曲がって夜の道をずんずん進んでいく。何度も通ったことのある道路なのに、陽が落ちただけでこうも別の土地のように寂れて見えてくるのは、風を吸い込む車体が街を、より一層闇の深くへと誘っていくような感覚にさせるからだろうか。私は酔いのようなわずかな
久しぶりに三人でボウリングをした帰りに、運転の練習がしたいから付き合ってくれとBが唐突に言い出したのは、金曜の十時過ぎであった。二十四時間営業の喫茶店に二人を残したBは、父親の車を取りに行くべく自宅へ戻り、その待ち時間に飲んだビールで妙に昂っていた私とAは、中学生のするような幼稚な下ネタに花が咲き、ふわふわとした状態で車内に入ると、取り合えず海だ。大きな海をだいてみたいと、訳の分からぬことを口々に言い出し、気前のいいBは表情変えることなく颯爽と車を出したから、出発直後は私もAも驚いて動揺しっぱなしだった。そんな私とAの気持ちの昂ぶりも落ち着いた夜の街並みを眺めているうちに、自然と静まったのか、黙ってスピーカーから流れる音楽に耳を傾ける時間が増えていた。
郊外の住宅街を過ぎ、商店の並ぶ大通りを抜けると左側に海が開けてくる。海といっても深夜だからその概要は一切つかめず、だた底に闇が深く広がっているようにしか見えない。星の見えない空と同化した黒一色の空間が、左側の窓全体を別世界のように映していた。「せっかくだから降りてみようよ」とサウンドとタバコの充満する車内に私は投げかけた。
高いヤシの木が浜辺沿いにどこまでも続く道路脇のコンビニに車を止め、私たちは向かいから吹き寄せる海風をいっぱいに吸った。人家のないあたりはまさに闇のようで、コンビニが発する明かり以外に光源は見当たらなかった。どこへいっても真っ暗闇の視界は遠近感を失わせ、私たちは海水浴場の入口に着くまでだいぶ手こずった。時おり、ヤシの葉を揺らすほどの海風が、晩春とは思えぬ冷気を伴って私たちの肌を突き刺すと、「おぉ寒い」と大げさに腕をさすったAはタバコを口に咥える。「この辺りは警察署が近いから」とBが注意を促すと、「詳しいんだな」と私が横から尋ねた。「この前も摑まったんだよ」彼は微笑しながら答えた。なんでも、高校の友人と海を訪れた際に、タバコを持っていた友人が執拗に警官に詰められたという。
「親に申し訳ないと思わないのかって、ひどく叱責されていたね。本人は平気みたいだったけど、なんだかすごい罪人みたいで可哀そうだったなぁ」
「暴力でも振るわれたのか?」
「ううん、なにも。オレは見ていただけで何もいわれなかったけど、持っていたタバコは没収されて、親に電話をかけたんだ。夜中でもお構いなしにね。それで家でも叱ってくださいねって具合で、住所と名前を書き込んで帰っていったよ。なんだか気分が悪かったね。たかがタバコ一本吸ったくらいでだよ?ほんと大袈裟だよね」
「警察も暇なんだろう」
「もっと他に取り締まらなきゃいけないことが沢山あるのにな」
煙を吐き出しながらAが横から口をはさむ。「オマエは人のこと言えないんだぞ」とつっこむ私。「世間に溢れている悪事に比べれば、タバコなんて
ガードレールの途切れた先に古びた看板があり、公衆トイレ横の階段から砂浜へ降りると、開けた辺りいっぱいに濃紺の海が広がっていた。砂浜へ降りたことでついに地上の光は消え、静かに漂う闇はよりいっそう濃度を増したように深まり、打ち寄せる波の音が、音楽ホールのように耳元で響いていた。
「見えないね」
携帯のライトで足元を確かめながら波打ち際まで歩くBを先頭に、私は黒々としてその全景を掴めない巨大な海の存在に、身が縮むほどの恐怖。言い知れぬ威圧感を感じていた。
思えば、私は海へ訪れた記憶が曖昧だった。幼少の頃は夏になると頻繁に県外の海水浴場へ訪れて、浅瀬で浮き輪を抱えながら走ったり、海の家でかき氷を食べたことなどかすかに思い出されるが、小学校に上がると地元のプールの想い出(今は閉鎖されている)がその大半を占めてくる。それから中学高校と、課題や部活が忙しくなる頃にはすっかり海のことなど忘れていて、砂浜へ訪れる機会もなかった。たまに遠方へ遠征に行った時など、道端からその青々とした煌めきを眺めることは何度かあったけれど、浜辺に降りてじかに海水に触れるなど、ここ数年となかった。ましてやこんな夜更けの誰もいない海水浴場は、生れて初めての経験ではないか。わたしは変に感慨に耽って足元を照らしながら歩いていると、Bが唐突に
「ここならドラゴンがいるかもしれないね」
と言った。
「まだ覚えていたのかよ」
「だっておもしろかったんだもん。根岸のドラゴン」
「そんなわけあるか」
私は二か月前の出来事を鮮明に想いだしていた。Aの言葉を信じて根岸へ訪れた私たちは、米軍基地のゲートの前で警官に見つかり、数十分の激走の末、全員があっけなく摑まってしまったのであった。酒缶を持っていたBは真っ先に警官に取り押さえられ、逃げる直前にタバコを靴の下に隠したAはポケットからライターが見つかり、結局正直に告白するしかなかったのである。
公園の角にある東屋の電飾に照らされながら、私たちは警官の訊問を受けた。学生証や保険証を覗かれ、全員の名前と住所を警官はノートにメモした。持っていた酒とタバコは全て没収され、その持ち主であるAの親に連絡が入った。(酒はB自ら買ったものなのだが、就職に関わると案じたAが咄嗟に申し出たのだ)背が高く眉のキリっとした警官は、威厳のある口調で
その日は『根岸のドラゴン』を見つけることなく、私たちはまだ暗い夜道を三人でとぼとぼと帰ったのだ。Aはまた時間があれば来ようと朗らかに言っていたが、警官の憎たらしい笑みが頭に残り続ける私は絶対に行くもんかと無言で訴え、四月から社会人になるBも時間が取れるかわからないと言って、結局それ以降根岸へ訪れる機会はなかったのである。
「もし本当にドラゴンがいるんなら言ってやりたいよ。“俺たちは何ものなんだ”ってね」
「どういう意味だ」
「だからさ、オレたちはみんな十八歳で成人しているオトナなわけだろ?それなのにこの前の警官みたいに、まるでオレたちをオトナとして扱ってくれない連中もいるわけだよ。アイツらの言い分は『お酒もたばこを二十歳からやりましょうね』ってわけで、オレたちを子供とおんなじだと思っているんだ。じゃあな、オトナってそもそもなんなんだよ、どんなやつのことを指すんだよってことになるじゃん。オレたちはもう成人している。警官ももちろん成人している、なのに警官は酒もタバコもできてオレたちにはできない。この差はいったいなんだ。オレたちはオマエらと同じオトナなんじゃないのか。成人しているオトナなんじゃないのか。もし違うって言うのなら、じゃあオレたちは一体なんなんだ。オトナなのかこどもなのか、それともオトナでもこどもでもないのか……」
堰を切ったように言葉が溢れ出た。私は砂にとらわれる足を眺めながら吐き出すように言葉を紡いでいった。闇の中で重々しく吐き出された言葉は海の逞しい力に砕けて流されていった。なぜ友人の前でこんなに苦々しく心情を吐露しなければならないのだろうかと、顧みる冷静さも自然と持ち上がってきたが、やはりあの時の、薄明かりに浮かび上がった警官の無言の嘲笑がいつまでも脳を侵し続けて、それまで積もりに積もった鬱憤、何気ない日常に対して抱いていた不信感が、ほんの些細なことをきっかけに爆発してしまったのだ。言い終えた私は喘ぐように息を切って砂に混じるガラスを払った。隣で足元を照らすBの顔は闇に紛れて見えなかった。
それまでずっと黙っていたAが「ここにしようか」と言って腰を下ろしたのは、恐竜の骨のように頑丈な流木の縁だった。長い年月を漂流したのだろうその灌木は、下半分を砂に埋めるようにして月明かりを白く被っていた。私たちはそこに並んで腰を下ろし、眼前に迫りくる海の唸りに耳を傾け、誰ひとり言葉を発することなくひとしきり眺めた。墨のように黒々と広がる大海は、浅瀬で低い波をつくり、飛沫が砂をさらって白くまわりを満たした。時おり私たちの足元まで砂を飲むこむ大波は、一面に鱗粉を振りかけたように煌びやかに輝いて、水平線の彼方へと消えていった。
私は間歇的に訪れる波の、その異なる飛沫の進み具合を眺め、底から湧き出てきた怒りが、水底へ吸い込まれていくように収まっていくのを感じた。息をついて耳に波のさざめきを感じていると、日々の疲労の重なりが私を無気力にさせ、いつしかそれが自分の内―無成長で歩みのない、自堕落な最近の回顧となって浮かび出た。
予備校に入らず自宅で浪人生活を送ることは、私が大学受験を志す前にあらかじめ父親と決めたことであった。上二人の兄がそれぞれ四年生の私大に入学したことは、私が大学を目指す以前に既に決まっていたことであり、それを今更とやかく言う意思も資格も私には持ち合わせていなかった。けれど、それでも大学を受験すると言った際の父親の言葉を私は忘れない。「大学に行きたいのなら国立にしなさい。オマエは勉強しかやってこなかったんだから」
それまで、上二人の兄を半ば反面教師のようにして育ってきた私にとって、その言葉はある種衝撃的だった。昔から親の言いつけを守らなかった兄たちは、それを凌駕する個性を駆使し、常に既存のものから脱出する試みを企てていて。幼い私はそれを無意味な、非生産なものだと思って見過ごし、親の厳しい躾けにも黙って従ってきていた。親の言う通り勉強し、生活すればそれでいいとさえ思った。反抗しなければ叱責されることもないし、それどころか彼らは私の行いを褒めてくれるのだ。私は素直に両親の言いつけを守り、それを平気で破る兄たちを白い眼で見てさえしていたのだ。
けれど自分の信念を貫き、社会に出る十分な準備を携えたのは私ではなく彼らだった。六つ上の兄は成績優秀で、末は官僚か研究者になるのではと幼少期から囁かれていたが、高校卒業間際に唐突にピアニストになりたいと言い出し、それを理由に親からの反対を押しきって音楽大学に進学してしまったのである。彼は幼少期からピアノを習っていたが、実力はせいぜい学芸会で発表する程度の、趣味の範疇に過ぎないものと思われていたために、その決断は両親を含め私を驚かせた。彼は首席で音大を卒業し、懇意にしてくれていた教授の推薦を受けて、スイスの大学院で作曲について勉強に励んでいる。大したものだ。三つ上の兄はというと、こちらは勉強はからきしであったが、生まれつき手先が器用で、絵画、陶芸、折り紙、料理、それにハンドメイドで家じゅうのほつれた衣類を仕立て直すことができた。そんなものの何が面白いのだと私が尋ねても、寡黙な彼は笑って手を動かし続けるのが常だった。そんな彼も大学二年時に、高校の時に出会った恩師の助言に従って、フランスで彫刻の修業をするべくひとりで家を飛び出したのだ。英語どころか日本語さえ危うい彼が、異国の地でひとり生活できる訳はないと思った私を含む家族は、必死に辞めさせるよう彼に説得したが、ひるむどころか、むしろその状況を楽しんでいるような笑顔を存分に湛えた彼はその後、全員からの猛反発を退けてフランスへ旅立ち、日本の学生とシェアハウスをしながら楽しく留学生活を送っている。
そんな自由奔放に、けれど確固とした意志を持ってきた兄たちとは対照的に、私は明確な夢を持たずこれまで過ごしてきた。良い高校、良い大学に進むことが、人生の正解だと思っていた。親の厳しい躾けに沿って育ってきた私にとって、自分の意思を無理やりでも表に出すと言うことは、反抗の証に他ならなず、親の顔色を窺って行動してきた分それは憚れたのだ。もちろん、それは私の持つ生まれつき小心な性格と、男兄弟の末っ子という家庭環境が生んだものであるとは、図らずも否定できない事実ではあるのだけれど、それでも何に対しても慎重で、優柔不断な私の性格は、兄たちのように明確な将来の図を描けずにここまで来てしまった結果でもあるのだ。
だから私は父親が浪人の資金を出さないと言った際に言い返す言葉が浮かばなかったのだ。要求を表に出すことは反抗に他ならないと感じていた私は、黙って父親の言葉に相槌を打つだけで話し合いを終えてしまったのだ。後から込み上げてくる猜疑心と不安は拭えず、いつまで経っても私の心の中にごうごうと渦を巻いてわだかまり続けても、それを消化する術を持ち合わせていない私は、黙ってその苦しみに耐えるしかなかったのだ。私に残された選択は、親に従って有名な国立大に入学すること、ただそれだけしかないのだ。
「よし決めた」
何となく煮え切らない気持ちで思いを巡らせていると、右端に座っていたAの声が耳元で響いた。
「オレ大学辞めるよ」
驚いて顔を見合わせる私とB。彼はそんな私たちの表情など気にせず言葉を続ける。
「勘違いするなよ。オレは勉強が嫌いだし、大学にも馴染めていないけど、断じてそんな理由で辞めるわけじゃないからな。オレはなあ、オレは見返してやりたいんだよ」
唸るような波の突進が、砂を砕いて静かに引き下がっていった。
「見返す?」
「そうだ、見返すんだ。全員を見返すんだ。今までさんざんオレのことを馬鹿にしてきたやつら全員をな。バカとかアホだとか脳筋だって言ってた連中を全員ひれ伏せて、そいつらを顎で使えるくらい偉くなってやるんだよ。だからオレは大学を辞める。辞めて起業するんだ。オレは社長になる。見違えるほど偉くなって全員驚かせてやるんだ」
突然の告白に呆気に取られてしばらく返す言葉が浮かばなかった。彼が自身について熱く語ったことは稀だったし、私たちの前で宣言のような決意を口にしたことも今までになかった。そのためつい今しがた、闇夜の波を突き破るようにして堂々と言い放った彼の姿は衝撃的で、私は身がひるむように呆然と、ただ彼の水に濡れた横顔を眺めるしかなかった。稲妻のように突発的な彼の発言は、始めふざけて言っているだけなのだろうと、疑いの余地さえ与えた。けれどその力のこもった語調に加え、まっすぐ海を見つめる表情は真剣そのものだからなおさら不思議でたまらない。青白く光る彼の横顔は波の飛沫に濡れて、わずかに浮き出た鼻梁が静かに震えていた。
Aのこの思い立ちはあらかじめ決めていたことなのか、はたまた眼前に広がる大海原が彼を勇気づけ、そのまま決断へと導いたのか、その真意は私にはわからなかったが、何かを決めた時に現わす人間特有の清々しい肯定感が、海の前で彼を美しく映していた。大きく開かれた瞳の、その凛々しい眼差しが海の先、地平線の奥まで続いているような気がして、いつしか私はその姿に魅了されていた。
「忘れるなよ」と私は彼に聞こえない声で呟いた。
タバコに火を点けたAは、立ち上がって流木の後ろへ下がり、私とBに見えないように煙を吐いていた。海風に晒されて膨れ上がった苦い葉の香りが、水を吸った朽木のくすんだ匂いを連れて私たちの間に流れた。ゆっくりと滑り落ちる時間が、波の音に絡み取られて年月を重ねた貝殻のように心を洗い流していった。
私たちはまたしばらく黙って海を眺めていた。私の隣に座るBは反対の方を向いて、道路を走る自動車に時折目をやっていた。三人がそれぞれ別の方向に顔を向けたまま、何か言葉にできない想いを抱いているような気がした。私は両手を膝に置き、何か一枚の絵画でも見るみたいに波の叫びを強く感じていた。そうしていると、次第に波音が地球全体を揺さぶっているような感覚。地上が私たちに、何か大切なことを訴えかけているような気がして、耳をそのままに目を瞑った。私はゆっくりと流れ行く波音に、忘れかけた記憶、いつしか見た夢の情景。競走馬のけたたましい咆哮と、砂埃の舞う蹄の振動が、地全体を震えあげていることを思い出していた。
「根岸へ行こう」
自然に飛び出たその言葉が波に弾けた砂のように遠ざかっていった。大きな波が左手のブロックに当たって穿けていく。持っていた吸い殻を砂浜へ放り捨てたAは後ろから私を覗き込むようにして
「また急だな」
「うん」
「何かやりたいことでもあるのかよ」
「別に」
「なんだよそれ。何かやりたいことでもあるんだろ」
私は息を止めた。そして半ば思案するように顎に手を添えて、水を吸った砂に視線を注いだ。この三人で根岸へ行く目的。そんなもの前からとっくに決まっているじゃないか。
「根岸のドラゴンを探しに行くんだよ」
わざと明るく発した私の声が、深い沈黙を包んだ浜の上に落ちたかと思うと、途端にAが噴き出すように笑い始め、続いてB、私と、三人は顔を見合わせて笑った。それまでの張り詰めた雰囲気を打ち砕くようにして爆発した笑い声は、深夜の海の咆哮に負けないくらい、波のうねりを飛び越えて辺りに響き渡った。
浜辺を上がった私たちはドライブスルーに寄り、海を望める高台で夜食とも朝食ともいえないハンバーガーを食べた。空は端の方が既に赤らんで、砂浜へ出るサーファーの姿が小屋の方から見えた。私たちが再び車を走らせる頃には、穏やかな海いっぱいに朝陽が射しだし、快晴の空をオレンジ色に光らせた。後部座席に座る私は眠気を抑えようと窓を開け、ヤシの葉を震わせる爽やかな朝の海風を全身に浴びた。運転するBのステレオから男性ボーカルの甘い声が流れ、過ぎ去る風の音に合わせてカモメが上下に浮遊した。
冷たい風の流れる車中で、私はふと以前駅で見た少女のことを思い浮かべていた。バイトを遅刻した私の目に、反対のホームで読書をする学生服の少女。電車がホームへなだれこむ一瞬、肩を覆う黒髪が車体に紛れて消えていく間際、猫のように光る栗色の瞳が私を捉え、朝陽のように柔らかな笑みが全身を包みこむ。あの時の私の恍惚とした焦燥感、儚い美しさに胸が苦しくなったあの時の感覚。少女にもう一度会いたいという衝動が、風にさらされて冷える身体の中に、擦り傷のようにじんわりと熱い血がわずかに広がる。私は少女の瞳を思い浮かべながら、夏を控えた空に昇っていく太陽の光に温められ、そのまま深い眠りに落ちていった。
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