番外編 ジョンの回想とそれから
ジョン・ウェルス子爵と呼ばれるようになって二年が経った。
弟のハドリー・ウェルスが昨年ようやく意中の女性を口説き落とし結婚に至ったが、家を出たのはつい昨日のことのように思えてしまう。格上の家柄に婿入りしても仕事をこなせるように僕に頭を下げ、勉強により一層熱を入れていた姿も鮮明である。今でも本棚を眺めていると、この本あいつに読ませてやりたいな、とか考えてしまうが、もうその必要はない。
僕は26歳になった。婚約者も恋人もいない。
ウェルス家の後継はどうするのだと問い詰められるかと思ったが、5年前に母親と最初で最後の口論をして以来、恋愛に関する話は一切持ち出されなくなった。ハドリーの結婚の話ですら、タブー扱いだ。
確かに、ナディアとの婚約を控えていたはずなのにあいつは結局恋に落ちた相手が別にいて、それが原因で破局した時はなんてバカな男だとなじってやったものだ。
けれどナディアとキーランの元に、ハドリーは自分で落とし前をつけに出向き、(二人が寛容かつ理性的に譲歩してくれたという前提がありつつも)自分の力で和解を成し遂げ、最終的には恋した女のために努力して認められて結婚に至った。そんな経緯を考えれば、僕は素直にあいつの結婚を祝福してやりたいものなのだが、母の罪悪感にまみれた顔を見たくないので暗黙の了解を受け入れている。
父と僕の血が繋がっていないというのは、ハドリーが生まれた時からわかっていたことだ。もう本当の父親の記憶も薄いが、思い出が微かに残っている。今の父親との距離感は心の奥に触れ合わないが、しかし穏やかなままで争うことは一切なく、ちょうどいいとすら感じる。この家の居心地は決して悪くなかった。弟とも仲が良かった。なんなら家族の中だったら弟のハドリーが一番心を許せたまであった。
けれど、幼い頃、母親の態度の違いに気づいて、確かに疎外感を覚えたのも、孤独感にふと涙が出た夜のことも覚えている。
恋なんてもので大きな過ちをおかした弟の婚約解消式では、正直胸の内がスカッとしていた。
ほらみろ、母上。あなたが一番愛した息子が、あなたの教えで愚かな結末を迎えているよ。
人の愛し方を間違えて教えてしまった罰だ。
ナディアは礼儀正しく思いやりがあっていい子だと思っていたし、義妹になるのを楽しみにしていたくらいだった。
ナディアがハドリーに恋しているのだって丸わかりで、ああこれなら母上の教えもあながち間違いじゃなく、上手く作用してくれるんじゃないか、末長く仲の良い今の母上と父上のようになればいいじゃないか、なんて思っていたのに、ナディアを裏切って別の女と恋に落ちたハドリーを知った時は、きっとナディアが傷ついたように僕も似たような思いでショックを受けていた。
その時に僕は一つ心に決めたのだった。
「父上、母上、僕は明日養子を迎え入れます」
僕の報告に食事の手が止まる二人は、目をかっぴらいて僕を凝視した。
「ジョン、その……そんな話は初耳なのだが」
言葉を失った母の代わりに父がようやく口をひらく。
「ええ、初めて言いましたから。手続きはもう全部済んでいるんだ。僕は結婚しないけど、この家には後継者が必要でしょう? 数ヶ月前の孤児院での視察の際に気になった子がいたから引き取ることにした。その子を次期ウェルス当主にって考えているよ」
親に何の了承も得ずに、独断進行したことは責められるべき行為だということはわかっている。
けれど後継問題について話を持ち出さなかったのはお互い様だ。それにウェルスの当主権限はもはや全て僕のものになって日が経っている。実のところ、両親に説明する義務はなかった。
にしては大きな話を隠してしまったけれど。
しかし、ハドリーの婚約解消以降胸に渦巻いていた黒い感情の吐き出し口は、今この瞬間しかないと思っていた。
「僕は僕のやり方で新しい家族を愛していこうと思ってるから、二人もどうか愛してあげてください」
血のつながりなんてなくても、人を愛することはできる。
恋に溺れる必要もなく、一番の愛を与えることはできるし、家族になれる。
それを証明してやりたいと僕は誓ったのだ。
「ウェルスさま、こんにちは」
「こんにちは。今日で会うのは五回目だね」
「………あの………」
少年はウェルスの屋敷と庭を見ては、口を半開きにして放心状態になっている。
僕は彼の目線に合わせてしゃがみ、手を握った。
触れられてびっくりしたのか、肩が強張っている。びっくりしただけじゃなく、この反応は……
だからなるべく優しく、ただ触れるだけに近いくらいに力加減を調節した。
「前回も話題にしたけれど、改めて、今日からここは君の家だ」
「……」
「君の名前は今日からトーリ・ウェルス。結構似合うだろう?」
トーリはいまいち状況が把握できていないようで、眉尻を下げて俯いている。
握った手の、火傷の痕をついなぞってしまうと、トーリが再び驚いて僕を見た。
彼は二歳の頃に虐待されて孤児院に引き取られた。まだ四歳の少年。言葉を覚えていなかったとはいえ、虐待の記憶は体に染み付いているようで、普段は年不相応に落ち着いている一方、ひどい癇癪を起こす時もしばしばあると報告を受けていた。
幼いながら、そういった自分の抑えられない感情に対して罪悪感を持って距離を置く癖がある彼は、今も気まずそうに居心地を悪くしている。
僕はトーリを引き寄せて、ハグをした。
「この家の人間が、これからずっと君を愛すると誓うよ」
少し物理的な距離を縮めるのが早すぎただろうか、と不安を覚え、すぐに体を離す。
頭を撫でるのはまだ怖いだろうか。代わりにもう一度握手するように手を握り、僕は立ち上がる。
「イリア」
「はいジョン様」
「一緒にトーリに部屋を案内しよう。その後、三人で昼食を取らないかい?」
「? 私もご一緒して良いのですか?」
そう首を傾げるイリアは、僕の右腕の女性秘書である。
「トーリの家庭教師も兼ねるんだし、親交を深めるいい機会だと思って」
「ですが、あの……私は平民ですから……」
イリアは複雑な表情を浮かべる。
平民、貴族、その分類すらも邪魔だなと思う。
キーランが領地合併予定のために、首都に申請書を持って行った日の事後報告を聞いた。
元々貴族による代表議員たちが中心となって王と政治を行なっていた我が国だったが、近いうちに制度が変わるかもしれないという機運を感じたという。
一般市民の政治参加を希望する運動、穏健な王、領地運営を一貴族が管理することの限界、首都から遠く離れた僕たちの領地ではあまり感じられなかったが、確かに年末の貴族による会議も、どんどん柔和になっていくなと思っていたし、首都の人々が元気すぎてびっくりしたくらいだった。
王も、中心議員たちも、自分の周りの人間に優秀な平民を登用しつつあると噂には聞いていた。
このまま無血で国は変わっていくのかもしれない。
そうしたら貴族と平民に何の差があるというのか。
「そういうの、ウェルス家では無いことになっているんだ」
「はい…?」
「貴族とか平民とか」
結婚はビジネスだった。
でも僕はそれを無視することにした。
貴族の間の不倫文化も馬鹿馬鹿しいし、ナディアとキーランのように愛し合ってする結婚の方がずっと健全で美しいものに見えていたし、愛がないのであれば意味はないんじゃないかとずっと考えていた。
国全体が堅苦しいものから解き放たれるというのなら、自分が真っ先に自由なやり方で家族を作ってもいいんじゃないかと。
愛する人がいなかった僕。
生まれて早々虐げられた少年。
「……それじゃあ、お言葉に甘えて同席いたします」
イリアは、5年前に望まない妊娠からの死産が原因で子供が産めない体になっていた。
秘書としての資格を得て我が家で働くようになって、彼女の境遇と、それにより結婚を諦めたという彼女の話を聞いて、まるで子供を産めない女性に家庭を持つ資格がないと言っている価値観に疑問を持った。
これは僕の勝手な理想だけれど、イリアが家庭教師としてトーリに教えるうちに、どうか深い信頼と愛が芽生えて家族のようになれたらと願っている。
三人でご飯を食べようと言ったのだって、その関係性を始めたいと僕が思ったから。
「そうだトーリ、お隣の領地を治める大きな家で子供が生まれたんだ」
「こども…?」
「そう。ユースティス家と言ってね、女の子の赤ちゃんなんだって。もう少し大きくなったら、トーリが兄として彼女と遊んでやってほしい」
かつてのハドリーと、ナディアと、キーランのように。
身分も関係なく、ただ純粋に庭で駆け巡る子供達だけの世界を築いてほしい。
「僕の弟の幼馴染たちの娘さんだ。きっとトーリも好きになるよ」
僕はかつて、三人が遊んでいる姿を見るのが好きだった。
少しだけ羨ましくて、けれど勉強をしなくてはいけなくて、彼らの世界を壊してしまうのも嫌だったから遊びに加わることはなかったけれど、一度だけハドリーを呼び出して今三人で何をしているのかと聞いたことがある。
ハドリーを呼び出した後、豪雨が降ってしばらくハドリーをナディアとキーランから離してしまったが、そのおかげで楽しい話を聞くことができて嬉しかったことを覚えている。
まさかあの日、僕がハドリーを呼び出したことでキーランとナディアの恋の始まりを作っていたとは。
それを知るのは、トーリと、ナディアたちの娘と、ナディアの侍女の娘が、仲良く庭で駆け巡るようになってからだった。
片思い令嬢の傷心 巻鏡ほほろ @makiganehohoro
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