第14話

眼前に広がるオレンジの丘と青い空のコントラストが眩しく、からっとした風が砂をさらさらと運ぶ音が耳に心地良い。

人生で初めて触れる空気と音色のおかげでナディアは異国情緒に胸を高鳴らせている。

この日、ナディアとキーランは海を越え、別の大陸へ旅行に来ていた。


「キーラン、あれが砂漠で移動に使われるという動物かしら? あら、でもコブが一つしかないわね…」

「生息地域で違うって聞いたことがあるよ。どう? 乗ってみる?」

「わ、私も乗れるんですの…!? ぜひ…!」


いわゆる、新婚旅行というものである。

付き人も最小限に訪れた砂漠のオアシスと呼ばれるこの場所は、観光地として世界的に有名な場所だ。纏う衣服もナディアたちの国とは違い、生地が透き通るように薄く、動くと軽やかに揺れていている。

色鮮やかな衣服がゆらめく様を見ていると、なんだか楽しく泳ぐ魚を愛でているような気持ちになった。

「ナディア奥様」

呼び方を改めたのは侍女のリタだ。まだ慣れないその呼び名に一拍おいて反応したナディアが振り返ると、彼女の手に現地の女性が身に纏っているものと似た布があった。

「観光前に、ぜひ着替えてみませんか? こちらの国の文化に触れてみる良い機会ですよ」

「とても良い案だわ、ねえリタも一緒に着替えましょうよ」

「わ、私もですか…!?」

「この国のお洋服が気に入ったから、着ている姿を見たいの。自分の姿は客観的にみることができないでしょう?」

だからお願い、とナディアが微笑む。リタはまさか自分の装いを変えることになるとは、と戸惑ったが、ナディアのお願いとあれば叶えないわけにいかなかった。

先にナディアを着替えさせ、鏡の前で待たせた後、リタも自分が寝る場所に一度戻って着替えを済ましてナディアの元へ再び戻った。

リタの装いにナディアの瞳がぱあっと輝く。リタの薄い茶髪に、鮮やかな緑の布がよく似合っている。普段は仕事の邪魔にならないように一つにまとめられていた髪を肩甲骨辺りまで下ろしている。少し外に跳ねた癖が衣服の鮮やかさとリタの小麦色の肌に似合っていつもより元気で明るそうに見えた。

「可愛いですわ!」

「そ、そう真正面から褒められると恥ずかしいですね…。私なんかより、奥様の方が美しいですよ。きっと旦那様も見惚れるに違いないです」

「…あなたが選んでくれたものだもの。私に似合う色をよく理解してくれて、本当に嬉しいわ」

ナディアはターコイズとスカーレットのマーブル模様の柄があしらわれた布を纏っている。一見派手なように見えるが、ナディアの愛らしい顔が柄に似合っているのと、下ろされた栗皮色の巻き髪が衣服の派手さを抑えてくれていた。小柄なナディアだが、マーメイドドレスのように布が形作られ、色合いとシルエットからどこか色気が醸し出されていた。その雰囲気に似合うように青く透ける大きい宝石のイヤリングがあしらわれている。

すっかりと大人びたと、リタも見入ってしまった。


「そろそろ体験の時間じゃなかったかしら」

「あっ、そ、そうですね。参りましょうか」


部屋の扉を開ける。部屋の前を横切る廊下の突き当たりにあるテラス席では、キーランが白いシャツ姿で通訳を挟んでホテルマンと会話をしているようだった。

リタは自分の衣装が普段と違うことを気恥ずかしく思いながら、ナディアの後ろに控えて共にキーランの元に向かった。

影から太陽光が射すところに歩み出ると、キーランが二人に気づいて目線をよこし、そして少し驚いたような表情をする。


「リタが、せっかくならこの国の文化に触れましょうって提案してくれましたの」

リタの隣に立ち仲良さげに腕を回して、ナディアは自分の衣装の裾を広げた。二色のマーブルが光に透かされてさらに鮮やかさを増している。

ホテルマンが異国の言葉でナディアたちに笑顔を向けている。

「二人ともとてもお似合いで美しいと褒めております」

通訳の男性がメガネの奥で目を細めて言った。対して、隣のキーランはまだ目をぱちりと開けたまま動きが止まっている。どうしたのかしらとナディアが首を傾げ、キーランの方に向かう。一人になったリタがホテルマンにさらに褒められている声を後ろに、言葉に困っているのを助けるために立ち上がった通訳と入れ替わるようにしてナディアがキーランの隣に座った。キーランが顔を隠すようにしてテーブルに肘をついている。

「キーランは褒めてくださらないのかしら」

すっかり得意げにナディアが顔を覗き込んで言うと、キーランは耳まで赤くして、困ったように視線をおずおずと向けた。

「……ここに連れてきてよかったなと、しみじみと思っているところだよ。…とても似合っている」

「私、普段の装いよりも好きかもしれませんわ。夏の間の衣装にしてみようかしら」

「できれば部屋だけにしてほしいな、俺たちの国だとその……生地が薄いから、勘違いされそうだ」

「ふふ、そうですわね。ここまで薄い布は下着か寝間着くらいだもの。あ、だからこんなにも開放感があるんですのね」

「この国の伝統衣装とはいえ、好きな人に着られたら俺だって動揺する」

「……ふふ」

好きな人、と言われてナディアも思わず顔を赤くして、恥ずかしさと嬉しさから笑顔になってしまう。

好きな人にそう言われることが嬉しいのだと心から感じ、そしてそんな表情のナディアにキーランも恋心のときめきを再び感じてしまう。

思わずキーランは、ナディアと隣り合う方にある手でナディアの右手を取り、ギュッと握った。

「二人きりだったらなあ……」

引き寄せて抱きしめたい衝動を、ナディアの手を何度か握ることで発散させている。

粘土をこねられているかのような握られ方に、なんだか子供に遊ばれているような気持ちになって、ついつい可愛いと考えるナディアだった。


砂漠の生き物に乗ったり触れ合ったりする体験も終わり、再度ホテルに戻って今度は街の方へ繰り出す。建物も衣服も食材も色とりどりでナディアはたくさん目移りをしてしまう。

この国の人は日焼けをして背が高い女性が多いせいか、白く小さいナディアは目立ちがちで、時折現地の男性に絡まれそうになるも、キーランがすぐに自分の方へ引き寄せて事なきを得た。なんだか申し訳ないと思いつつも、キーランの金髪もこの国では目立つので、先ほどから色んな人の視線を集めている。キーランの立ち振る舞いや通訳を付けていることから、出店をかまえる男性たちがギラギラと狙いを定めているようだった。若い女性たちもあわよくばと遠巻きから視線をよこすのがわかる。

「あまり長居すると、いいカモにされてしまうかもしれないね」

「それもありますし、あと、色んな勧誘が多いですから…」

それはキーランへの向けられる女性の視線と、ナディアを誘惑しようとする男性と、何より、リタを籠絡しようという男性がそれ以上に多くて苦労している様子を見て出た言葉だった。リタの現地衣装が思った以上に似合っており、この国の美的価値観に合致しているようである。通訳の男性が断りを入れる役割をしてヘトヘトになっているのを哀れみ、早めにホテルに戻ることとなった。

「旦那様、奥様…私のせいで申し訳ありません」

「あら、私はなんだか誇らしいですわ。本当にとっても似合っているから、たくさんの人がリタの魅力に気づいてくれたみたいで。でも少し怖かったわよね…?帰ったらゆっくりおやすみしましょう」

「はい、ありがとうございます…!」

本当に疲れたようで、ナディアに縋り付くようにして背中にひっつくリタが、いつもはお姉さんらしくナディアを見守る侍女の仮面を取り払っており、年齢が逆転してしまったのではないかと錯覚する。ナディアは思わずリタの頭を撫でて隣歩いて人の合間をぬった。二人を守るようにして、前に通訳、すぐ後ろにキーランが歩いた。


食事を終え、ホテルならば女性だけでも大丈夫だろうとナディアはリタを部屋まで送った。

憔悴した彼女に、こっそり買ったアロマをプレゼントし、ぜひ寝る前に焚いて癒されて欲しいと告げたら、リタはうるりと目を潤したもので、二人して戸惑い慌てふためいた。

「ナディア様が素敵な人で、私は本当に本当に幸せです。一生仕えさせてください…」

「そんな大袈裟な…それに感謝しているのは私の方ですわ。貴女の時間をたくさんいただいて、辛い時だって貴女がいたから一人じゃないと思えましたのよ。この恩は一生かかっても返せないわ」

「うう、ナディア様……ぜひ、私に子供が生まれたら名付け親になってください……」

「そんな名誉いただいてしまっていいのかし…………え!? まさか、リタ、貴女……」

ナディアはリタに駆け寄って思わず腕を掴んでしまうが、その反応にリタが「あ、ああ違います別に妊娠はまだしていないんですが」と早口で捲し立てる。

「ご、誤解させてしまいすみません……こんなところで、変なタイミングでの報告になってしまいましたが、私、近々結婚の予定ができまして…」

「まぁ………まあ! おめでとうリタ!」

ナディアは思わず抱きつく。精一杯の抱擁に、リタも優しくハグを返し、感じていた感謝を伝えるかのように二人は長く抱きしめあった。

「結婚してもお仕事は続けます。産休はいただくことがあるかもしれませんが、子供が成長したら、ぜひナディア様と旦那様のお子様の遊び相手にしていただければと思います」

「それは……とても夢のあるお話だわ。待ち遠しい…!」

「……どうかお互い、無事授けられるようにお祈りしないといけませんね。……そうだ、奥様」

リタが部屋の鏡台の方へ手招きをし、ナディアを座らせる。

「この後は旦那様と過ごされるでしょうから、先に身支度しませんか? 衣装を着替えて見せた時みたいに、また驚いてもらいましょうよ」

現地衣装を纏ったナディアに見入られているキーランを思い出してふふふとリタが妖しく笑う。イタズラ心を呼び起こさせるほどの動揺っぷりだったと後に語る。

「でもリタ、疲れているでしょう…? この後は自分でやるわ」

「いいえ、先ほど将来の約束を願いあった仲ではありませんか。早期実現のためにも腕を振るわせてください」

言ってくれる内容は微笑ましいものの、過程の生々しさを思い起こさせられてナディアは思わず頬を熱くする。

スゥ、と大きく息を吸って、体内の熱を吐き出すように深く呼吸する。

覚悟を決めて

「お願いしますわ」

と両手を握った。

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