第12話

ナディアの家が持つフローリネ領はキーランの家のユースティス領との共同統治となる。

いずれ二人が産んだ子供が複数であれば、後継のうち誰かがフローリネ領の次期当主となるだろう。一人であったとしたら、領地の合併も検討すると話がまとまっている。

貴族の結婚及び家庭の形成は改めてビジネスなのだと実感しつつも、仕事終わりのキーランとソファで横並びになって会話を楽しんでいるナディアは、自分が最も幸福な形での結婚ができてなんと運がいいことかとしみじみとしていた。

「……それでね、領地の話には続きがあって」

キーランが不安げに視線を揺らして、背もたれから背中を離し、両膝に手をついている。

「将来合併するかもしれないと決まったのは、フローリネ領だけじゃないんだ」

「…!」

かつて、ユースティス領は今よりも広大な土地を持っていた。

キーランの先祖であるユースティス伯爵家には両腕となる家臣がおり、それがナディアのフローリネ家の先祖と、そしてハドリーのウェルス家の先祖であった。

ユースティス領は現在、三つの領地がすべてが隣り合うようにして三等分された形になっており、分譲された二つの土地を治めているのが、それぞれ現在のフローリネ子爵とウェルス子爵なのである。

「本当はフローリネ領とウェルス領が合併する予定だっただろう? だからフローリネとユースティスとで合併するのであれば、いっそウェルスも……と、ウェルスの次期当主から提案されたんだ」

「次期当主となると、ジョン兄様が……」

「一番財政が芳しくなかったのがウェルス領だったからね…ユースティス領が大きくなってしまうと、ますます領民が流れて逼迫するのは確かだ」

ハドリーとキーランが喧嘩をした日、ハドリーは順調だと言っていたがあくまで一時的な数字の話であった。ウェルス領は、いずれは合併の道に帰着しただろう。

「つまり、昔のような関係性に戻るというわけだけれど、俺の代で始まるのだとしたら、あまり上下の区別はつけさせたくない。領地が広くなって管理するのは実際大変だ。家臣がいなくては成り立たない」

「ええ、私もそう思います。三家が良い関係であり続けられるように、努めなくてはいけませんね」

良い統治は、良い人間関係からだと、学園で学んだ。

そんなの絵空事だと笑う貴族もいたが、ナディアとキーランはそうは思わない。実際、分割された領地であっても、現在こうして三つの家が絆を保ち続けていたのも、一番権力を持っているキーランの父・ユースティス伯爵の人柄の良さがあったからだと二人は知っていた。

「そこで、一週間後、ウェルス家と改めて契約書を交わすことになっているのだけれど、ジョン兄さんが先日、事故で足を怪我してしまってね」

「まあそんな…! 命に別状はありませんでしたか?」

「そこは大丈夫みたい。ただ、屋敷外の移動が難しいということだから、代わりをよこすと」

ナディアはハッとして、動きを止める。

キーランの複雑そうな話の切り口の理由はここにあった。


「まあつまり、ハドリーがうちに来るんだ」


ナディアからすれば、卒業の日以来、約10ヶ月ぶりのことである。


「ナディアの気が優れないなら勿論、会わせないように取り計らう。けれど…ハドリーが、もし叶うなら、君に謝りたいと言っているんだ」

「………」

「その場には俺も立ち会うけれど、どうしたい? 何か物理的に制裁を与えたいというなら俺が力になってあげられるけど…」

キーランが半分冗談めかして肘をぐるぐると回す。

ついナディアも笑い声が漏れる。

「………なら、安心ですわね」

まだ何かわだかまりを抱えている表情に、キーランが「でも」と口を挟んだが、ナディアは大きく深呼吸をして、顔を上げ、キーランの顔をまっすぐ見て言った。

「ハドリーからの謝罪を受けることで、私もけじめをつけることにいたしますわ。婚約解消をするだけして、今までのことをなかったかのように振る舞うことはできても、やはり心のどこかではウェルス家の人々のことを考えてしまいます。合併があるかもしれないのならなおのこと、私とハドリーの間に不和があっては上手くいきません」

ナディアの決意は固かった。

「けれども、的外れな謝罪をしてくるようなら、その時は二人でたくさん叱りましょうね」

笑顔でそう言ってのける、すっかりしたたかになったナディアに、キーランは安堵と頼もしさを覚えた。

「ではそのように、ウェルス家には返事を送っておこうか」

「後半のお話は内緒ですわよ」

「わかっているよ」



ユースティス領の統治に関しては、まだ完全にキーランに委任されたわけではない。

対外的に大きく物資が動くようなものは、大きな判断はまだキーランの父に最終決定権がある。

しかし将来合併するかもしれないということについての取り決めは、将来的に最高責任者となるキーラン本人が全て決める必要があった。

未確定の情報が多いとはいえ、もしも実現となれば国家の中でも比較的大きなニュースとなるだろう。領地民も倍以上になり、面積も国有数のものとなる。その時の責任を今から見据えていかねばならないことは、キーランも重々承知の上であった。

たとえフローリネとユースティスの合併が実現しなくとも、自分が統治者として人の上に立つことは確定されているし、ウェルス領の財政を見るとウェルスとの合併については確定しそうである。少なくともこの話し合いは、キーランにとっては自分の人生の分岐点になりえる大きな決定だった。

事務的な手続きには、自分の家で働く秘書と、自領地で一番信頼のおける弁護士や税理士も伴う。

ウェルス家の人々が到着すると、会議室は人が増え、厳かな雰囲気に包まれた。

キーランも久しぶりにハドリーとこうして対面をする。

ハドリーはしっかりと目上の人間にする挨拶をこなし、緊張の面持ちであったが粗相の無いよう細心の注意を払っているようだった。

半年以上会わないうちに、彼も自分の業務に追われてしごかれたのだろうというのは察せられた。

あの日、キーランに殴られて呆然としていたハドリーはもういないようで、キーランはひとまず安心をする。

粛々と、両家による具体的な話し合いが始まった。



一方同時刻、ナディアはこの会議後の話し合いの場を、侍女のリタと共に準備していた。

どのくらい時間がかかるかわからないので、場合によっては応接室で食事をとることもあるだろう。

そう思ってナディアが料理長の元に話をしに部屋を出た時だった。

「ナ………ユースティス次期伯爵夫人」

耳慣れぬ自分の肩書きだったが、その言葉を指すのは自分以外いない。

ナディアが振り返ると、そこにはハドリーの母、現ウェルス子爵が肩を小さくして立っていた。

なぜここに……と一瞬戸惑ったが、ハドリーの訪問に伴って来たのだろうと気づいて、ナディアは平静を取り戻し、礼をした。

「お久しぶりでございます、ウェルス子爵様」

「……私なんかに、丁寧にしてくれて、申し訳ないわ。それに、今回の訪問も突然だったというのに…」

「! ウェルス子爵様…!?」

ハドリーの母は肩を震わせ、涙をこぼした。お付きのメイド二人が焦ったように彼女を支えている。

このまま廊下で泣かせたままにするわけにもいかないと考えたナディアは、メイドたちに「こちらの部屋へ」と、準備していた応接室に誘導させた。


「今一度、ここにいらっしゃった理由を伺ってよろしいですか…?」

ソファに座らせ、その隣でハドリーの母が落ち着いたのを見計らったナディアが優しく声をかけた。

ハドリーの母はナディアの顔を再び見ると、また涙が込み上げてしまったのか、スンと鼻を鳴らす。

「私に泣く権利なんてないのにね……」

ハンカチで目尻の涙を拭うと、一度深く呼吸をして、改めてハドリーの母は立ち上がる。

そしてナディアに向かって頭を下げた。これにはナディアも目を丸くした。

「私の価値観が、貴女の気持ちを不幸にさせました。改めて、謝らせてちょうだい」

「そ、そんな、私は……」

「いえ、ハドリーの行動や考えは私の教育に原因があります。貴女には、ハドリーのために何年も心を砕かせてしまった……私がそもそも、もっと貴女を尊重してあげられたなら……婚約解消をさせなくて済んだかもしれないと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです」

「………」

ナディアは、年末のパーティーでの彼女の言葉を思い出していた。

自分の境遇から、ハドリーに恋の推進力を深く説いていたこと、そしてそれが結果としてレイナへの恋心を焚きつけ、のめり込ませ、ナディアを顧みることがなくなったこと。

ハドリー本人がこのことについて母親を言い訳にしてくるのかは、この後話してみなければわからないことであるが、ハドリーの母は自分にこそ責任があるのだとこうして頭を下げている。

全く影響がない、というわけではないこともナディアは十分理解していたので、これ以上頭を下げるなとは言えなかった。

彼女はあの時、ナディアに「恋心を向けられていないのだから仕方ない」と言ったも同然だったのだから。ナディアはハドリーの母に怒る権利は十分あった。


「ひとまず、顔を上げていただけますか。私たちも少し話をしましょう」


料理長には別の人間に言伝を頼もう。ナディアはリタとまた別の侍女を呼び、リタには言伝を、別の侍女には紅茶の用意をさせるよう命じた。

ハドリーの母が恐る恐る顔を上げると、ナディアも一度立ち上がり、ハドリーの母と対面するように向かいのソファに座り直した。ナディアが座れば、ハドリーの母も再び腰を下ろした。


「謝罪については、お受けいたします。結果として家族になる縁はなくなりましたが、私はユースティス家の一員となれてあの頃よりも幸せですから」

正直な気持ちだが、少し、ハドリーの母を傷つける物言いをした。彼女への怒りを示さなくてはと思った。

「私はウェルス子爵様の価値観を否定するつもりはありません。けれど確かにあの日、相談した身としては……欲しい言葉は違っていました。たとえそういう教育をしていたとしても、いずれ家族となる私に寄り添ってほしいという希望がありましたから」

「ええ……ええ、本当に……本当にごめんなさい」

「謝罪をしようと思ったのは、長らく後悔をしていたからですか? それとも何か、間違っていたと気付かされる出来事があったからでしょうか」

「……!」

ハドリー本人の謝罪がこの時期になってしまったのは、当事者同士だから時間を置く必要があったことは理解できる。しかし、ハドリーの母であれば、婚約解消の時にでも、その直後でも、手紙なりなんなりで謝罪できる機会があったはずだ。

謝罪をしてほしいと思うわけではなかったが、どうして今なのか、についての疑問があった。

ハドリーの母は自分の愚かさに顔を赤くする。まさにナディアが指摘した通り、考えを改める出来事があった。

「…………ジョンに、叱られたのです」

「え……?」

「領地の話で、合併の申し出をしたのはジョンでした。けれど私は最初反対して、たびたび議論を交わすことがあって……その時、結果として、あなたとハドリーの婚約解消が大きく響いていると、そしてその原因は私がハドリーを甘やかしたからだと、叱咤されたのです」

「ジョン兄様が……」



『母上は気づいていないかもしれないが、僕とハドリーへの態度には明確な差があった。それもこれも父親が違うからだろう。母上の偏愛に僕はずっと心のどこかで気づいていたよ。同時に悲しかったけど、そんな甘ったれたこと、相談できる人もいなかった』

レンズの向こうのジョンの瞳が揺らいだ。彼は膝の上で拳を強く握り締め、怒りを抑え込んでいるようだった。

『ずっと、なんて馬鹿な状況だと反吐が出る思いだった。人間の感情は愚かだ。こんな思いをさせるくらいなら、初めから中途半端な血の繋がりなんていらなかった。ずっと弟との扱いの差を感じては惨めになっていた僕の気持ちを、母上は尊重したことがあったか? あったらナディアとハドリーの婚約解消だって起きえなかったはずだ』

そこでようやく、息子の心の傷を知り、同時に、あの日ナディアになんて酷なお願いをしてしまったのかと後悔の念に襲われた。

ジョンが言い終わり、母の返事も聞かぬまま席をたったあと、言い合いでずれ込んだ時間のまま領地内の視察に出かけたところでジョンは事故に遭ったのだという。



「私は、ジョン兄様に感謝しなくてはなりませんね……」

「……」

彼の言葉がなければ、きっとハドリーの母は自分の無意識に気づくことはなかっただろう。

ナディアも、てっきり二人は同じように愛されているのだと感じていたから、そのようにジョンが胸の内に傷を抱いていたことに驚きつつも、どこか共感を覚えていた。

「どうか、ジョン兄様のことを、これまで以上に愛してください」

ハドリーの母は気づけたのだから、これからたくさん取り戻す方法だってあるはずだ。それに、ジョンだって全く愛されていなかったわけではないのだから、彼を尊重するやり方で深く愛してあげてほしいと願うほかない。

「愛するということはとても尊くて素晴らしいことですわ。私も今は、キーランを深く……キーランに恋焦がれ続けている、と言って良いでしょう。彼のためにできることをしたい、そう思えますわ。しかし愛の形は、恋だけにはとどまりません。私がキーランを愛することだって、初めは人として尊重しあったところからが始まりでした」

ハドリーの母はハッとする。ナディアは続けた。

「ハドリーからは、人を尊重する気持ちを感じられませんでした。だからあの日、結局私は憤慨し、婚約破棄をする決断に至ったのです。ウェルス子爵様には是非、ハドリーに恋を逃さない教えではなく、人を愛することとはどういうことか、について教えて欲しかったと、今なら言えますわ」

「ああ、本当に……本当にその通りです………」

ハドリーの母は再び涙を流した。泣かせるつもりではなかったナディアが少し罪悪感を抱くが、ジョンとハドリー、二人が彼女の考えに翻弄された結果が今なのだと思い直すと、ただ彼女が泣き止むのを待つほかなかった。

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