第11話

「なんて綺麗なのナディア様…! いいえ、お義姉ねえ様……!」


憧れの眼差しを向けるキーランの妹カナリアは、声高らかにはしゃいでいた。

カナリアの他に、ナディアとキーランの母親や、ナディア付きの侍女・リタや、メイドたち、といった女性陣が、ナディアを取り囲むようにして居る。

中心であるナディアは、純白のドレスを身に纏い、恥ずかしそうに微笑んで座っていた。


今日はナディアとキーランの結婚式である。


「こんなに美しい方をもっと多くの人に見せつけなくて本当にいいのかしら、ねえお母様!」

「カナリア、花嫁本人よりも目立つんじゃありませんことよ。もう少し慎ましやかにおし」

「だってだって」

カナリアは無邪気で活発なまだ12歳の少女だ。綺麗なものに目がなく、好きなものは好きだと大っぴらにできる素直さがあった。かつて内気で大人しかったキーランの幼い頃に比べ、キーランの母親はそんなカナリアの世話にだいぶ手がかかっている様子であるが、それもまた幸せな光景に見えた。

宥められたカナリアに、ナディアの手が伸びる。カナリアの手を握ると、少しだけ申し訳なさそうに言った。

「本当は、たくさんお世話になった人も呼びたかったのだけれど…私の都合で身内だけでとお願いしましたの。けれどたくさんの人よりも、カナリアにこうしてたくさん褒めていただけて、私は幸せですわ」

「お義姉様……」

もしも婚約破棄がなければ、幼馴染三人は結婚式で再び集結したのだろう。

ナディアに非があったかどうか、ナディア本人にはわからない。あったかもしれない光景を考えながら、切なく微笑んだ。

「なによ、身内だけでする式こそ気楽で良いものよ!」

そんなナディアを元気づけるように、キーランの母は豪快に笑った。彼女に同調するように、ナディアの母もふふふと微笑む。

「そうよナディア、この結婚式を機に、両家の家族だけじゃなくて使用人たちも交流を深めることができているわ。人が多く集まったんじゃ、こんな親密になれる余裕もなかったでしょうよ」

ねえ、とナディアの母はナディアのそばで控えるリタに同意を求めた。

リタも元気に頷く。

「奥様のおっしゃる通りです。準備の規模が縮小されたおかげでお嬢様にかける時間をたっぷり取れましたから、このドレスの刺繍に専念できましたもの」

ナディアが見に纏う白いドレスの裾は、スパンコールのついた刺繍が見事に広がっていた。ナディアがキーランにプロポーズされた藤棚が強く印象に残り、このドレスにもその思い出の表れとして藤の花のデザインがあしらわれている。

それらの模様や装飾は、すべてリタが手がけたものだった。他の使用人たちが式や食事の準備を進める中、ナディアの人生を一番長く共にしていたリタは唯一ナディアのドレスを縫う仕事をこなした。

「私は向日葵が好きだから、黄色いドレスに向日葵の刺繍がいいわ!」

カナリアが無邪気にリタにお願い、と小首を傾げている。再びキーランの母にカナリアが窘められた。


「あら、時間だわ。ナディア、私たちは先に広間に行っているわね」

ナディアの母は、キーランの母にも目配せをする。

「また後で会いましょう。カナリアも行きますよ」

「お義姉様、あとでね!」

三人に続いて、リタ以外の使用人たちも部屋を出る。しばらく大勢の足音が響き、そしてそれが遠ざかると、部屋は静寂に満たされる。

すっかりがらんと静かになった部屋の中で、ナディアはふと、視線を泳がせた。


ここはナディアの生まれ育った部屋だ。

学園にいる間は長期休み以外、主が不在であったものの、帰ったときにはいつだってナディアにとって一番心地の良い場所として存在していた。

この世に生を受けてから今までずっと、この場所は変わらない。

今日の式を終えたら、またしばらく主人のいない箱となるのだろう。ナディアはキーランのいるユースティス家に住むことになる。


静寂に浸っていると、ふいにコンコンコンと扉の叩く音がした。

リタが扉を開けて応対をしている。ナディアはその様子を座ったまま眺める。

するとリタが振り返り、ナディアに一礼して部屋を出た。代わりに開かれた扉からは、純白のタキシードに身を包んだキーランが現れ、扉が閉じられた。

いつもと違う身なりに、ナディアは動揺が走る。幼い頃から見ていた人が、今日この日のためにいつもよりも格好良く整えられていることが非現実感を思わせた。それに白色のせいだろうか、なんだかいつもよりも眩しく見える。

ナディアのそばに寄ったキーランも、緊張を隠さなかった。穏やかに微笑んでくれる普段と違って、どこか真剣な眼差しで口元も堅い。けれど視線はまっすぐナディアに向けられて逸らされることはない。


「…………綺麗だ、すごく」

ようやく発せられた言葉は、これ以上なんと形容すればいいのかわからないというくらい、絞り出されたものだった。純度の高い言葉に、ナディアの体温がぐっと高くなる。思わず目を逸らして窓の方に視線を向けてしまう。

「そういうキーランこそ……」

続く言葉を、よそ見して言うものではないと言い止まったナディアは、一呼吸おいて、立ち上がった。

キーランを見上げる。

「とっても素敵ですわ」

眩しくて、誰もがくらんでしまいそう。なんて付け足せば、「そんなに褒めないで……」と耳まで顔を赤くした。

キーランのことを好きになってからはいつもキーランがどんなに素敵な人か伝えているのに、どうやら内面についてばかりだと思われていたのか、容姿や身なりを褒められることに慣れていないようだ、とナディアは察する。

———見た目だって、学園に入ってからはより一層素敵になっていたのに、褒めてくる人はいらっしゃらなかったのかしら……

不思議だなあ、と、ついついナディアはキーランの姿に見入っていた。それがより一層キーランの顔を赤らめさせた。


「っと……ナディーの綺麗な姿を拝みたいというのも大事な目的ではあったけれど……ちゃんと用事があって来たからそれを成さねばね」

キーランはかしこまって一回咳払いをした。

「もう広間に向かう時間でしたっけ…?」

「あ、いや、それはまだ……とはいえもうすぐだけど」

あとは両家が見守る中、儀式をするのみだ。

婚約式同様、婚姻の儀式も簡素なものである。当事者である新郎新婦のみが純白に身を包み、人々が見守る中で将来を宣誓し合う。調印として両者の名前を記入し、宣誓の証である指輪を交換する。これで儀式としては全てだ。

宗教に属していれば神に誓う家もあるし、この段取りを取りこぼさない限りはアレンジは家門ごとに様々だ。

身内のみで行う式として準備したナディアとキーランの式は、最低限の儀式ですませ、あとは豪華な食事と音楽で自由に過ごし、家族や使用人たちへの感謝を示すことをメインとした。

なので、今ここでやることは時間まで待機をすることだけだった。

「私、何か忘れていることでもありましたの…?」

とんでもないことだと慌てそうになるナディアを、キーランが静める。

「準備は万端!何も心配いらないよ!これは、俺がやり残したというか、やりたいことだから……どうか協力してくれないかな」

「あら、それならば……もちろんですわ」

キーランのすることならばと即座に返事をするナディア。

「そうあっさりとされても逆に申し訳ないな…」

再び緊張した面持ちでキーランが気まずそうに呟いている。どうしたものかとナディアが首を傾げる。


「婚約式から今まで、そんなに期間もなく準備が始まったからあっという間だったね」

思い出語りのように、キーランが話し始めた。ナディアが「そうでしたわね」と、これまでの短い時間を回想する。

「だから……想いを伝えたものの、君に、恋人らしいことは何もできなくて」

キーランは少しだけ声が小さくなる。照れている。

「恋人同士の思い出もないまま夫婦になってしまうから、少しだけ心残りなんだ」

そう言われて、ナディアはきょとんとした。

「言われてみれば……そうだったかもしれないですわね」

「うっ」

「けれど私、それに対して不満はまったくありませんわ」

ナディアは気恥ずかしそうに笑みを携えて続けた。

「告白していただく前から、キーランと過ごす日々が楽しくて……私にとっては今思えば、それが恋人同士らしい逢瀬だったのではと思いますわ」

「…!」

なんという口説き文句なのかとキーランは衝撃を受けた。

それではまるで、ずっと前から自分のことを好きでいてくれたんじゃないかと言われているようだったからだ。

キーランからすれば、両思いになったあの瞬間が初めてナディアからの好意に確信を得たときだったため、思わぬ返答に言葉が詰まる。

嬉しい、が、感激している場合ではない。キーランが一度額をコツンと右手で押さえて、居直った。


「正真正銘恋人同士である今この瞬間にやっておきたいことがある」

「は、はい」

改まった言い方に思わずナディアの姿勢も正される。

少しだけ厳格な二人の姿勢とは裏腹に、キーランがナディアの左手を掬い上げる仕草は、慎重でどこか弱々しい。

プロポーズされた日を思い出して、なんだかくすぐったいとナディアが思っていると、キーランが縋るように言った。


「キスを、してもいいだろうか」


触れられた手に力が込められる。ナディアは一瞬思考が止まり、キーランの顔を見つめたままぱちくりと瞬きをし、そして次の瞬間ブワッと顔を赤くした。

「な、あっあ……!」

「こ、こんな式の前にやるようなことじゃないのかもしれないけど、俺の欲望すぎて恥ずかしいんだけど、恋人らしい行為ってつまりそういうことで」

キーランが言い訳のように捲し立てるなか、二人の手はより一層強く握り合う。ナディアも緊張と羞恥で力が入り込んでしまう。

確かに、まだ二人はそういった恋人らしい接触を経験していなかった。

俗っぽい知識が一気に雪崩れ込んできたナディアは、その思考に翻弄されて気恥ずかしさを強くするが、しかして興味がないわけでは全くなかった。むしろ、憧れすら抱いていた。

面と向かって言われることなどなかったことだから、ただただ心が忙しない。

「ど、どうすればいいんですの…!?」

思わず声が上ずる。

「ど、どうって!? え、ええと…」

良いでも悪いでもなく方法を訊ねるナディアに面喰らいつつも、キーランが握った手を一度離し、今度はナディアの両肩に壊れものを触るように手を置いた。

びくりとナディアの体が震える。

思わず俯いてしまう。

「………こっちを、向いていただければ……」

キーランが恐る恐る声をかけ、それに応えるようにナディアがゆっくりとぎこちなく顔を上げた。

純白のドレスで大人っぽく化粧をされたナディアだったが、この瞬間はあどけなさが際立った。

カチコチのナディアとしばらく視線を合わせたキーランは、少しだけおかしくて思わず笑みが溢れる。

そしてナディアの緊張を解くために、一度優しく抱きしめた。

キーランの体にすっぽりとおさまる。包まれる心地に、別の意味でドキドキしつつも、強張った肩が和らいでいくような気がした。

近づいた鼓動の音に、ナディアは自分だけが緊張しているわけではないのだと悟る。

すると不思議なことに、こわごわとしていた気持ちはどこかに去り、代わりに、キーランに対する愛おしさが膨れ上がった。

それはキーランも同じだった。

二人の体温が溶け合ううちに、この溢れる愛をどう伝えたものかと思うばかりだった。


二人の間に再び少しの距離が生まれる。

見守るキーランと、見上げるナディアの視線が絡み合う。

キーランの両手が、優しくナディアの頬に添えられると、次第にゆっくりと体を屈ませる。

ナディアとキーランの唇が重なった。

二人の間では、時間が止まったかのように思えたが、名残惜しく離れると、すぐにどちらからともなく抱きしめ合った。

そこに言葉はもういらなかった。

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