第7話

「ええ、そうでしょうとも!」

ナディアが声を張り上げ、ハドリーは思わず目を見開いた。


「この思いも、あなたの隣に立って恥ずかしくないようにと努力をしたことも、全て!私が自らの思いで勝手にしたことですわ」


胸に手を当て、堂々と続ける。


「学友と遊ぶことが叶わなくても、自分の目標とする成績に近づいていくことが、私はずっと嬉しかった。成績表の前であなたが声をかけてくれた時には、胸がいっぱいになりましたわ。確かにその思いも、原動力も、全て私自身が勝手に始めて勝手に実行したことですわ。けれど…!」


声を張り上げるうちに、ナディアの思いが溢れ、それは瞼を熱くして震わせていく。


「けれど、そんな私を見なかったのは、ハドリーではありませんか!私を幸せにしたい、婚約者として大切にしたいなんて表面上の言葉にすぎませんわ。本当にそう思っているのなら、少しでも私を尊重して欲しかった、探して欲しかった…!」


ポロポロと涙がこぼれ、月の光に反射してキラキラと落ちていく。


「私が、ずっと昔からあなたに恋心を持っていたってことを、もっと早くに気づいて欲しかった…!!」


レイナとハドリーの並んだ姿をたくさん思い出す。

レイナのことをそんなふうに見ることができるのなら、一瞬だって自分に意識を向けてくれたってよかったではないか。


「私だって、ハドリーに、可愛いとか、綺麗だとか、何よりも、私と同じ思いで大好きだと言ってくれるのを、何度も何度も何度も夢に見ておりましたわ。けれどもあなたが私にかける言葉の中に、恋愛感情なんて無いのも、ずっと気づいておりました。でも、私たちは婚約者だから、いつかこうやってあなたのために頑張っていれば、その想いが成就するんじゃないかって、愚かにも夢を見続けていたのです」


声が震える。息が上がる。言っていることも伝わりきれていないかも知れない。それでも、抱え込んできた思いを、ナディアはどうしても言葉にしたかった。


「ハドリーのことが大好きだから、ずっとあなたを見続けておりました。レイナ様たちと楽しく過ごされる様子に、嫉妬した日は数え切れません。それでもあなたのことが大好きだから、あなたが楽しんでいる姿を大切にしたかった、あなたが幸せだと感じる環境を邪魔したくなくて、出来損ないの私があなたのいる世界に踏み込んだら迷惑だろうと思ってひたすらに努力をし続けました」


ハドリーがどういう顔をしているのか、確認する余裕すらも無く続ける。


「今にして思えば、そんなのも気にしないでもっとあなたに近づいていたのなら良かったのかも知れない、幼馴染だからという立場に甘えていたのは私ですわ。でも、ハドリーと会話をすれば、全てが無かったことになるくらい嬉しくて幸せだったから、私は気づけませんでした。努力する自分を奮い立たせる、それが自分ができる精一杯だったから、そこを曲げることはできませんでした。でも、それこそが私だったから、いつかはそんな私自身を見てくれるんじゃないかと、あなたに期待してしまっていたのです」


口にすればなんと傲慢なのだろうと思ってしまう。けれど、決してこれはナディアだけで完結した話では無かった。


「あなたと会うたびに、勉学の話をしましたわね、今頑張っていること、大変なこと、解決したことしてないこと、一緒に共有して話し合って、私はその時間が幸せでした。私にとっては、その時間はあなたへのアピールでもあった。あなたが歩く道を私の体で急いで追いかけることも、自分について話し始めるのも、全てはあなたに興味を持って欲しかったから」

けれど

「しかしそれは本当に愚かなことに、私の自己満足にすぎなかったのですわ。そもそもハドリーは、私のことなんて興味がなかったのですから」

「そんなことは…」


「ならばなぜ、キーランですら知っている私の恋心を、あなたは今の今まで知らなかったのですか!?」


「……!」


両家で婚約が決まり、浮き足立っていたナディアを見て、キーランはすぐに「ナディーは幸せだね」と微笑んでくれた。

新ためてハドリーと婚約者として挨拶した時だって直接、「とても嬉しい」と言葉にしたはずだった。

その笑顔と言葉に、ハドリーはどう返したのだったか、ナディアは彼の微笑みを覚えているが、ハドリー自身は思い出せないでいる。

真正面から訴えかけるナディアの姿を見て、ようやく「興味がない」という言葉の実感を得る。


「違うんだ、お前の幸せを願っているのは本当で…」

「私の幸せは、ハドリーが私を愛してくれることですわ。私を愛してください。レイナ様よりも」

「っ…!」


ナディアがレイナの名前を出せば、ハドリーはあからさまに動揺した。


「…………できないでしょう?」


ナディアの声が、弱々しく掠れた。


もはやお揃いとは思えなくなった深い青のドレスをぎゅっと掴み、行き場のない想いを押し殺して泣いた。

「あなたの心に、私が入る余地なんて無いんですのよ」

ハドリーはレイナに対する恋心に浮かされている。そしてその気持ちはきっと、人生で初めてのことだから、比較のしようもないのだろう。知らないことは、理解ができない。

そんなハドリーに、ナディアは言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。時折、しゃくりあげて途切れてしまう。

「私にとっては、幼い頃からの婚約が、なによりも大切で、ハドリーとの強い絆の証だと思っておりました。でもあなたは違った。婚約なんて通過点でしかなくて、紙切れ一つで終わってしまうような事実の一つとして捉えていらっしゃる。でなければ、レイナ様に対して、私との離縁を仄めかすようなことを簡単に言うことなんてできませんわ」

「…!ナディー、もしかしてあの話を聞いて…」

「西の物見台に、いつかあなたと登りたかったですわ。あの景色を初めて見るのなら、隣にあなたが居て欲しかった。私に、あの景色をプレゼントしてほしかった」

ハドリーの顔がだんだんと青ざめていく。ナディアはぐっと歯を食いしばる。

「罪悪感を覚えるくらいなら、初めからちゃんと打ち明ければ良かったではありませんか!!」

恋心が自分に向かないこと、レイナに心酔すること、それは事実として存在しているのだから、もはや仕方がないこと。

けれどもナディアには許せないことがあった。


「私はずっと、私をちゃんと見て欲しかった!私の感情を、無いものにしてほしくなかった!努力も恋も、全部私のものですわ。それを蔑ろにしてほしくなかった!」


ただナディアを尊重して向き合ってくれるだけで良かった。


「そんなことにも気づかないで、私の幸せを語らないで!」


きっと明日には声が枯れているだろう。こんなにも大声を出したのは、人生で初めてだった。

言い切ったナディアは呼吸を荒くし、ぐっと胸元で両手を握った。

けれど、ようやく素直に言葉にすることができた心地で、胸のつかえがある程度薄れている気がして、呼吸を整えているうちに体が少しだけ軽くなったのを感じていた。

ハドリーのことなど、もう見ていなかった。

足元に生える短い草が、再び風に揺られている様をぼーっと見つめる。

深く深呼吸をすれば、ナディアは顔を上げて、淑女らしく美しい姿勢に戻った。

憑き物が落ちたように凛とした佇まいで、小さな体にもかかわらず強い存在感を放っているように見えた。


「ファーストダンスの時間に遅れますわ。行きましょうか」


先ほどまでのことが夢だったかのように、いつもの調子でナディアは言うと、宮殿に向かって歩きだす。

「ま、待って、待てよナディー……ごめん、本当にごめん、俺が悪かった。だけどこんな気持ちで…」

「その謝罪は一体何に対しての謝罪なのか分かりかねますが、ハドリー、どうぞ安心なさって」

振り返ったナディアの表情に、笑顔はもう無い。

「このダンスが、あなたと私の最初で最後のダンスですわ。今日だけは体裁のために我慢してください」


最初にそういう意味で話を持ちかけたのはハドリーだった。

それを突き返すように、ナディアは言い放ち、再び歩いた。



その後、宮殿でのファーストダンスはつつがなく、見事に終えた。

体格差を微塵も感じさせない足取りで、ハドリーもこんなに踊りやすいものかと感動すら覚えたが、その瞬間に二人の手は離れた。

名残り惜しさを感じさせる暇もなく、二人の生涯一度のみのダンスが終了した。

ナディアは二人を褒め称える両親に張り付けただけの笑顔を向け、一言「明日お話があるので、お時間をいただけますか?」と尋ね、何のことかわからないまま了承した二人の返事を受ければ、具合が悪いからと言ってパーティー会場を去った。

庭の入り口に待機していた騎士たちの中から自分の専属を探し、声をかける。送迎用の馬車を適当に選んでさっさと乗り込めば、勝手に館に戻っている。

何も考えず馬車の揺れに身を委ねればいいその短い時間がありがたかった。


館に戻れば、侍女のリタが予想外の時間だと驚いていた。しかし、ナディアの様子を見て、何かを察したのか、それ以上のことは追及しなかった。

ただ、休む準備を黙々と進める。

すっかりドレスも脱ぎ、体を綺麗にして、睡眠の準備まで万端にされると、リタはナディアが大好きな、薔薇の香りがする紅茶を淹れて微笑んだ。


「ごゆっくりおやすみください」


余計な言葉なんて必要ない。リタはいつだって、ナディアを一番に考えて、大事にしてくれている。

行動の一つ一つがナディアを癒してくれる。そしてその温かさに、安心を覚える。


パタリとナディアの部屋の扉が閉まって、夜の音と間接照明の薄明かりのみになると、ナディアは気が緩んで、涙がボロボロと粒になって溢れ出た。

しゃくりあげるでもなく、ただただ、雫がこぼれ落ちる。


それはまるで、長い間大切にしていた恋心を洗い流す儀式のように思えた。


涙が枯れる頃には、ナディアの意識は眠りに沈んでいたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る