第4話
その日のパーティーは日没とともに始まる。となれば身支度は昼には始めないといけない。侍女のリタに関してはそれよりも早く準備の準備をする必要があるため、朝から慌ただしく走り回っている。
リタだけでなく、他のメイドも、準備に至ってはナディアの側近として働く。
たくさんの人に苦労をかけてしまう点は、どうも好きになれそうにないが、彼女たちの仕事を下手に邪魔してはいけないので、ナディアはされるがままを貫いた。
なにもせずに身支度を整えてもらえるおかげで、頭の中では考え事が尽きなかった。
結局、ハドリーはレイナのことが好きなのだろう。
言葉にすると単純だが、ナディアにとってはとても重いものとして胸に沈んでいく。
明確な文章になると、なぜか現実がより鮮明に蘇って、目を背けたいと思ってももう遅い。
じくじくと痛むこの思いは、心臓を侵食していくような心地がした。身に
せっかくハドリーとお揃いの色なのに。
「お嬢様、いかがですか」
リタの言葉にはっとして鏡の自分と目があう。
深い青に負けないよう補色であるオレンジを基調としたメイクは、栗皮色の髪の色とも似合ってナディアの顔色をより明るく朗らかにしている。夜空の下でも少しの照明で美しく見えるように、目元にはグリッターの効いたアイメイクが施され、部屋の光の下では少し派手に見えた。けれどその派手さが、いつもは幼く見えがちなナディアの顔を、色っぽく見せていた。
いつも、少し大人びたこのメイクの自分を見ると、身の丈に合っていないようで居心地の悪さを感じる。けれどもいつもより美しいのは確かだから、ああどうかこの姿を見たハドリーがドキドキしてくれないものか、と願っていたものだ。
今でもうっすらと、その望みは捨てきれない。
「ありがとう、いつも素敵に仕上げてくれて…」
「いいえ、素敵なのはお嬢様自身が綺麗だからですよ」
リタはうっとりと鏡越しにナディアを見つめる。その眼差しにナディアは少し照れてしまう。
「お嬢様の普段からのお心遣いが、姿によく現れております。学園で学んだマナーもすっかり板について、姿勢は見違えるほど美しくなりましたし、所作にもよりいっそう気品が溢れるようになりました。お嬢様は美しい方です、それを私たちはちょっと手助けしただけですよ」
リタがナディアの肩に手を添えて、微笑む。後ろに立つメイドたちも、キラキラと誇らしげな笑顔でナディアを見ている。
リタは特に、幼い頃からずっとナディアの付き人として見守ってくれた人のうちの一人だ。
日頃の自分の努力が、こうして認められて、思わず涙ぐみそうになる。
せっかくメイクをしてくれたのだから、と、潤んだ瞳から涙が溢れないように、ナディアはぐっと目元に力を入れる。涙を堪える表情を見て「せっかく可愛くしたのにそんな顔なさらないで」とリタは苦笑した。
「……引っ込みましたわ」
「それでこそお嬢様です!」
ナディアは立ち上がり、扉を見据えた。
何はともあれ、今日この日、この青いドレスはハドリーのためにある。ハドリーの婚約者として、初めて大勢の前に立つことになる。
なればこそ、ハドリーのために、胸を張って歩かねばならない。ナディアが将来、自分の領地を運営するにあたって、ハドリーの妻としてしっかり支えることができるのかを評価していただく場になるのだから。
館を出て、パーティー会場となる宮殿に向かう馬車を待つ。
先にハドリーの元へ向かい、馬車に乗り込んでいたハドリーが、改めてナディアを馬車にエスコートする流れだ。
ナディアの両親は、ナディアのドレスが際立つようにあえて黄色い衣装を身に纏っている。母のドレスは華美な装飾はなく控えめにすらりとしたシルエットで刺繍にはナディアのドレスと同じ色を、父のタキシードは母と同じ色味の生地で作られ、ネクタイの色をナディアのドレスの色に合わせている。家族のつながりを衣装に盛り込みつつも主役を引き立てるような心遣いに、ナディアも信頼と安心を感じていた。
ガラガラと石畳の上を馬車が走る音が聞こえてくる。
貴族用にあしらわれた純白のボディから、正装を身に纏ったハドリーが降りてくる。
ハドリーは澄んだ湖のように明るい青色のタキシードを身にまとい、白いパンツはいつもよりハドリー足をスラっと長く見せつけるようだった。
ナディアのドレスを夜とするなら、ハドリーのタキシードはまるで昼を想起させるようだった。
「まあ、二人が並ぶとお似合いだわ」
ナディアの母は満足げに言う。
「二人ともそれぞれ似合う青を身に纏っていて素敵だね。ハドリー、君も本当に大きくなって……」
「光栄です」
思わず涙ぐむナディアの父に、ハドリーもはにかむ。
これからこうした光景が日常になるのだろうと思うと、やはりナディアは嬉しくてたまらなかった。
「さてナディー、エスコートいたしますよ」
「ええ、よろしくお願いいたします」
かしこまった物言いは、幼馴染からするとなんだかおままごとのようで、おかしく感じる。
けれども、学園を経てそういった所作にスマートさが見えるようになったのはハドリーも同じで、いつの間にかすっかり大人の紳士になったことにときめきを感じてしまう。
昔は同じくらいの背丈だったのに、もうずっと見上げるしかなくて、背丈に合わせて手も足も長く、大きくなっていた。触れ合った手を見ては、まるで自分の手が子供に見えてしまうほど。
向かい合うようにして座り、馬車は動き出す。
「ナディーの父上がおっしゃるように、ナディーらしい青のドレスで似合うな」
ドレスを見て、ナディアの顔を再度見て、ハドリーが微笑む。
真正面から見つめられるこの状況と、きちんと自分を見て抱いた感想をもらったことに、ナディアはとにかく胸がいっぱいになった。
「ハドリーも、本当に素敵だわ……夜なのに、ハドリーの周りだけ昼になったかのように輝いているもの」
「はははっなんだそれ。俺がかっこいいってことでいいのか?」
「ええ……」
「へえ、そうか。ナディーのお墨付きなら間違いない」
ありがとうな、と無邪気に笑うハドリー。ナディアに褒められて喜んでくれた事実に、またナディアは幸せを感じている。
———あなたはいつも、素敵な男性だわ、ハドリー。
こういうことを、素直に言えばいいのかしら、と思ったが、かっこいいということを認めた時点で照れ臭さがいっぱいいっぱいだった。
またあとで二人きりになった時にでも、素直に言ってみよう。
そう考えている間に、館から宮殿まであっという間に着いてしまった。
再びハドリーにエスコートしてもらい、宮殿の敷地に踏み入る。
宮殿は日暮の中すでに灯りがともっており、まるで大きな照明器具のように光り輝いている。
宮殿の前に広がる大きな庭園には既に各地から集まった貴族たちが談笑を始めている。寒空の下だが、アルコールが入って皆顔を赤くしているようだ。
冬に咲く花で彩られたアーチの門をくぐれば、左右対称に整えられた庭が参列者を出迎える。
ハドリーの腕に手を添え、教えられた通りに進む。庭の真ん中の名簿受付までは、二人で連れ添うことがマナーである。今までは両親に挟まれて進んだ道も、片方が空いているだけでこんなに心許ないものか。
相変わらず、ハドリーとの歩幅には差がある。
寄り添って歩いているものだからナディアは余計についていくのに一生懸命だ。
心許なさと慌ただしさで、ナディアがふとハドリーを見上げる。ナディアの視線に気がついてハドリーが視線をよこすと、ふわりと笑顔を浮かべる。
「あははっまた頑張ってて可愛い」
「!」
「俺の足が長くてごめんな、もう少しゆっくりいこうか」
「…ええ」
———ああ、やっぱり、どうしようもなく好きだわ
ハドリーがナディアに向けるその愛らしいものを見つめる視線、ナディアはそれがたまらなかった。
小柄な体格は大変なことが多いけれど、こうやってハドリーが愛でてくれるのだから悪いものではないのかも、と考えるほどに。
ハドリーの振る舞いや言葉一つで、ナディアの気持ちはポジティブに切り替わる。そうして自分を奮い立たせてくれるハドリーの存在が幼い頃から大好きだった。
今ナディアは、周囲の貴族から見たらハドリーの婚約者だ。
揃いの色の衣装で並び、こうして参列者名簿に名前を書き連ねる。まだ姓名が同じになったわけではないが、
ハドリー・ウェルス
ナディア・フローリネ
と並んだ文字は、成績表でもついぞ見れなかったものではあるが、今後は当たり前になっていくのだろうと思うと高揚感すら覚えた。
「ではこちらを」
参列者の証であるピンを、腰元につける。
ハドリーのエスコートはここまでだ。
これからの時間はほぼ交流のみである。各所に設置された飲食を手に、語らい、定期的に宮殿内ではオーケストラを伴ったダンスが始まる。報告会に関しては、決まった領主のみが別室にて既に開始しているので、
この交流会はもはやお見合いパーティーを兼ねた社交場としての機能が残った。結婚も貴族のビジネスには欠かせないものだ。
婚約者のいるナディアには関係のないことだが、熱に浮かされて気分は高揚しがちである。
できれば、ハドリーと一緒にダンスを踊れたら…と空想する。ダンスは自由参加なので、いつ誘ったものかとそわそわした。
「ハドリー!」
活気のある、耳通りの良い声がこちらに向けられる。
飲み物を選んでいたハドリーが、すぐさま声の方を振り返って、笑顔になった。
「レイナ、ああよかった会えた」
浮き足だっていたナディアの気持ちが、強制的に
ハドリーにつられて、ナディアもレイナの方を見た。
そして思わず、「え」と声が漏れ出た。
ハドリーがレイナに駆け寄り並ぶと、自分よりもずっと揃った二人の衣装に愕然とした。
レイナのドレスは空のように明るい水色。レイナの白金の髪色に似合って、朝の晴れ渡った空を連想させる。
ふわりと膨らんだシルエットは、普段の快活で強気なレイナとは打って変わって、愛らしさも演出している。それを見て、ナディアは、自分よりもずっと可愛くて美しい人だと痛感してしまった。
身長が高くスタイルも整った二人は、お互いの明るい青も相まって一際目立って見える。周りの貴族たちもチラチラと見ては、時折うっとりと微笑ましげな視線を送っている。
やめて。
さっきまでは自分がその視線を受けていたはずなのに、もうすっかりと忘れて、ナディアはただ孤独を感じていた。
楽しげに会話を進めるハドリーとレイナは、またいつものように友人を集め、盛り上がりを増している。
その輪が出来上がってしまっては、ナディアに介入する術はなかった。
ダンスを誘うなんて、もうできない。もっと、もっと早く言うのだった。いつも自分は、素直に言葉にするのが遅いのだと後悔する。
「レディ、お飲み物は……」
「ごめんなさい、少し、お手洗いへ」
受け取ろうとしたグラスを取ることもなく、ナディアは庭園を抜け、宮殿の方へ向かった。
今の時間は宮殿の方が人が少ない。夜になってダンスがメインになるまでは、人気の少ない場所で椅子にでも腰掛けていようと思った。
一人で立つ庭園では、あまりにも寒さに耐えられそうになかった。
「あら、ナディア、ハドリーはどうしたの?」
両腕を抱いて蹲っていたところ、足元に影がさしたため顔を上げれば、そこにはハドリーの母が心配そうにナディアを見下ろしていた。
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