第3話
どんな気持ちでハドリーと対面すればいいのかわからないまま、とりあえずドレスを着替え直して夕食の時間を待った。
その間の読書も勉強も、全然身が入らず、ナディアは何度も侍女に紅茶を要求してしまった。
おかげで食事の時間の直前は、何度もお手洗いに立ってしまい、落ち着きもあったものではない。
「あぁ、気が重いわ」
つい独り言を呟いてしまうナディアは、お手洗いから出て一人、目の前にあるバルコニーの風に当たっていた。手すりに無作法にも両腕を置き、その上に顎を乗せて深いため息をつく。温かく着込んでいるとはいえ、冬風が寒いけれど、落ち着かない自分の心をただしてくれるのは今はこの冷たい風しかないように思えた。
「はしたないよナディア。ハドリーに見られたらどうするんだい?」
「!!」
急いで姿勢を正し、声に驚いて振り返ってみれば、そんな慌てた様子のナディアを面白がるキーランが笑いを堪えきれずにいた。
「キーラン、どうしてここに!?」
今日この館に呼ばれているのはハドリーの生まれたウェルス家の人々だけのはずだ。予想外の人物の登場に、ナディアは目を丸くしている。
「俺の父が、両家の会食を聞いて駄々を捏ねたのさ」
キーランの父親は敏腕な経営者であるにもかかわらず、お茶目な側面もある人だということは、幼い頃から接していたナディアは知っていた。なので、「いいなあその会食、うちの一家も混ざってはいけないのかね!?」とでも言ったのかな…と、ナディアは想像に容易で、考えてみてはふふっと笑った。
「私たちの家じゃ、ユースティス伯爵様のお願いは断れないわ」
「父もそれをわかっているんだかわかっていないんだか、タチが悪いよ。俺の見解としては後者かなと思うけど…」
「わざとでしたら、多分、我が家の両親が苦い顔をなさると思いますが、そうでないということは、つまりそういうことでしょう」
キーランの家、ユースティス家は伯爵階級、対してナディアの家のフローリネ家とハドリーのウェルス家は子爵階級。地位としては一歩及ばない立場に両家が存在する。キーランの家に、領地運営における支援をいただいたり、もしもの時の徴兵に協力することで融通を利かせてもらっているような立場だ。
けれどキーランの父親であるユースティス現伯爵は、そういった上下関係を意識させない振る舞いで両家の当主と対等に会話をしてくれる。きっと他の貴族にはない、人望の厚い当主であることは間違い無いだろう、ということは、ナディアの両親とハドリーの両親の態度や、キーランの家で働く人々の表情から見てとれた。
「……邪魔をしちゃってごめんね」
キーランが改まって申し訳なさそうに視線を落とす。
「とんでもない!」
と、ナディアは思わず食い気味に反論した。
「え、でもせっかく君とハドリーが親密になれる機会なのに……俺が居たんじゃ幼馴染と言っても意識してしまうだろう?」
「あ、えっと………それは確かにそう、ですけれども」
自分一人の中でモヤモヤを抱えている以上、第三者の介入をありがたく思っている、ということは打ち明けるわけにもいかず、ナディアはぎこちない笑みを浮かべている。
「ハ…ハドリーと仲を深める機会はこれからたくさんありますわ。けれど、こうして3つの家があらためて一堂に会する機会も、めっきり減ってしまったではないですか」
ナディアとハドリーとキーラン、元々交流の深い領地同士であったことに加え、ナディアは長女、ハドリーは次男、キーランは長男、といった差はあれど、全く同じ年頃の子供が揃ったことがきっかけで幼馴染となった。
幼少の頃からお互いの領地にバカンスとして訪れては交流を深めて、会食をすることも頻繁にあったように思える。しかし成長し、それぞれが同じ学園に入った頃には、家族ぐるみでの集まりは遠慮がちになった。
「学園で毎日お姿は見かけているはずなのに、おかしなことに……昔よりも距離を感じてしまっていたので、夕食がより一層楽しみになりましたわ」
キーランも……ハドリーも。
学園でのコミュニティは三者三様である。挨拶をする、隣の席に座る、そういったことはあっても、三人だけで草花の上で無邪気に遊んでいたあの頃に比べたら特別なことではなかった。
世界が広くなった分、お互いとの間に距離を感じるようになった。
「……そうか、それなら、よかった」
キーランは一瞬唇を引き締めたが、ナディアと視線が合うと口元を緩めた。
キーランが微笑んでくれたので、ナディアもほっと胸を撫で下ろす。
「俺も、ちょっと寂しかったから」
今度は照れくさそうに言う。
「あの頃と違って、二人とも各々の時間で動いてて、話しかけたいのになかなかタイミングも合わなくて…。だから父がご飯を食べに行くぞ〜って言ってくれた時は、すごく嬉しかったんだ」
キーランははにかむ時、ついでに自分の毛先を遊ぶ癖がある。
「今もこうして、ナディーとたくさん会話できて嬉しいんだ」
ナディアは、幸せな気持ちが乗ったその言葉に、自然と同じような幸福を覚えた。ハドリーに対する気持ちで乱されていた自分の心が、ゆっくりと落ち着いていく。
「ナディー、君ももっと素直に言葉にしていいと思うよ」
「え…?」
「さっきの口ぶりだと、ハドリーと長い時間過ごせるのも久々なんじゃないかな。俺はこうして君との時間を堪能したから、この後は彼とゆっくり過ごすといい」
ハドリーとナディアの関係を一番近くで見守っていたキーランは、誰よりも二人の婚約を祝福し、応援している。
「その時はぜひ、君の素直な持ちをハドリーに伝えてあげて」
キーランはこうやって、ナディアの背中を優しく押すように言葉をかけてくれる。ナディアが沈んでいる時、悩んでいる時は、いつの間にか隣にいて、こうして話しかけてくれた。
「私は…いつもキーランに励まされているわ」
「それはお互い様だよ。さ、冷え込まないうちに会食に向かおう」
寒いはずのバルコニーも、キーランと話し込んでいるうちに忘れてしまっていた。
ナディアは幼馴染の優しさに浸り、前向きに顔を上げてバルコニーを後にするのだった。
***
夕食会場には、すでに3家の両親は揃っており、ハドリーとその兄も既に席について談笑していた。
ナディアとキーランが会場について挨拶をし、その後すぐにキーランの妹も慣れない挨拶をぎこちなくすませて、各々の血縁関係者は揃った。
大人数になったことでハドリーを意識しすぎることもなくなったナディアは、すっかりいつも通りの穏やかな気持ちで美味しい食事を堪能することができた。
話の主題はすっかりキーランの父親が握り、そのことをキーランが指摘して申し訳なさそうにしていたのだが、年末の空気に中てられてアルコールが進んだ親たちは、すっかり気にすることなく笑い合っている。
これはもう、親たちが一番楽しい会食になってしまったな、と子供達は半分呆れ顔であるが、普段の大変な仕事を忘れてのびのびと楽しむ親たちを責める人は誰もいなかった。
「僕はそろそろ部屋に戻ろうかな」
と切り出したのは、ハドリーの4つ上の兄であるジョンだ。近視の微調整のためのレンズの薄いメガネを拭き直して、一人立ち上がる。親たちはすっかり自分たちの会話に夢中なので、子供達の様子は特段気にしていないようだ。
「わたくしも、今日はスケートを楽しんじゃったから…ふああ…」
キーランの7つ下の妹のカナリアは大きなあくびを無遠慮にし、目を擦っている。
「じゃあお姫様をエスコートしなくてはね」
そう言ってカナリアを連れてともに席を立つキーラン。
「二人もどこか別の場所でゆっくりするといいよ」
親たちの出来上がりを揶揄するのと同時に、ナディアにそれとなく気を遣って目配せをした。
キーランの真意は、二人きりで話をするといい、ということだろう、とナディアが気づくと、ハドリーを意識して心臓がドキリと音を立てる。
おずおずと、隣のハドリーを見上げると、ハドリーは特段気にする様子もなく「そうするよ」と声をかけている。
———気にしているのは、私だけ…?
食事の礼を料理人に済ませ、ナディアとハドリーは暖炉の火が灯る談話室にてお茶をすることにした。
ナディアの侍女・リタが、二人が小さな頃から気に入っている柑橘をベースにしたフレーバーのお茶を淹れると、「なんだか懐かしいな」とハドリーが笑顔になる。
3家が一堂に会したことと、昔馴染みのお茶の香りは、ナディアもノスタルジーを思い起こされ、なんだか切ないような気持ちになるのを感じた。
「なにかありましたら扉にてお申し付けくださいね」
にこりと微笑んで一礼をし、リタは部屋から出た。
正真正銘、この部屋は二人きりになった。
いつもだったら学園での勉強の話や、自分が頑張っていることについて、ナディアから切り出して話が進むのだが、昨日のこともあってうまく言葉が紡げずにいた。
それが珍しいのか、ハドリーから
「ナディー、眠いのか?」
と声をかけられる。
「いいえ、とんでもありません!」
二人きりだというのに、眠気が勝つなんてありえない。それよりも頭は思考が回り、ご飯を食べた後だと言うのにむしろ目が冴えてしまっているくらいだ。
「先ほど、キーランと食事前に偶然出くわしまして、ちょうどこういった集まりが懐かしいですねと話していたのです。それを思い出していて…」
「ああ、なんだか10年前くらいにタイムスリップした気分だった。あ、でもそれだと、カナリアが0歳ってことになるな」
「ふふっ。カナリアもすっかりレディーになりましたものね」
ああ、大丈夫そうだ。
長年ともに過ごしてきたのは間違いなく、ハドリーのテンポ感、話題の運び方、ナディアはどれもが手に取るようにわかるので、それに合わせて会話をすることが心地よかった。
久々に、こうして二人きりでお話しできているのだ、と考える。
『君の素直な持ちをハドリーに伝えてあげて』
バルコニーでのキーランの言葉を思い出す。
いいたいこと、感じていること、これまで会わなかった分の気持ちは多々あれど、ひとまずナディアは、今感じていることを素直に言葉にしてみようと決意した。
「ね、ねえハドリー、私が懐かしいと浸っていたのは、なにも会食だけが原因じゃないの」
「ん?」
「私たち、学園でもすっかり別行動なことが多いし…特にハドリーは人気者ですから、私ってばすっかりタイミングを見失ってしまって。それに、こうして首都に来たにも関わらず、私たち……」
———ダメだわ、「今感じていること」だけを言うつもりだったのに
「私たち、首都に来て会ったのは今日が初めてじゃない。だから余計に、こうした時間が久しいのだと感じていたの」
昨日、別の子と出かけていたくせに、婚約者である自分とは出かけてもくれなかったくせに。
言葉の裏に静かな嫉妬を含ませて、ナディアにとってはなんでもないことを言っているつもりなのに、心臓の鼓動が大きくなるのを感じずにはいられない。
ハドリーがこの真意を知ったらどうしよう、と気づいた時には既に遅く、言葉は彼の耳に届いている。
「ああ、そういえばそうか」
けれどハドリーは、先ほどまでと全く変わらぬトーンで会話を続けた。
「俺はいっつもレイナたちと一緒だからな」
レイナ。
その名前がまさか挙がると思わなくて、ナディアは指先まで一瞬で冷えたのを感じる。
「秋の晩餐会でも結局あいつらと夜通し遊んで、お前との時間は取れずにいたもんな」
「そう…ですわね」
「それに学園だと、ナディーも勉強で忙しいから俺が話しかけると迷惑だろ」
迷惑?そんなはずないのに。どういう意味なのか、と尋ねるようにナディアは眉を顰める。
対するハドリーも、「あれ?」と不思議そうに首を傾げた。
「だってナディーは学園に入ってからは勉強勉強で、遊びにも興味ないだろ。俺やレイナでよく計画する交流会も一度だって参加したことないじゃん」
「……え?」
「一生懸命なのはいいけど、もっと余裕持ってもいいんじゃないかって常々思ってたんだよ。まああと数ヶ月で卒業するのに今更だけどな」
交流会に参加しなかったのは、それこそ、自分なんかが混ざったら迷惑だと思っていたから。
「けど、おかげで今月の期末試験は上位に食い込んでたよな。目標は達成できたのか?」
「……ええ」
ハドリーと同じ、上位の成績を修めることができたのなら、やっと堂々と胸を張って隣で歩けると思っていたから。
「ならよかった、報われたな。お前の努力が実るのが幼馴染として誇らしいよ」
きっとその言葉は嘘じゃない。けれども、ナディアが成績表でハドリーの名前を見つけるたびに思うその誇らしさと色が違うことは、強く感じ取れた。
あの日、ちゃんと自分の努力の理由を告げられていたのなら、彼にこんな勘違いをさせなかったんじゃないか、とナディアは思う。
素直に言葉にする、ああもっと早くアドバイスを受けていたのなら……なんて、他力本願な後悔をしてしまう。
どう言葉を返したらいいかわからぬまま、ナディアが紅茶に視線を泳がせていると
「そういえばナディー、明日のパーティーの衣装だけど」
とハドリーから切り出した。
ナディアはパーティーの衣装の色の話をすっかり忘れていたので、思わず勢いよく顔を上げる。
「わ、私もちょうどお聞きしたくて」
それで昨日あの場面に
「執事から聞いた、悪かったな。あの日レイナと出かけてて」
「…あ………」
何も悪いことではない、当たり前のようにハドリーは言う。少しだけ照れくさそうに。
「それで色なんだが、青にしようかと思って準備している。告げるのが遅くなって悪かったな」
「い、いいえ、こうして今知ることができましたし」
余計なことを考えるのを一旦取りやめて、青色のドレスだったら何があっただろうかと思い出し、夜の海に近い深い青のドレスにすることを決めた。ナディアの白い肌がより映えるので、特にお気に入りの1着だ。
「私、部屋に戻ったら早速準備いたしますわ」
「手間をかけるな」
「いえ…あとでリタにお礼でも言っていただければ」
「ああそうする」
召使にも親切を欠かさないのは、ハドリーの美徳だとナディアは思っていた。そんな彼だから、自分もより一層、自分の身の回りを支える人々に感謝の気持ちを忘れないでいる。
きっとハドリーがそういう人間であるから、学園でも人の輪の中心にいる。
ナディアは、昨日の二人の姿を思い出して、会話を切り出した。
「ハドリーは………レイナ様と特別仲がよろしいのね」
婚約者である自分を置いて、二人で恋人同士に人気の場所へ出掛けるほど。
嫉妬をしている、それは間違いない。けれど、こんなところで嫉妬心をむき出しにしたところで、ハドリーが機嫌を損ねてしまうことを恐れた。ハドリーは、身の回りの人を大切にする人だから。だからナディアは、それこそなんでもないと言うように、笑顔を携えて言う。
「……ああ、レイナはね、本当に素晴らしい女性だよ」
紅茶の香りを堪能しながら、その水面の上に何を見ているのか。
「彼女と話している時が、一番楽しいんだ」
きっとハドリーの本音なのだ。この場所には、ナディアとハドリーの他に誰もいない。二人が黙れば、暖炉の火の音しかそこにはない。
だからこそ、ナディアは苦しかった。
今この時間は、ハドリーにとって一番楽しい時間ではないという事実を知ってしまったのだから。
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