第14話 さあ!『コーラ戦争』を語ろうじゃないか①
皆様、ごきげんよう。
私は『はじけろ! コーラ星人』という小説を公開している。
現在も、この『エッセイ日和』の裏で改稿版を書いている、特に大好きな作品なのだ。
一見ギャグテイストではあるのだが、シリアス回もあるし、最終回で泣いた方もいらっしゃるようなので、興味があれば読んでくれたら嬉しい。
実は、この『はじけろ! コーラ星人』で主人公のイチロー(宇宙人)が飲んでいるのは『コカ・コーラ(以下、コーク)』をイメージして書いていた。
私はかつて、秋葉原で『全ての商品がコークになっているイカれた自販機』を見たことがあり、これがあまりにも衝撃すぎたため、これをイチローに買わせることとしたのだ。
第2話で自販機から出てきたものを『赤い缶』と書いていることからも、私の目にはコークしか入っていなかった。
ところが、いただいたコメントでは『ペプシ派』が意外に多いことに気付いた。
正直に言ってしまえば、私にとって『ペプシ・コーラ(以下、ペプシ)』とは、『コーク』が売り切れていた際の代替品という位置付けでしかなく、そんな私の『コーク至上主義』に一石を投じる意味を持っていたと思うのだ。
謙虚が売りの私は、『ペプシ』と『コーク』の人気について調査を開始した。
すると、日本においては『コーク』の方が人気らしいが、海外では『ペプシ』もかなり人気らしいということが分かった。
特に発祥国のアメリカでは、100年以上も激しい戦いが繰り広げられており、『コーラ戦争』とも言われているのだとか。
私はいつしかこう考えていた。
『コーラ戦争について語るのは、私の使命ではないのか……』と。
――
まずは、それぞれの起源から語ろう。
1886年、アメリカジョージア州アトランタにジョン・ペンバートン博士という薬剤師がいた。
彼は、コカ・コーラという万能薬を発明して販売した。
万能薬と書いたが、効果は本当に凄い。
うつ、食欲不振、頭痛、体調不良、二日酔い、神経痛、男性の機能不全にまで効果があるというのだ。
それもそのはず、原料に麻薬成分のコカインが含まれているのだから。
コカインで捕まった人といえば、俳優の勝新太郎が思い浮かぶ人も多いだろう。
パンツの中に隠していたものが見つかり逮捕されたので、後に『もう二度とパンツは履かない』という迷言を残した事件である。
現在であれば、このように所持だけで逮捕されてしまう禁止薬物だ。
ダメゼッタイ。
開発当時の製法は、コカの葉とコーラの実をワインに入れるというものだった。
現在なら当然逮捕されてしまうところだが、当時は非合法どころか有能な薬だと思われていた。
ペンバートン博士は、当時最新のアルカロイド(窒素原子を含み、ほとんどの場合塩基性を示す天然由来の有機化合物の総称)である、コカの葉の効能に目をつけたのだ。
麻薬の歴史は本当に闇が深い。
この時代、南北戦争が終結した直後であり、負傷者の痛みを和らげるためにモルヒネが使用されていた。
ペンバートン博士も南北戦争で負った傷の痛み止めとしてモルヒネを常用していたらしい。
つまり、モルヒネ中毒であった。
コカの葉はモルヒネの治療(実際には依存性の上書き)として使用されていたため、コカの葉に目をつけたのかもしれない。
その後、アメリカでは禁酒運動が始まり、原液をワインではなく炭酸水で割ったものに変更したとされている。
当時、炭酸水は消化不良に良いと言われ、ブームだったのでヨーロッパから天然の炭酸水を取り寄せたものを使用していたが、足りなくなったのでドイツで開発された人工炭酸水の機械を購入したのだそう。
コークの登場から8年ほど経った1894年、ノースカロライナ州ニューバーンで薬局を営むキャレブ・ブラッドハムという薬剤師が消化不良の薬を開発した。
当時はキャレブ・ブラッドハムの名前から「ブラッドドリンク」と呼ばれていたが、原材料のコーラの実と消化酵素のペプシンから「ペプシ・コーラ」と名前を変更したとされている。
そう、これがコークのライバルとして100年間以上に渡って戦うこととなるペプシである。
このように、10年という短い同時期にコークとペプシが薬剤師によって生み出されていた。
まさに、運命の邂逅と言えるだろう。
<第一次・コーラ戦争:販売当初〜世界恐慌>
販売当初、コークは飛ぶように売れた。
だって、コカインが入っているからね。
でも、ペンバートン博士は麻薬中毒者。
目先のお金ほしさに権利や製法をバンバン売ってしまい、権利関係がぐちゃぐちゃになってしまう。
最終的に、コカ・コーラの権利は1888年にエイサ・キャンドラーのものとなり、キャンドラーはペンバートンの息子らと共にコカ・コーラ・カンパニー(以下、コカ・コーラ社)を設立する。
製法をトップシークレットとしたことで類似品を排除することに成功、多くの収益を得る。
ペプシも1902年にペプシコーラ・カンパニー(以下、ペプシ社)を設立し、工場を拡大するほど成長した。
第一次世界大戦で砂糖相場が乱高下したことにより、1922年に経営破綻してしまう。
このとき、コカ・コーラ社に身売りを依頼するが、『1ドルの価値もない』と、一蹴されたという。
もし、買収していたらコーラ戦争は起こらなかったと考えると、やはり運命的なものを感じてしまう。
順調に拡大するコークだが、1908年にアメリカ合衆国でのコカインの販売が禁止される。
このためコカ・コーラ社は、コカインを取り除くことで事態に対処するが、様々な裁判に明け暮れることとなる。
この頃、コークは瓶詰めされて販売されることで品質と価格の安定に成功する。
さて、死にかけていたペプシ社。
ここで大勝負に打って出る。
1929年に世界恐慌が始まると、当然消費が落ち込むことになる。
そこで、原液の成分をコークと同様、量を倍にした上、コーク以下の価格で販売した。
この破れかぶれ作戦が大成功となり、安くてコークに近い味のペプシが大衆に広まることとなった。
この動きに、コカ・コーラ社も黙ってはいない。
コカ・コーラ社は、ペプシ社とは逆に高級路線で対抗することとし、『古き良きアメリカの理想』をイメージするような広告を作った。
赤い色のサンタクロースは、このときのイメージで作成されたものなのだ。
私はクリスマスが近づくとコークを無性に飲みたくなるのだが、こういう経緯であれば致し方あるまい。
<次回予告>
盛り上がってきたコカ・コーラ社とペプシ社の戦い。
まもなく始まる第二次世界大戦を契機として、全面戦争に突入していく。
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