隠したのは生物に否定された機械史

木島別弥(旧:へげぞぞ)

第1話 廃音と背音

 誰にでも失敗はある。まだあきらめるな。

 おれの人生は終わりに近づいていた。二十代前半でくたばるとは運がない。いや、運ではなく、おれの実力が足りなかった。人類は、近代人権思想に守られているといっても、生存能力の低い者から順番に死んでいく。おれは、二十代前半で死ぬ程度の生存能力しか持っていなかったのだ。

 おれは、大学卒業とともに機械企業に就職して、そこで自分の身体をサイボーグに改造した。サイボーグになるのに会社から支援金が出たので、それならなってみるかとサイボーグになった。自分の身体をどう改造するのか、自分で自分の身体をコーディネイトした。

 サイボーグになれば、生身に喧嘩で負けることはなくなる。サイボーグの方が仕事ができる。会社では、サイボーグでなければ配属されない特殊業務があり、自分の身体を改造することによってそこに行くことができる。おれはサイボーグになることを選んだ。

 満員の通勤電車。理不尽な通勤時間。おれは幸せになりたい。しかし、そのために何をすればよいのか、二十代前半の男などたいしてわかっていない。

 サイボーグ手術を依頼した時にすでにおれの失敗は始まっていたのかもしれない。数億年の進化によって適応してきた自然物の身体を改造して、数千年の歴史しか持たない機械技術にみずからを委ねたのだから、その軽率さに代償がかかるのは当然といえるのかもしれない。


 しくじった。サイボーグ手術の一日目からおれはそう思った。サイバネ医師によっておれは自分の身体の一部を機械化してもらったのだが、それがどれほど危険なことなのか想像していなかった。

 どんな職業にも、職場利益というものがある。会社員は自分の扱う商品に対して権力を持つ。どんな商品に権力を及ぼせるのかは、職業人たちの魅力として現れる。飲食物に権力を持つものは美味しい食事を操る権力を持って自慢することができるし、電荷製品に権力を持つものは快適な電荷製品を操る権力を自慢することができる。

 医療関係者は医療に権力を及ぼせる。

 そして、サイバネ医師は、自分が手術したサイボーグたちを支配することができるのだ。

 おれは、サイボーグ手術をしたその時から、サイバネ医師に支配されてしまったのだ。サイボーグになることが良いことなのか悪いことなのか、おれにはまだ見えてこない。サイボーグになることが良いことだと考えたから、サイボーグになったのだ。しかし、浅薄なおれの考えが正しいとはいうことができない。

 女だ。いちばん奪われてはならないのは女だ。おれはサイバネ医師から女に接する機会を奪われずにすむかについてをまず心配した。

 通勤中に知り合った女をおれは狙っていた。まだ誘うことに成功してはいない。だが、おれはサイボーグになることで、その女をものにする成功確率が低下するということには想像をはたらかせていなかった。

 かなりの美人なんだ。長身で、細身で、おっぱいは服の上から観察する限りでは微乳程度だが、素晴らしい女の人だった。

 その女は、男がサイボーグになるのはありだと思うといっていた。そのことばは、サイボーグになるかどうかの判断で、かなりの大きな幅を以て考慮していた。

 しかし、おれは考えがあまかったのではないかと心配になる。あの女は、サイボーグについてどれだけ考えたことがあるのだろうか。サイバネ医師より深く考えて、サイボーグを肯定したのならよい。だが、雰囲気や気分にまぎらわされながら、なんとなくサイボーグを肯定したのだったら、彼氏を選ぶのにサイボーグを受け入れるかどうかは難しくなる。女とできるというのは、とても高度に洗練されたことなのであるから、サイボーグになることがそれにどのような影響を持つのかおれはもっと心配するべきだった。

 おれの失敗はその程度ではないが、軽はずみにサイボーグ手術を受けてしまい、女を手に入れる機会が減ってしまったとしたら、おれはとんでもない大バカ者だ。

 そして、サイバネ医師に支配されたおれに、女を手に入れる機会があるのかだ。そこからして早くも安心できない。サイバネ医師がテレビで見るような良識の塊のような思想をしているとは限らない。

 サイバネ医師は、自分の患者には機械だけで満足させ、生身の女の体など与える必要はないと考えていたら、おれの人生は終わりだ。サイバネ医師を打倒して革命を成功させなければ、生身の女を手に入れることができなくなってしまう。そのくらいにおれは危険な状況にいるのだ。

 サイバネ医師は、危険と判断したら、サイボーグの行動を抑制する権利が認められている。サイボーグはそれくらいに危険な存在であり、サイバネ医師はそれくらいに国家に信頼された職業なのだ。スイッチひとつで動かなくなるおれたちサイボーグなんて、強いといえるわけがない。サイボーグが生命体として強いといえるわけがない。サイボーグは、サイバネ医師に対して弱すぎるのだ。

 そのことをおれはサイボーグ手術の初日に思い知ることができたのだ。

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