第20話 染井吉野 中編

 それからの吉野は大いに変わった。もはや「可愛い吉野ちゃん」はいない。笑ってその場をやり過ごすのはもうやめた。腹が立てばその場で相手に言い返した。辛辣な言葉も吐くし相手を睨んで威嚇したりもする。

 結局「可愛い吉野ちゃん」はその枕詞に「黙っていれば」が使われるようになったが、女子から疎外されることは少なくなった。吉野自体もストレスがなくなったし。

 結局「出会った男子は必ず染井吉野に恋をする」という噂のせいでみんなそんな気になっていただけで、吉野自体に深い思い入れがあったわけではないのかも知れない。

 今、吉野はそんな風に思っている。

 藤だけは「今の吉野のほうが良い」と言っている。そもそも「可愛い吉野ちゃん」を見たがったのは藤のくせに……


(ホンマは私が可愛いって言われたかっただけの話なんやろな……)


 藤のような美しさを持っていない自分が藤に対抗できるのは笑顔や人好きする雰囲気だけだったから。藤のためと思っていた「可愛い吉野ちゃん」はいつの間にか己の自己顕示欲みたいなものに姿を変えていたのかもしれない。

 現在高校生になった吉野はそんな風にあの頃の自分を分析している。

 藤は大好きな従姉妹であり吉野の憧れの存在だった。そのうちそんな藤に負けたくないというライバル心が自然に湧いてきて、いつしか不純な動機に変わった「可愛い吉野ちゃん」は自爆した。


(しょーもないヤツやな、私)


 藤と同じ春秋高校に入った吉野は相変わらず「黙っていれば」を枕に冠した「可愛い」女の子ではある。でももはや「出会った男子は必ず染井吉野に恋をする」と言われることはない。それで良かったと心から思っている吉野である。



「私、演技とか出来ひんで?」


 可愛い吉野ちゃんは演じていたが……と心の中で付け足す吉野。


「それは他のクラスかってそうやん。みんな素人芝居やん」


 そう言って佐名さなかずらは必死で食い下がってくる。


「どうしても染井さんに主役やって欲しいねん。ピッタリやと思う」


 春秋高校の文化祭は夏休み明けに行われる。クラス毎に出し物を決め披露するわけだが、吉野のクラスは劇をすることが決まっていた。大型展示物作成や模擬店、お化け屋敷、三輪車レースなど様々な選択肢の中から吉野のクラスがお芝居、演劇を選んだのはこの佐名くんの存在によるところが大きい。どうしても劇がしたいと強く主張しつづけた佐名くんにクラスのみんなが根負けした感じだ。


「もうどんな劇にすんのか決まってんの?」


 吉野の質問に佐名くんはカバンから1枚の紙を取り出した。


「コノハナサクヤって知ってる?」


「ウチの叔母さんの旧姓やけど」


「は?」


此花このはな咲夜さくや。藤のお母さん」


「野田さんのお母さん…そうなんや。って、じゃなくて……あ、この紙に詳しく書いてあるから読んでみて。コノハナサクヤ役、染井さんにピッタリやと思うねん」


 佐名くんにむりやり紙を押しつけられ吉野は渋々それを受け取った。

「野田さんのお母さん、此花咲夜さんやったんや。やっぱ名は体を表すってホンマやなぁ。綺麗な女性ひとやもんな」


 野田さんに似て……と佐名くんが小さく囁いたのを吉野は聞き逃さなかった。それを言うなら藤が叔母に似てるんやろうが、と心の中で突っ込みを入れる。


(コイツ、まだ藤に惚れとんな)


 佐名くんと吉野は小学3年生の時同じクラスだった。

 その頃は咲夜叔母さんの再婚により藤の名字が此花から野田に変わったばかりだったため、そのことで藤が学校で嫌な思いをしていないか吉野は心配していた。学校でもしょっちゅう藤の様子を見に行き、なるべく藤のそばにいるようにしていたのだが、そんな時よく視線を感じてそちらを窺うとその先にはいつも佐名葛の姿があった。

 その頃の吉野は佐名くんは自分を見ているのだと思っていた。

「出会った男子は必ず染井吉野に恋をする」

 言霊に引っかかっていたのは吉野も同じだった。アレを思い出すと今でも恥ずかしくなる。

 

 


 小学5年生の頃、佐名くんが「曙堂」へやって来たことがある。紙袋を抱えて店内に入って来た佐名くんはきょろきょろと誰かを探しているようだった。いっくんを保育園に迎えに行った咲夜叔母さんの代わりに店番をしていた吉野は佐名くんに声を掛けた。


「佐名くんやん、どうしたん?」


 私に何か用?と続けようとしたとき咲夜叔母さんといっくんが帰ってきた。佐名くんは吉野の問いかけをガン無視して叔母に駆け寄った。いや、吉野のことなど見えていなかったのだろう。


「この前はありがとうございました。あの、コレ、いっくんに……」


 佐名くんはそう言って抱えていた紙袋を叔母に渡した。いっくんはしきりに佐名くんに手を伸ばして抱っこをせがんでいる。

 佐名くんは抱っこしてもいいか確認するように叔母の方を窺い、叔母が頷くとうれしそうにいっくんを抱っこした。

 

「……あの、のだ、ふ、藤さんに女の子やったって伝えて貰って良いですか?こないだ姉ちゃん……姉に子供が産まれたんですけど……女の子やったよって。女の子でめっちゃうれしいし可愛いって……」


 いっくんを抱っこしたまま少し恥ずかしそうに佐名くんはそう言っていた。

 その瞬間吉野はようやく気づいた。ああ、あの頃佐名くんが見ていたのは自分ではなく藤だったのだな、と。


(私に何か用?とか聞かんで良かったわ、マジで)


 大恥掻くとこやん。やっぱり藤には勝たれへんねんな、と痛感した吉野だった。


(あの頃からずっと藤が好きなんか……エエなぁ……)


 佐名くんが藤を思うように吉野を好いてくれた男子なんていなかったのでは?「可愛い吉野ちゃん」をみんな何となく「可愛い」という評判だけで好きな気になっていただけ。きっとそうだと吉野は思う。 

 そんなこんなで吉野にとって佐名くんは、何となく苦い思い出の人なのだ。それなのに今その佐名くんは熱心に吉野を主役にしようと口説いてくる。


(やれやれやな……)


 吉野はため息を吐いた。

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