第16話 佐名葛 中編
「そのうち自分の身体がおかしいことに気がついた。吐き気がするしフラフラするし……ああ、死ぬんやなって。死んだら斎に会えるかなって思ってた。そのうちあんまり食べてないのにお腹だけ膨れてきて。
私より先にお母さんが気づいてん。アンタまさか赤ちゃんおるんか?って。そこで初めて自分が妊娠してるってわかった……
私、斎が逢いに来てくれたんやって思った。ずっと泣いてるから慰めに来てくれたんやって。だから絶対産もうって。斎に逢わなって思った。
あの時アンタがお腹に居てなかったら、私死んでたかも知れん……だからありがとう」
姉はそういって葛を見つめた。
「お父さんとお母さんから元気な赤ちゃん産みたいんやったら私が健康じゃないとアカンって言われて、それからは身体に気を付けて食事もちゃんと取るようになった。アンタに逢いたい、絶対逢おうってただそれだけ思ってた」
葛は何も言えずただ姉の話を聞き続けた。
「出産してすぐにお母さんに言われてん。私は赤ちゃんは産めたけど母親にはなられへんって。子供を育てられる環境も子供を食べさせていくための仕事も何ひとつ自分で準備してないくせに無責任に子供を作って勝手に産んだ。だから私には親の資格はないって。
お父さん、お母さんと一緒に葛を育てようって言われた。子供を産んだから母親なんじゃない、育てながらだんだん母親になっていくんやって。葛を産んだときは母親じゃなくお姉ちゃんとしてしか私はまだアンタのそばに居る資格がなかってん。ごめんな。ホンマにごめん」
葛は泣きながら俯く姉の肩をぎゅっと掴み、引き起こした。
「だから、頭下げたらお腹苦しいやろって……」
姉の頬には涙で髪の毛が張りついている。
「大体何を謝ることがあんねん。俺、超ラッキーやん。ホンマやったら産んで貰われへんとこやで、その状況。それやのにちゃんと望んで産んで貰えたし、しかもお母さん二人も居るし……どう考えても最高に幸せやん。こっちこそホンマにありがとう」
葛がせっかく起こしたのに姉はまたテーブルの上に泣き崩れた。
やっぱり全然可哀想なんかじゃなかった。それどころか葛は奇跡的な幸運の持ち主だった。本当の父親が亡くなっていたことはやはりショックだが、自分が居たことで姉が生きる気力を取り戻したのだとすればこんな誇らしいことはない。
姉のお腹に手を伸ばす。何て呼べば良いのかまだわからない。でもこの子は自分の大切な家族だと葛は思った。
その後もはや壊滅的にのび切ったうどんを諦め、二人でぼそぼそとパンを食べていると姉が思いきったように口を開いた。
「母親の資格が出来たとは思わへんけど、アンタ私と一緒に暮らす?お腹の子が産まれたら家買おうと思ってんねん。そこで一緒に暮らさへん?」
姉の真剣な顔を見て葛はまた思った。
やっぱり俺全然可哀想じゃないやん。
「うれしいけどやめとく」
葛は軽い調子に聞こえるようあっさりと返事をした。
「だって姉ちゃんよりお母さんのメシの方が美味いもん」
姉はそんな葛を見て泣きそうな顔で笑って呟いた。
「ホンマ……アンタはエエ子やな」
そのあと葛は自分の名前の由来を教えて貰った。
「受験生やったし二人で春秋高校行こうって決めてたから夏休みに会う時はいっつも図書館でデートしてた。事故に遭った前の日も図書館で一緒に勉強してて……その時斎が塾で使った教材のプリントをくれてんけどそこにマーカーが引いてあって……」
姉はその塾のプリントとかいう用紙を出してきて葛に見せてくれた。十年以上も前のものとは思えないキレイなプリント。黄色いマーカーが引かれている部分を読んでみた。
『さなかずら(さねかずら)はその蔓が長く延び、いくつにも別れてもつれ合い、分かれた枝が先でまたからみあうというところから、「逢ふ、
マーカーは引かれていなかったがその隣には和歌が何首か書いてあった。それも目で追う。
『
『
『我が背子は 待てど来まさず 天の原 振りさけ見れば ぬばたまの さ夜更けて あらしの吹けば 立ち待てる 我が衣手に降る雪は 凍り渡りぬ 今更に 君来まさめや さな葛 後も逢はむと 慰むる 心を待ちて
ま袖待ち 床打ち払ひ
「万葉集のこと書いてあるプリントやねん。斎が亡くなってから大分あとになってこのプリント貰ったこと思い出して……これ見たとき、私これは斎からのメッセージかなって思った。また逢おうって。斎がまた逢いに行くからって言うてる気がして……だからアンタの名前は
そのプリントには『
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