第14話 野田藤 後編
淡々と話す佐名くんを見ているうちに涙が出て来た。泣いている藤に気づいた佐名くんは驚き、慌てて謝った。
「ご、ごめん。いきなりこんな話して」
「違う、違うねん。佐名くんはスゴいなって思って。私、自分のことが情けなくて……」
藤は泣きながら自分の話をした。実父との思い出。祖母も自分を疎んでいたこと。母が離婚したこと。「曙堂」に来たこと。野田の父のこと。弟のこと。佐名くんは黙って聞いていた。
「私がいっくんみたいな男の子やったらお父さんは抱っこしてくれたんかな、そしたらお母さんはあの家を追い出されたり離婚したりせんで済んだんかなって……そしたらいっくんは何にも悪くないのになんかモヤモヤして胸が重たくなってきて……」
藤が落ち着くのを待ってから佐名くんは藤に問いかけた。
「野田さんは今の家族のこと好き?」
「……うん。好き。お義父さんもお母さんもいっくんも。あとこの「曙堂」の家族も、みんな大好き」
「じゃあ良いやん。今の方が幸せやし楽しいんやろ?お母さんが野田さんのお義父さんと結婚せんかったらいっくんにも会われへんかったんやで」
藤は佐名くんの言葉に涙が止まった。
「さっきいっくんに抱っこしてって手ぇ伸ばされたとき、俺何も考えんと抱っこしたいと思った。野田さんの実のお父さんが野田さんを抱っこせえへんかったんは、何か野田さんのお父さんの事情とか考えとかがあったんやろうけど、でもそれはお父さんの問題で野田さんの問題じゃないやん。お父さんが考えたら良いことで野田さんには何の関係もないことやと思う。だって今のお義父さんは野田さんのこと可愛がってくれてんねやろ?」
藤は思い出した。
「曙堂」に来たばかりの藤は母以外の大人に抱っこをせがめなかった。両手を広げてもまた置き去りにされるのではないかと怖くて。
野田の父がまだ「野田さん」だった頃、従兄妹たちと遊んでくれていた時。抱っこしてぐるぐると回してくれる野田さんに
すると野田さんが藤の前にしゃがんで眼を合わせながら
「藤ちゃんはぐるぐるされんの嫌いか?」
と優しく聞いてくれた。藤はぶんぶんと首を横に振った。ぐるぐるして欲しい。藤もぐるぐるしたい。言葉は出てこなかったがその気持ちを込めて思い切り首を振った。
「じゃあ一回やってみるか?」
今度は縦に思い切り首を振った。
野田さんは春兄を回す時より優しくゆっくり回してくれた。
「もっとか?」
野田さんがそう尋ねる。
「……もっと」
今度は言葉で言えた。
野田さんはにっこり笑って今度はもっと勢い良くぐるぐるしてくれた。それから藤はだんだんと母以外の大人にも両手を広げられるようになっていったのだ。
実の父と暮らした家の人たちは母以外は誰も藤を抱きしめてくれなかった。でもこの「曙堂」で出会った人たちは伯父も伯母もそして野田さんも誰一人両手を広げた藤の前からそのまま立ち去ることはなかった。みんな抱きしめてくれた。
そう藤は藤のまんま、男の子じゃなくても。
黙り込んでしまった藤を見て佐名くんは続ける。
「誰かが自分のことどう思っててもそれは自分とはまた別のことやん。俺のこと可哀想って叔母さんらが思ってもそれは叔母さんらの考えであって俺には関係ない。周りが可哀想って言うからって俺が可哀想になる必要ないもん。お父さんが野田さんのこと男の子やったら良かったのにってもし思ってたんやとしても、野田さんが男の子になる必要ないやろ。野田さんは女の子で何の問題もないし、女の子で良いやん。俺、野田さんが女の子で良かったなと思ってるけど……」
そう言うと佐名くんは何故か赤くなって視線を晒した。
その時弟の泣き声が聞こえてきて藤と佐名くんは同時に立ち上がり慌てて弟のもとへ駆けつけた。
弟が藤に両手を伸ばしている。藤は弟を抱き上げて頬ずりした。
そう、何の問題もない。藤がどんなにモヤモヤしても弟には何の問題もない。何ひとつ悪くない。そんなことわかってた……そう、わかってたのに。
泣き止んだ弟に微笑みかける。胸のしこりはいつのまにか消えて心が軽くなっていた。
「そう言えばなんで「曙堂」に来たん?何か用事あったんじゃないの?」
思い出したように藤が尋ねると
「あ、そうやった。姉ちゃんに和菓子買うたろと思っててんけど…」
佐名くんのお姉さんは妊娠してから和菓子ばかりを食べたがるのだという。それでたまたま見かけた「曙堂」でお土産でも買っていこうかと立ち寄ってくれたらしい。
「でもさっきチラッと見たら和菓子って結構高いねんな……お金足りひんかも……」
そう言って佐名くんは恥ずかしそうに頭を掻いた。
佐名くんを送って店のほうへ出ると母が「曙堂」の紙袋を佐名くんに手渡した。
「良かったらご家族のみなさんと食べて。また遊びに来てね」
良かったね、と視線を送ると佐名くんは恥ずかしそうにでもうれしそうに微笑んだ。佐名くんを見送りがてら弟を抱っこしたまま店の外に出る。
「新しい小学校慣れた?」
「うん。大分慣れてきた」
「中学も一緒のとこじゃないよな、俺らって」
「うん。校区が違うから……」
別れがたくて何てことない話をしていると
「高校はどこに行く予定?」
と佐名くんが聞いてきた。
「高校?まだまだ先やけど……でも野田のお父さんもお母さんも春秋高校やったから春秋行きたいかなって思ってる」
藤の言葉に佐名くんは「春秋か」と小さな声で呟くと
「俺も春秋行くわ。高校でまた会えたら良いな」
と藤を見ながら言った。また少し顔が赤い。
「……うん。そうやね。一緒に春秋行けたら良いね」
言いながら藤もつられて顔が火照った。
じゃあな、と手を振って帰っていく佐名くんの後ろ姿を見つめながら藤は腕の中の弟のぷくぷくしたほっぺをつつく。
「お姉ちゃん、絶対春秋高校行くからな!」
姉の突然の決意表明をいっくんはきょとんとした顔で聞いていた。
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