第13話 野田藤 中編

 自動ドアが開く音がして物思いに耽っていた藤はハッと我に返った。


「いらっしゃいませ」


 声を掛けながら視線を向けた先には驚くことに佐名さなくんが立っていた。


「……野田さん?」


 佐名くんも驚いたように大きく眼を見開いて藤を見ている。

 店に入って来たのは前の小学校で同じクラスにいた佐名さなかずらくんだった。

 藤は佐名くんと特に親しくしていたわけではない。ただ佐名くんはどこか少し野田の父に似ていた。そのせいかどうやら無意識に佐名くんを見ていたようでしょっちゅう眼が合う。そんな時の佐名くんはいつもスゴい速さで視線を逸らすので藤はちょっぴり傷ついていた。でも今日の佐名くんは藤の眼を見つめたまま逸らすことも出来ずに固まっている。

 何か声をかけようとした時、藤の腕の中の弟が佐名くんに向かって両手を伸ばした。


「ちょ、ちょっと…いっくん……」


 弟はなおも佐名くんに呼びかけるようにあーあーと声を上げ更に腕を伸ばす。やっぱりちょっとお義父さんに似てるよねと心の中で弟に語りかけていると佐名くんが近づいてきてショーケースの上からこちらへ手を伸ばして来た。その手を見て弟はせがむようにますます声を上げる。佐名くんは弟の脇の下にそっと手を入れると自分の方へと引き寄せた。抱っこして貰えて満足したのか弟は静かになり佐名くんの首にぎゅぅとつかまった。


「ごめんな、結構重たいやろ」


 声を掛けたが佐名くんには聞こえていないようで抱きついてくる弟を抱きしめながらそっと揺すったりしている。


「…藤っ!いっくんが…… あらまあ、いっくんっ!良かったわ、ここに居ったん」


 突然母が奥から走って出て来た。


「あら、藤のお友達?抱っこしてくれてんの、ありがとうね」


 母は佐名くんに微笑みかけた。


「前おんなじクラスやった佐名くん」


 藤が紹介すると佐名くんは弟にしがみつかれながら母に頭を下げて挨拶した。


「いらっしゃい。藤ありがとうな、お店の方はもうお母さんがするから。奥で佐名くんとおやつでも食べておいで」


 母の言葉に頷き藤は佐名くんから弟を抱き取ろうとしたが、弟は佐名くんにしがみ付いて離れようとしない。仕方なく弟を抱かえたままの佐名くんを奥へと案内した。

 染井家の居間に佐名くんを連れて行き「座ってて」と声を掛けると勝手知ったる台所の冷蔵庫からジュースを取り出しコップに注ぐ。それを持って居間に戻ると佐名くんは弟を抱いたまま畳に座っていた。


「寝てもうた……」


 佐名くんが呟いた。弟は佐名くんの腕の中で眠っていた。居間には弟用の小さい敷き布団と毛布が置いてあったので指さすと、佐名くんはゆっくり立ち上がり爆発物でも扱っているかのような慎重さで弟をその敷布の上にそっと置いた。布団に寝かせたあともじっと弟を見ている佐名くんに藤は声をかけた。


「こっちでジュース飲もうよ」


 佐名くんは静かに弟のそばを離れ卓袱台の方へとやって来た。


「佐名くんって弟か妹おるん?」


 藤が尋ねると佐名くんは


「もうすぐ産まれんねん」


と答えた。


「そうなんや!弟か妹かもうわかってんの?」


「産まれてみんとわからんけど、女の子ちゃうかって言うてたわ」


「じゃあ妹やね」


 佐名くんはう~んと首を傾げた。


「何て呼んだら良いんかわからんねんなぁ……」


 藤はどういう意味かわからず問いかけるように佐名くんを見た。


「姉ちゃんの子供やねんけど……」


「じゃあ姪っ子ちゃんや」


「……いやあ……姉ちゃんやねんけど俺のお母さんでもあるらしい」


 佐名くんはそう言うとやっとジュースに口をつけた。


「こないだその姉ちゃんの結婚式やってんけど、親戚の人らが話してんの隠れて聞いてもうてん。俺を産んだんは姉ちゃんらしいわ」


 藤は驚いて何も言えなかった。


「俺んちお父さんとお母さんと姉ちゃんと俺の4人家族やねんけど姉ちゃんと俺15歳も離れてんねん。姉ちゃんが15の時に産んだのが俺やねんて。でも相手も同級生やったから結局結婚もせえへんかったし姉ちゃんの子供じゃなくてお父さんとお母さんの子供ってことにしたらしい。だから俺のお父さんとお母さんはホンマはお祖父ちゃんとお祖母ちゃんになるんかな……ほんで姉ちゃん「出来ちゃった婚」やったから今妊娠してんねんけど、俺その子が産まれたら妹なんかな姪なんかなって悩んでて……けど今日野田さんの弟…いっくんやっけ?いっくん見てたらもう呼び方なんかどっちでも良いかなって。赤ちゃんってホンマに可愛いねんな。妹でも姪でも結局どっちでも絶対可愛いわ、悩む必要なかった」

 

 佐名くんはそう言って笑った。


「……傷ついたりせんかった?急にそんなこと知ってしまって……」

 

 藤は思わずそう尋ねていた。


「傷つく……う~ん別に。だって姉ちゃんでも母親でも家族には変わりないし。15歳って今の俺とそんなに変わらん年やん?それでお母さんとかってちょっと考えられへんよなあ……でもずっと一緒にいてくれてたわけやし。姉ちゃんとしてでも」


 佐名くんは少し考えてから続けた。


「なんか親戚の人らがみんな俺のこと可哀想や可哀想や言うててさぁ。姉ちゃん、結婚したら旦那さんと暮らすから産まれてくる子は普通に姉ちゃんの子供として育てて貰えるのに俺は置いて行かれるから不憫やとか、実の母親をお母さんって呼ばれへんから可哀想やとかって叔母さんらが泣いてて。そんなん聞いたらショックって言うか最初はちょっと不安になった……俺、可哀想なんかな?って。 

 

 でもどう考えても別に可哀想じゃないし不憫でも不幸でもないよなぁって。だってずっとお父さんもお母さんも居てたし姉ちゃんも居てた。家族のことみんな好きやし。正直姉ちゃんと暮らすより今のまんまお父さん、お母さんと居るほうが良いもん。周りの人がどう思ってようが俺は別に可哀想じゃないと思うねん。姉ちゃんでも母ちゃんでも呼び方なんかどうでも良いし家族には変わりないもん」


 佐名くんはそう言ってまたジュースを飲んだ。

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