第11話 羽木錦城 後編
錦城が通っていた塾に大山咲良が入ってきたのは、錦城が中学3年生の6月の終わり頃だった。大山咲良は最初から面白いヤツだった。
初日だというのに堂々と教室に入ってきてドカッと席に着いた。塾の座席は自由だったが暗黙の了解で、生徒達は皆、自分の座る席をなんとなく決めていた。そんなことはお構いなしに咲良はいつも錦城が座っている席をぶんどった。まあ、本人に悪気はなかったのだが。
しかたなくその咲良の隣に座った錦城は新顔の咲良を観察した。
授業前は鼻歌でも歌いそうな上機嫌でふんふんと筆記用具やテキストを机に並べていたが、いざ授業が始まるとどんどん姿勢が猫背になり「は?」とか「んん?」とかぶつぶつと言い始めた。チラっと窺うと眉間に深いしわが寄っている。授業の終わりにはほとんど半泣きに近い顔でテキストを眺めて「むむむ……」と唸りだした。
錦城はその様子を見て笑いを堪えるのに必死だった。咲良を見ているといつもは死にそうに退屈な塾の授業があっと言う間に終わってしまった。他の塾生が帰ってもひとり唸り続ける咲良に思わず声を掛けた。
「オレが勉強、教えたろか」
その日からは塾が楽しみで仕方なかった。咲良は負けん気が強く怒るとパワーを発揮する。もちろん錦城のヒネクレた性格のせいもあったが、何より怒った時の咲良は面白くて、非常に可愛かった。やる気を起こさせるためというには少々私情が入り過ぎていたが、錦城はわざと咲良を怒らせるような物言いをしながら勉強を教えた。
咲良が目指す春秋高校は錦城の家の近所である。ムリに行きたくもない学校に行くより咲良と同じ春秋に行こうか、と錦城が思い始めた頃咲良が春秋に行きたい理由を知った。
思っていたよりもショックだった。気がつけばすっかり咲良にヤラレてしまっていたというわけだ。
(恐ろしいヤツ。いつのまにか進路まで変えられとる……アカン、錯乱してる。アイツはオレを錯乱させる桜、いや花ではないな、さくらんぼか。そう
咲良を春秋高校に合格させるべく勉強を教えた結果、咲良はその「ずっとそばに居たい」ヤツのそばに居ることになる。それでいいのか?でもこんなにがんばっている咲良を応援しないのは男としてどうなのか……錦城は大いに迷ったが咲良の「その子に恥ずかしくない自分になりたいから」という言葉にウッとなった。
(そうやな、大事な人に恥ずかしくない自分になりたいよな……)
かくして咲良を春秋高校に合格させるべく錦城はより一層咲良を怒らせその負けん気を煽った。もちろん自分の楽しみも大いに関係していたのだが。さらには錦城自身も春秋高校を受験する事を決めた。
咲良のそばに居たかった。
春秋高校入学式のあの日、突然自分に駆け寄って来たのが、兄の待ち人であると知ったのはその日の夜のことだった。
「みやぎぃー 河原撫子って子知ってる?」
家に帰って兄にそう声を掛けると、雅城はゴトッと持っていたマグカップを自分の足の上に落とした。
「いっ、たぁー」
悶絶する兄に大丈夫かぁと近寄ると、いきなり両腕を掴まれた。
「か、河原さんがどうしたんっ!」
尋常ではない兄の様子に今日の河原さんが重なる。河原さんもスゴい勢いで錦城に詰め寄ってきたからだ。
「は、羽木くんはっ?!雅城くんもこの春秋高校に来てるんですかっ!」
あまりの勢いに
「えっと……アニキは
おばな……と河原さんは呟いた。
「尾花って……男子校でしたよね……」
聞き取れないほどの声でそう言うと
「……そう。ありがとう……いきなり声を掛けてごめんなさい」
とうなだれた様子で錦城に背を向けたのだった。
学校での一部始終を兄に伝えると兄の様子がおかしくなった。
おろおろと歩き回り頭を抱えたかと思うと天井を見上げまたうろうろ歩き回る。それは秋が近づくと良く見かける雅城の姿だった。
「河原さんと何かあるん?」
雅城は、いや、あの……言葉を濁す。
「何か伝えよか?河原さんに」
そう言うと雅城はハッとしたように自分の部屋へ走って行った。そして渡されたのがあの手紙だ。
虫の音が聞こえ出すといつも誰かを待っていた兄。チャイムが鳴ると一目散に玄関へ飛んでいく様子でそれがわかった。
(河原さんやったんや……)
そして咲良が言っていた「ずっとそばに居たい友達」も河原撫子のことだろう。河原さんに詰め寄られた後スゴい眼で睨んできた咲良を見てわかった。
(みやぎと河原さんが会ってしまったら、アイツどうするんやろ)
兄と河原さんのことより錦城にはそれが心配だった。
(ほとんど恋人みたいな感じやもんなぁ……アイツにとったら)
撫子と居る時の咲良は恋する乙女のようだ。心配そうに河原さんに寄り添っていた咲良の姿を思い出し錦城はため息をついた。
そして今この瞬間、へなへなと座り込んだ咲良を前に錦城は、また咲良の怒りのパワーを引き出すしかなさそうだと覚悟を決めた。
「残念やけどオマエの撫子ちゃんとウチのアニキはエエ感じみたいやぞ」
咲良は放心したように何やら言っている。
「あのお熱いふたりは二人っきりにしたった方がエエやろし、オマエどうする?ウチでオレの土下座でも見ていくか?マグレでも春秋受かったしな」
錦城がせせら笑うように咲良に声を掛けると、案の定咲良はガバッと顔を上げ真っ直ぐ錦城の眼を見た。
「撫子の好きな人がアンタじゃなくて良かったわ」
「オレの方がエエ男やのにな」
へへっと錦城がうそぶくと咲良は
「撫子にはあっちの片割れの方がお似合いなんやろ」
と何故か視線を逸らした。
「それよりも、や。アンタに言いたいことがある」
咲良はよいしょっと立ち上がった。
「土下座は要らん。正直な話アンタのお陰で春秋受かったようなモンやから……ありがとうな」
咲良の思いがけない言葉に錦城は大きく眼を見開いた。
「ただ、春秋に受かってもギリギリ滑り込んだみたいなモンや。成績なんか多分べった(最下位の意)から数えた方が早いやろ。だーかーらー アタシがちゃんと進級出来るように勉強を教えて貰いたいわけよ。アタシを春秋に入れたからには最後まで責任持って面倒見てくれんと」
相変わらずのエラそうな「お願い」だ。
「撫子のことやから自分からアンタの片割れに逢いにくるのはハードルが高いと思うねん、だからアタシが引っ張ってくる。アンタはアンタのアニキにちゃんと家に居れって連絡係してな。そんで撫子たちが逢い引きしてる間アンタはアタシに勉強教えたらエエねん。これでバッチリやろ」
錦城は得意気に胸を張る咲良に呆れた。そして確かにそれは悪くないなと思っている自分にはさらに呆れ、結局アハハハと声を上げて笑ったのだった。
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