第10話 羽木錦城 前編
【咲けばちる 咲かねば恋ひし 山桜 思ひ絶へせぬ 花のうへかな 中務】
(よし、やっと来たか……)
家の近くの公園でぼんやり夕暮れを眺めていた
(さっさと来たら良かったのに。何年かかっとんねん面倒くさいなあ、もう)
やれやれとため息をつきながらゆっくりと歩き出し家路に向かう。かなり前方に先ほどの二人連れが一列になって歩いて行くのが見えた。錦城はケータイを取り出す。
「もうすぐ着くぞ。ちゃんと家に居るか?」
電話の相手はまた熊のように家中をぐるぐると歩き回っているのだろう、少し息が弾んでいた。めちゃめちゃ緊張してんねやろな。その様子を思い浮かべて錦城はひとりニヤニヤした。
女の子達が立ち止まる。そこは錦城の家の前だった。チャイムを押す前にどうやら深呼吸をしているようだ。
(あんな昆虫オタクに会うぐらいでそない緊張するかぁ……)
錦城はどんどん近くなる女の子達の様子をじっと眺めながら歩みを進める。
(お、やっとピンポン押した)
女の子の一人、
そしてギィィィと鈍い音がして大きな木製の門が開いた時には錦城はもう女の子達の真後ろまで来ていた。
門から出て来たのは
「…あ、季節外れやからコオロギ鳴いてないねんけど……良い?」
やっと雅城が河原さんに声を掛けた。
「…うん。良いの。今日は
河原さんが照れながらもしっかり上手いこと言うている。
(アホくさ……何を見せられてんねん)
アニキの色恋沙汰などこの世で一番興味が無かったが、そうとも言ってられない事情があった錦城は、伝書鳩のように今日河原さんに兄からのラブレターを手渡した。
封をしていても絶対錦城が読むとわかっていたのか(そういうところが双子のやっかいなところだ)封もせず渡されたその手紙には、縦書きで和歌が書いてあった。
【草深み こほろぎさはに鳴く宿の 萩見に君はいつか来まさむ】
(かーっ!痒、痒いわーっ!なにカッコつけとんねん)
身内の、しかも双子の兄の小っ恥ずかしいロマンティシズムに錦城は全身にじんま疹が出そうだった。
けれどまあ、あの娘が相手ならそんな兄の恥ずい言動にも少しうなづける。そういうしっとりとした情緒の似合うタイプなのだ、河原撫子という女子は。
(さて、こっちの情緒のカケラもないプリティチェリーはどないしようか……)
錦城は門の中に消えていく兄と河原さんをあんぐりと大口開けて見ている
(流石にショックやったか……)
大山咲良は河原さんに恋に近い感情を抱いているようだ。この流れはかなり堪えただろう。でも咲良の場合は慰めるより怒らせるほうがすばやく復活すると錦城は経験上学んでいた。
「振られたな」
声を掛けるとハッと咲良が振り返り眼を丸くした。
「アンタ!え?なんで……あ!!分裂?!」
「ヒトをゾウリムシみたいに言うな」
相変わらず面白い。初めて会った日から錦城は咲良に笑わされてばかりだ。
「アレはアニキの雅城。オレ双子やねん」
はぁ、双子……。そうつぶやくと咲良は力が抜けたようにふにゃふにゃとその場にへたり込んだ。
「残念やけどオマエの撫子ちゃんとウチのアニキはエエ感じみたいやぞ」
わざと意地悪な口調で言うと
「そんなん、言われんでもわかってる。撫子の顔見たらわかるわ。あれは秋の撫子の顔やもん……」
ちょっと何を言っているのかわからなかったが咲良は泣き笑いのような顔でそうつぶやいた。
双子だからといって何もかもが同じなわけではない。
能力も性格も思考も。身近にわかりやすい比較対象がいるというのはあまり良いものではない。錦城はいつも雅城と比べてどこか少し劣っている自分を感じていた。
本物は雅城で、自分は雅城のバッタもん。幼い頃からどこかでそんな風に思ってきたのだ。
勉強も運動も性格も、錦城より雅城の方が少し良い。ほんの少しの差でも100点と95点は違う。優勝と準優勝は全然違う。なによりムカつくのはそんな風に錦城が劣等感でヒネクレた考えをしているのに対して、雅城は錦城のことなど全く意識せず大らかで健やかで自由なところだ。それが自分に対する余裕の現れのようでヒネクレ者の錦城はますますヒネクレてしまうのだ。
雅城は小さい頃から昆虫が大好きでヒマさえあればいつも図鑑を見ていた。旧家で古びた羽木家には大きな庭がある。雅城はそこで一日中虫を捕って遊んでいた。錦城はすぐに飽きて他の遊びに誘うのだが雅城は「もうちょっとだけ」と言いながらひとり庭にしゃがんでいた。その楽しそうな様子が錦城にはうらやましかった。
自分には夢中になれるものが何もない。将来の展望もない。自分の進路を早々と決め着実に前へ前へと確かな足取りで歩んで行く雅城を横目に、錦城は勝手に焦り苛立ち落ち込んだ。
高校進学も雅城よりレベルの低い高校へ行くのはイヤだと塾へ通い始めた。別に希望する学校や学科があったわけでもなく、ただの鼻くそみたいな自尊心から……そんなしょうもない自分にもイライラしていた。
大山咲良に出会ったのはそんな時だった。
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