第8話 大山咲良 前編

【我のみや あはれと思はむ きりぎりす鳴く 夕影の大和撫子  素性法師】


 

 初めて会ったその日から恋の花咲くこともある。

 

 大山おおやま咲良さくらは出会ったその日に河原かわら撫子なでしこに一目惚れした。それは友情や憧れというよりも、もはや恋に近い感覚であった。

 咲良は中学の入学式の朝、通学路にある神社にふと思いつきで手を合わせてから登校した。そのお陰で神様が撫子に会わせてくれたのだ。咲良はそう信じている。だからそれ以来毎朝必ず神社で手を合わせてから登校するようになった。


(神様ありがとう。アタシに撫子をくれて!)


 くれてやった覚えはないと神様も困惑しているに違いない。


 咲良は撫子のすべてに憧れている。

 その佇まい、仕草、言葉、表情、立ち居振る舞い、何をとっても撫子は完璧な咲良の理想の少女だった。

 なので撫子が「私も関西弁が話せるようになりたいな」などとつぶやいた時には大いに驚き、慌て取り乱した。


「アカンアカン!関西人、特に大阪近辺の人間はめちゃめちゃ心が狭くて自意識過剰やねん。怪しいイントネーションの関西弁なんか聞いたら馬鹿にしとんのかって激怒すんで!怖いでー 下手に話すと耳の穴から指突っ込んで奥歯ガタガタいわされんでっ!」


と大阪の人間を敵にまわしながら撫子に脅しをかけ大阪弁など習得せんで宜しい!と言い切った。

 だってだって……あの撫子が「でんがな、まんがな」言うなんて……ああ、考えただけでイヤァァァァ!!!と叫んで四つ足でぐるぐると走り回ってしまいそう……毎日毎日バリバリの関西弁を撫子に聞かせているくせに、咲良はひとり悶絶した。

 

 咲良は秋の撫子が特に好きだ。

 例えば下校途中の公園でおしゃべりしている時、気がつけば撫子はいつも眼を閉じている。心持ち顔を持ち上げて気持ちよさそうに風を受けているみたいに。


「聞こえる?」


 撫子がそっと咲良に尋ねる。


「何が?」


 撫子の邪魔をしないように小さな声で答えると


「勇敢なコオロギの自己主張」


とつぶやいて、ふっと微笑んだ。

 ちょっと何を言っているのかわからなかったが、やっぱり撫子は良い。眼を閉じて虫の主張に耳を傾ける撫子を、咲良はうっとりと眺める。

 秋の撫子はいつもの撫子よりもすこし寂しげで儚い。なのにどこか幸せそうで……何より堪らなく美しい。撫子の隣でそんな姿を眺めていられることが咲良には堪らなく幸せだった。


 咲良は撫子と同じ高校に行きたくて塾へ通い始めた。撫子は当然ながら勉強も出来る。撫子と同じ高校に進学するためには相当腹を据えて勉学に取り組む必要があった。

 気合いを入れすぎたのか、身の程を弁えなかったのか。塾の初日、咲良はまったく授業についていけなかった。講師の先生に質問しようにもどこがわからないのかがわからない。つまりまったく何が何だか理解出来なかったのだ。授業が終わっても立ち上がれず、うむむ……とうつむき苦悩する咲良。


「オレが勉強、教えたろか」


 突然頭の上から声が降ってきた。へっ?と見上げると見覚えのない男子が咲良を見下ろしていた。


「授業、ついて行かれへんかったんやろ?」


 大阪でいうところの「シュッとした感じ」の彼はそう言うと咲良の前の席に座った。


「授業中ずっと、ん? はぁ? へ? うぅぅ~んって……うるさぁてセンセエの話聞こえへんかったわ」

 

 シュッとした感じはそう言って笑った。シュッとしてるけどムカついた。


「それはエラいすんませんでしたなぁ。ご迷惑かけまして」


 ムスッとした顔のまま相手を睨み付けながら言葉だけは一応謝る。


「だから教えたってもエエて言うてまんねん、勉強を。これからも授業の邪魔されたらかないまへんよってに」


 わざとらしい大阪弁で小馬鹿にしたように言われ、もともと切れやすい咲良の堪忍袋の緒はぷっつんと弾け飛んだ。


「黙って聞いとったらなんや、えっらそうに!ほなやって貰おかっ、アンタがそこまで言えるぐらい賢いんか確かめたるわ。さっさと勉強教えてみんかい!アタシにもわかるように教えられへんかったら、世界中のカラスはみんな僕に向かって鳴いてますって認めてもらうからなっ!」


 こんな頼み方も珍しいと思うのだが、咲良は「勉強を教えてくれ」と盛大に啖呵を切った。

 シュッとした感じは一瞬呆気に取られたようにぽかんと口を開けたが、すぐにアハハハと笑い出した。

 何笑ろとんねん、とムカついた咲良だったがシュッとした感じの笑い声があまりにも楽しそうだったので文句の言葉は引っ込めた。


 それから塾の日は毎回、授業終わりに二人で自習室に立ち寄って勉強するようになった。

 シュッとした感じの名前は「羽木はぎ

 咲良とは別の中学の子だった。

 羽木は口が悪く、勉強を教えて貰う際の咲良は「アホ、ボケ、カス」と散々な言われようだったが教え方はなかなか上手い。けちょんけちょんにけなされて口惜しい気持ちがバネになったのか、咲良の成績は少しずつ伸び始めた。


「何で春秋高校行きたいん?」


 ある日羽木にそう聞かれた咲良は、


「友達が春秋受けるから、その子と高校でも一緒におりたくて。その子もアタシと一緒の高校行きたいって言うてくれたけど、アタシに合わせてレベル低いとこに行かせるて、そんなん絶対アカンやん。それにアホの子と一緒におるってその子が言われへんようにアタシもちょっとは賢くなりたい。もともとの頭の出来が違うからがんばってもムリかもしれんけど……その子に恥ずかしくない自分になりたいから」


と答えた。


「ふうん、友達ねぇ……友達の話ししてる様には見えへんけどな……」


 羽木がそうつぶやいた。


「え、なんで?」


「恋人とか好きな人のこと思い出してる顔してる」


 その言葉に咲良は少し赤くなった。

 そう、確かに咲良は撫子が好きだ。憧れ、恋していると言っても良い。でも、別に撫子の恋人になりたいとか撫子をどうこうしたいとかそんなんじゃない。

 ただ一緒にいたかった。楽しい時にはもっと撫子を笑わせたいし、辛い時には一緒にがんばろう、と励まし合っていきたい。そして悲しい時には何も出来なくてもただそばについていたいのだ。ただそれだけ。


「と、とにかく。その友達のそばに居たいねん。だからどうしても春秋に行きたい」


「あっそう。そばに居たい、か……でもなぁ、お前今のままやったら春秋、絶対無理やぞ」


「そんなん……やってみなわからんやん……」


「いいや!わかる。オレには合格発表の張り出し掲示版の前に崩れ落ちるお前が見えている」


「はぁ?このエセ占い師!よっしゃ、賭けよか。アタシが見事春秋に受かったら何してくれる?アタシは絶対諦めへんで」


 羽木はそんな咲良を見て少し顔をしかめたが、すぐに気を取り直した様にニヤっと笑いながら答えた。


「よし。じゃあ土下座したるわ。咲良さまは馬でも鹿でもありません、男をイチコロにする錯乱呆さくらんぼうですって」


「絶対やで!約束したからな!……って何?さくらんぼ?まあエエわ。よしっ!そうと決まれば勉強や、やったるでー!あ、ちゃんと教えてよ?!土下座がイヤで嘘教えんの無しやでっ」


 またしてもえらそうにお願い事をする咲良の言葉に、羽木はへえへえとうなづいたあと、やっぱりアハハハと笑った。

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