第6話 河原撫子 後編

 それからの撫子は少しずつクラスのみんなに話しかけるようになった。笑われてもいい、話してみよう。わからない言葉があればどういう意味なのかちゃんと相手に尋ねよう。コオロギだって必死でがんばっているのだ、撫子だって逃げてばかりはいられない。


 そうして徐々に笑顔になれるようになった。

 羽木くんともっと話をしたかったが、がんばっても挨拶をするぐらいの勇気しか出なかった。それでもたまに眼が合えば羽木くんはいつも笑ってくれる。撫子はそれだけで充分幸せな気持ちになれた。

 

 小学校の卒業式の日。撫子は羽木くんにどうしてもお礼が言いたくて勇気を振り絞って声を掛けた。


「羽木くんのお陰で友達も作れたし、学校も楽しくなった。コオロギの話を聞かせてくれてありがとう」


 少し説明不足だしうつむき加減ではあったが、何とかそれだけは伝えられた。羽木くんは右手を差し出した。


「握手して」


 撫子はさらに頬が火照るのを感じながら羽木くんの手をそっと握った。


「ウチの庭、草ぼうぼうで秋になったらめっちゃコオロギ鳴くねん。いつか秋になったら聴きに来て」


 羽木くんは笑顔でそう言うと撫子の手をぎゅっと握った。


 羽木くんとは別の中学校だったのでそれっきり会っていない。でも羽木くんと一緒にコオロギの音を聴いたあの日から撫子は変わった。もちろん社交的で快活なとまではいかないが、前よりも明るくなったし中学では親友と呼べる友達も出来た。全部羽木くんのお陰だ。

 今でも秋になり虫の奏でる音が聞こえると眼を閉じてみる。そうするとあの日の羽木くんの声が笑顔がいつでも浮かんでくるのだった。

 


「撫子、どこの高校行くん?」


 昼休み、パンの袋を開けながら親友の大山おおやま咲良さくらが撫子に尋ねた。


「春秋高校を受けようと思ってるけど」


「春秋かぁ~ アタシ結構キツいなあ……」


 咲良はパンに齧りついた。


「違う高校にしようか?咲良と同じとこに行きたいし」


 撫子がそう聞くと


「いや!アタシに合わせてレベル下げる必要ないって。アタシががんばったらエエだけのことやもん」


 咲良はまだパンでいっぱいの口をもぐもぐさせながら首を横に振って答える。


「もう塾も申し込んでんねん。撫子と一緒の高校行きたいから」


 咲良はそう言うと勢いよく牛乳瓶を掴み一気に飲み干して気合を入れた。


「おっしゃ!がんばりまっせー」


大山咲良は中学に入って一番初めに仲良くなった撫子の親友だ。撫子は咲良の元気で物怖じしないところに憧れている。誰にでも自分の意見をハッキリ言えるし真っ直ぐで裏表もなく明るくて面白くて本当に魅力的な女の子だった。

 一度そんな咲良がうらやましくて、「私も咲良みたいになりたいな」と撫子がつぶやくと、


「アカンっ!撫子はそのまんまが良い。そのまんまの撫子が最高やねん。アタシみたなガサツでやかましい「おっさん女」になるなんてもってのほかや!二度と言うたらアカンっ」


と叱られた。大好きな咲良にそんな風に言ってもらえて本当にうれしくて涙が出そうになった。


「ありがとう」


 少し涙声になってしまったが、必死に笑顔を作ってそう言うと、


「はぁ……やっぱり良いなあ……撫子は」


とうっとりした顔で言うので本当に笑ってしまった。咲良と同じ高校に行けるのなら別に春秋高校でなくても良かった。でも、もしかすると……という期待がどうしても捨て切れない。

 春秋高校は羽木くんの家から一番近いところにある高校だ。ひょっとすると羽木くんも春秋高校に行くかも知れない。春秋高校受験を決めたのはそんな不順な動機だったのに気合いを入れている咲良を見ると何だかとても申し訳なくなる。

 秋が来るたびに羽木くんの「いつか秋になったら聴きに来て」という卒業式の日のあの言葉を思い出してしまう。

 

(咲良なら今すぐにでも訪ねて行くだろうな)


 そう思うと意気地なしの自分が哀しくなる。咲良は、撫子は撫子のままで良いと言ってくれたが、やっぱり撫子は咲良のようになりたいし咲良に憧れてしまうのだった。


 中学3年生の秋も過ぎた。

 近頃の咲良は毎日のように塾に通い、休み時間でも必死で勉強をしている。


「塾にめっちゃ嫌なヤツがおってさぁ。「お前なんかに春秋は絶対ムリ」やってー ムカつくー。もし受かったら土下座したるとまで言うねんで、腹立つやろ?!こうなったらやってもらうし、土下座。もう絶対、意地でも受かったる!」


 咲良は最近その「塾の嫌なヤツ」の話ばかりだ。実はその子は咲良のことが好きなのではないかと撫子は睨んでいるのだが。そしてもしかすると咲良の方も……いや、こんなことを言えば咲良は激怒するだろう。でも本当のところは……? 

 撫子は咲良に見えない様こっそり微笑んだ。


 そうして春がやって来た。

 撫子も咲良も見事合格し、今日は春秋高校の入学式だ。

 咲良と同じクラスだとわかって二人できゃーきゃーと歓声を上げて抱き合った。幸先が良い。素敵な高校生活が始まる予感に撫子はときめいていた。

 咲良とともに入学式の体育館から教室へと向かう。教室に入るなり、隣の咲良が驚いた声を出した。


「えっ!なんで……なんでアイツがここにおんの?!」


 咲良のその目線の先を辿る。


(え、うそ……いや、違う……でも、もしかしたら……)


 思わず撫子は駆け出していた。


「羽木くんっ!」

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