第4話 井登侑希 後編

 信濃さんは時代物が好きなのかもしれない。それを知ってからの侑希は毎日そわそわしっぱなしだった。何か話しかけたいが何と言えば良いのか。


「もしかして時代物とか好きなん?」


などと尋ねて「なんでそんなこと知ってんの?」となれば、こっそり信濃さんの机を弄ったことがバレてしまうのではないか……罪悪感が侑希を神経質にしていた。

 そんな時、隣の席の信濃さんのところに、別のクラスの女の子が「いつも代わってもらってごめんなー」と言いながら手作りクッキーらしきものを持って来た。信濃さんは「全然。好きでやってるだけやからー」などと笑顔を見せている。

 信濃さんはいつも授業が終わると一目散に教室を出て行く。家に帰っているのだと思っていたが、どうやら放課後は毎日のように図書室で貸し出し係をしているらしいということが二人のやりとりでわかった。


(図書室か……) 


 侑希はその日入学してから初めて春秋高校の図書室を訪れた。


(あ、やっぱり……)


 信濃さんは貸し出しカウンターで本を読んでいた。

 侑希は考える。これは自分も時代物が好きだとアピールするチャンスなのではないか。時代小説を借りればもしかして信濃さんが反応してくれるかもしれない。よしっ。それやっ!

 

(忍法帖とか読んでるってことは忍者もんが好きなんかな?いっそ忍法帖ってタイトルについてるヤツ借りるか?!でもそれやと見え見えすぎるよなぁ……う~ん……)


 悩み抜いた末、観たことのある時代劇の原作を借りることにした。本棚には以外と侑希が知っているタイトルが並んでいたからだ。好きな時代劇を小説で読んでみるのも面白そうだと思った。

 ようやく2冊までに厳選しカウンターへと向かう。頻繁に図書室へ来るためには何冊も借りるわけにはいかない。出来るだけ刻んでちょこちょこ顔を出してちょっとでも信濃さんに近づきたいのだ。

 

 読書に夢中の信濃さんに恐る恐る声を掛ける。

 信濃さんは顔を上げると驚いたように侑希をまじまじと見つめてきた。


「えっと……借りてもいいかな……」


 見つめられてドキドキする。信濃さんは、ハッと我に返ったようにそそくさと侑希が差し出した貸し出しカードと本を確認し始めた次の瞬間、彼女の動きが止まった。


(……ん?)


 うつむいているためわかりづらいが信濃さんが微笑んでいるような気がする。いきなり信濃さんがガバッと顔を上げた。さっきよりも食い入るようにこちらを見てくる。


(な、何なに……なんか嬉しそうに見えんねんけど……)


 気のせいか目がキラキラと輝いている気がする。希望的観測なのか?!


「……じゃあ、借りてっていいかな……」


 何だかよくわからないがこれ以上信濃さんに見つめられると色々ボロが出そうで侑希はとにかくこの場を去ろうと呟いた。

 

「う、うん」


 信濃さんの顔が見れない。

 侑希は逃げるようにその場を立ち去った。


 距離が近づいたわけではないがともかく会話らしきものは出来た。信濃さんの心中は計り知れないが嫌悪感を持たれたようには思えなかった。むしろ喜んでいたような気さえする。

 

(都合の良いように考えてまうもんやねんな……)


 恋などしたことはない侑希であったが、恋心とは自分勝手なものなのだと初めて実感した。

 

 それからもせっせと図書室へ通う日々は続いた。もちろん目当ては信濃さんだったが侑希はだんだん本を読むのが楽しくなっていた。不思議なことにドラマや映画の映像で観るよりも、小説の方がよりその時代の風景がくっきりと脳裏に浮かび上がってくるような気がするのだ。

 江戸の町、人々の暮らしぶり、食べているもの、着ているもの、髪形、住まい、仕事。すべてが鮮やかに思い描かれる。目で見るよりも文章で読む方が心にしっくりと入ってくるのが本当に不思議だった。


(時代小説って面白いなぁ……)


 侑希はいつのまにか時代小説を心から楽しむようになっていた。

 

 そんなある日。

 とうとう信濃さんが声を掛けてくれたのだ。そして気づけば時代劇のDVDを貸す約束まで交わしているではないか。

 侑希には何が起こっているのか良くわからず、夢を見ているような気分だった。


(おすすめって何にしよう……)


 ほわほわと信濃さんとのやりとりを思い出してはうっとりしていた侑希だったが、ようやく現実的なことを思案するまでに覚醒して来た。

(おぼろ忍法帖……)


 こっそり盗み見た信濃さんの文庫本のタイトルだ。侑希はGoogleで検索してみた。


(魔界転生……魔界転生かっ!)


「おぼろ忍法帖」は1967年に刊行され、その後「忍法魔界転生」1981年に「魔界転生」と映画のタイトルに合わせて改題されていた。 

 侑希は映画「魔界転生」が好きだった。というか千葉真一演じる「柳生十兵衛」のファンなのだ。「柳生一族の陰謀」や「柳生十兵衛あばれ旅」は繰り返し何度も観ている。当然侑希が持っているのは千葉真一と沢田研二が出ている1981年に映画化された「魔界転生」だ。2003年にもリメイクされているが「おすすめ」といわれれば当然千葉真一になる。


(コレ持って行って、それで信濃さんにちゃんと謝ろう……)


 勝手に信濃さんの本を見てしまったことを謝るためにも「魔界転生」のDVDを持って行こうと決めた。本当は信濃さんが百面相をしながら読んでいたその本こそ読んで見たかった。でも後ろめたくて「おぼろ忍法帖」を借りることが出来ずにいたのだ。

 今後本当に信濃さんと親しくなりたいのならちゃんと謝っておくべきだ……侑希は「魔界転生」のDVDをカバンに入れながら覚悟を決めた。

 

 次の日の放課後。

 春秋高校の図書室の貸し出しカウンターに差し出された「おぼろ忍法帖 上中下」の3冊と「魔界転生」のDVDを見た信濃さんの百面相がどれほど見事なものだったのか……。

 

 それは井登侑希だけが知っている。

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