第3話 井登侑希 前編

【きみならで たれにか見せむ 梅の花 色をも香をも 知る人ぞ知る 紀友則】



 今日も隣の席の信濃さんの百面相タイムが始まった。井登いと侑希すすきはチラチラと横目で信濃さんの様子を窺う。


(あ、笑った!と思ったら眉間にしわが……え、泣いてる?……いやまた笑った……)


 信濃さんを見ながらつられて自分も百面相していることに侑希は気づいていない。

 

 春秋高校に入学してまだ一月ひとつきと経っていないのに、侑希は隣の席に座っている信濃さんが気になって気になって仕方がなかった。 

 まずクラス全員が自己紹介したときに聞いた「小梅」という名前が気に入った。それからその見た目も。

 そうやなぁ……役どころならお城のお姫様とか武家の娘とかじゃなくて……町娘かな。こぢんまりとした小さな鼻はちょっと上向き加減、大きな目はくりくりと表情豊かで笑顔が愛くるしい小町娘、うん良い感じかも。んで黄八丈の着物に赤い珠簪挿して父親と一緒に江戸の一膳飯屋で働いているお店の看板娘ってとこかな。いっつも常連客にからかわれてて「もうっ!嫌なハっつぁん」ってふくれたりすんねん。そうそうそんな感じ。

 侑希は妄想しながらにやにやしている自分に気づいて慌てて表情かおを引き締めた。

 

 侑希は時代劇が大好きだ。共働きの両親に代わって幼い頃面倒を見てくれた祖父と一緒に戦隊モノやアニメではなく時代劇ばかりを見て育った。二世帯住宅で同居していた祖父たちの居間のテレビには一日中「時代劇専門チャンネル」が映っていた。

 おもちゃで遊ぶでもなく公園に行くでもなく、ただ祖父と一緒に時代劇を見続けていた幼少期。侑希はそれがとても楽しかった。

 特に感想を言い合うわけでもなく黙々とテレビを観るだけだったが、変な一体感があった。たまに祖父がコレとコレどっち観る?と訊き「コッチ」と侑希が答える。ん、とうなづいて祖父がチャンネルを変える。そして男ふたりで黙ってテレビに集中する。


「たまには外に遊びに行こか?」


と祖母が優しく声を掛けてくれたりしたが、侑希は


「行かへん。もうすぐ やぶれがさとうしゅう(破れ傘刀舟)始まるから……」


などとそっけなく答えるばかりだったので、そのうち祖母も外へ連れ出したりおもちゃやゲームで遊ばせることを諦めたようだった。


 かくして侑希は高校生になった今も、日曜日でも友達と遊びに行くでもなく、女の子とデートするでもなく、じいちゃんと共に朝から晩まで時代劇鑑賞に明け暮れている。

 そんな侑希が初めて気になった女の子、それが信濃さんだった。

 入学して最初の席決めのとき信濃さんの隣の席を引き当てた自分を抱きしめてやりたいし、胸ぐらを掴んでもやりたい。

 何故ならどう自制してもついつい隣の信濃さんの様子を盗み見てしまうからだ。無意識にチラチラと窺ってしまう。そのうち気味悪がられて嫌われてしまうのではないかと毎日気が気ではない。

 ただ幸いなことに信濃さんはいつも読書に夢中だった。授業中以外のわずかな休み時間でもひたすら本を読んでいる。なので盗み見する侑希に気づかないようだ。それを良いことに侑希はそんな信濃さんの百面相を今日も楽しんでいるところである。

 

(あんなに夢中になるぐらい面白い本って何やろう。気になるー)


 信濃さんとの会話と言えば朝の「おはよう」ぐらいしか交わしたことのない侑希であったが(それは会話ではなく挨拶だ)ここはひとつ勇気を出して信濃さんに話しかけてみようと決めた。


「何読んでんの?」


 信濃さんはそれが自分への問いかけと気づくまでに少し時間が掛かった。そしてゆっくり侑季の方を向いたその顔はものすごく怯えて見えた。


「いや、あの…信濃さんていっつも本読んでるから。どんなん読んでんのかなぁって思って……」


 信濃さんを怯えさせたことに焦って言い訳がましく言葉が勝手にこぼれる。


「…えっと…あの…歴史物……みたい…な?……」


 信濃さんが顔を背けうつむきながら途切れ途切れに答える。


(アカン……思ってたより内気な子やった。怖がらせてもうたかな……どうしよう。ここは明るく流しとくか?)


「すげー 賢いんやなぁ」


 陽気な調子でそう言うとうつむいている信濃さんの肩がピクッと動いた。一瞬上目遣いでこちらを見上げた顔が少し怒っているように見えたが、信濃さんはまたすぐに下を向いてしまった。


(怒らせた?なんで……?!)


「……全然…そんなこと……」


 うつむいている信濃さんの顔がどんどん赤くなる。やっぱり怒らせたんや……読書の邪魔したからか?!どないしよう……


「あ、ごめんごめん。もう邪魔せえへんから続き読んで」


 要らんこと言うんじゃなかったと激しく後悔しながら侑希は逃げるように席を離れた。

 それ以来恐ろしくて信濃さんに話しかけることが出来ない。でも信濃さんのことが気になる、さあどうする、侑希。


 そんなある日の体育の時間。

 着替えのため教室には男子しかいなかった。何気なくちらっと見た信濃さんの机からブックカバーの先っちょが覗いていた。


(やめろ。それはアカン、絶対アカンっ!好きな子のリコーダーを勝手に咥えるのと大差ない行為やぞっ)


 しかし侑希の良心の叫びは欲望にかき消され、とうとう侑希はそろりと信濃さんの机の中に手を差し込んで、取り出した文庫本のタイトルを確認してしまった。


「おぼろ忍法帖 中」山田風太郎


(忍法帖?え?信濃さんって……)


「井登ーっ!行かへんのかー」


 友達の声にハッと我に返った侑希は慌てて本を信濃さんの机の中に戻すと、


「おう、行く行く」


とその場から走り去った。


(時代小説……時代劇……)


 その日の体育で侑希は3回も転んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る