第2話 信濃小梅 後編

 そして春。

 小梅は受験生としての責務を全うし晴れて春秋高校の1年生となった。

 入学してまず挑んだのは図書委員に立候補することだった。

 図書委員になれば人目に付かず山田風太郎センセイの本を借りることが出来る。高校に入学してもなお、家で風太郎センセイの作品を読んでいるとあまりいい顔をしない父の手前、時間の許す限り学校で本を読んでいたい。父には部活動だと嘘を吐き図書室に入り浸ることにした。

 図書委員になった小梅は放課後になると毎日のように本の貸し出し係として図書室に陣取った。申し出れば他の図書委員たちは皆喜んで貸し出し当番を変わってくれたからだ。

 夕方下校のチャイムがなるまで図書室の貸し出しカウンターで忍法帖を読み続けた。母の言ったとおり春秋高校は風太郎ファンにとっての天国はらいそだった。


 そんなある日の図書室で、相変わらず黙々と読書に耽る小梅に遠慮がちに声を掛ける者があった。


「……あの……貸し出しお願いします……」


 本を借りに来る生徒などほとんどいない図書室で、めずらしく2冊の図書が小梅の目の前に差し出されていた。目線を上げると、


(あ、この人……)


 それは小梅と同じクラス、更には隣の席の男子だった。そう、あの「何読んでんの?」の彼だ。


(本好きやったんや……)


 あの時の「何読んでんの?」も純粋に興味があってのことだったのかも知れないと思うと小梅は何やら申し訳ない気持ちになった。


「えっと……借りてもいいかな……」


 動きが止まってしまった小梅に「何読んでんの?」の彼がおずおずと声を掛けてきた。


「あ、ごめんなさい。大丈夫です、ちょっと待って下さい」


 慌てて貸し出しカードと本のタイトルを確認する。


(えっと……

「御家人斬九郎」柴田錬三郎。え、斬九郎めっちゃ好きなんですけど。「半七捕物帳」岡本綺堂。シブっ!岡本綺堂好きや~ 何なに?!この人なにぃ~♡)


 思わず相手の顔をまじまじと見つめてしまう。

「何読んでんの?」の彼は少し赤くなって目を逸らした。


「……じゃあ、借りてっていいかな……」


「う、うん」


 何故かお互い真っ赤になりながら視線を合わせないまま会話は終了した。

 小梅は手にした貸し出しカードを眺める。


井登いと侑希すすき……くん……)


 彼も時代小説が好きなのだろうか。もしかして同士?!

 小梅はなんだか胸がドキドキした。


 それから井登くんはしょっちゅう図書室へ来るようになった。借りていくのはいつも時代小説だ。

 小梅は声を掛けたくてうずうずしていた。彼なら山田風太郎センセイの作品を印象だけでエロいとかグロいとかいうんじゃなく、ちゃんと読んで楽しんでくれるんじゃないだろうか。もしかしたら風太郎大好き仲間になってくれるかも知れない……


(おすすめしてみようか……)


 でも……もし読んだ上でこういう作品が好きなのかと幻滅されたりしたら……いや。幻滅するならすればいい。風太郎センセイを好きなことは全然恥ずかしいことじゃない。むしろこの面白さがわからんような奴とは友達にもなれないだろう。そうや!風太郎センセイは最高やもん!

 でも……確かに清純な女子高生はこういう小説を好まないのかも。【忍法穴ひらき】とか【忍法肉鞘】とか死ぬまで読むことも聞くこともない人だっているしそっちの方が多いのかも……ヤバい奴と思われるかな、井登くんに……

 でも……風太郎センセイを知らない頃に戻れるのか自分。センセイを知らないことが清純な女子高生なら、清純など要らぬ。私は【忍法やどかり】で爆笑するヤバめの女子高生で充分幸せなのだ!

 でも……もし風太郎センセイ大好き仲間になれたら……もっと幸せやろうな……


 小梅の脳内は毎日「でも」の嵐だった。


「今日はコレ、お願いします……」

 

 その日の井登くんが持ってきた本。


(こ、これは!)


 それは「眠狂四郎無頼控」柴田錬三郎の第1巻。


「眠狂四郎無頼控」は全部で6巻ある(シリーズはそれ以外にもあるのだが)もし井登くんが「眠狂四郎無頼控」を6冊とも全部借りたなら、山田風太郎センセイをおすすめしてみようと小梅は決めた。

 何故なら眠狂四郎シリーズもちょっとエッチだからだ。もちろん風太郎センセイの奇抜なエロティシズムに比べれば、エッチなどといってはいけない。むしろ色っぽいというべきか……でもでも。眠狂四郎を楽しめる人ならば風太郎センセイの作品もきっと楽しんでくれるはず。きっとそうに違いない。そうあってくれ……小梅は祈るように両手を組んだ。


 果たしてそれから何週間かののち

 井登くんは眠狂四郎無頼控を全巻読破した。今日は「眠狂四郎独歩行」前後編の2冊を貸し出しカウンターに持ってきた。


(よし、言うぞ。言うんだ小梅!)


「い、井登くんって時代小説好きなんやな……」


 勇気を振り絞って話しかける。


「え、あ、うん……いや。実は読み始めたの最近やねん」


 意外な返事が返ってきた。


「ああ…そうなんや……」


「で、でも、時代劇は大好きやねん。俺じいちゃん子で小っちゃい頃からじいちゃんと一緒にスカパーの時代劇チャンネルばっかり見てて……んでドラマとか映画で見たことある作品の原作読んでみようかなって最近読み始めてん……」


(そうやったんや……確かに「御家人斬九郎」とか「眠狂四郎」とかテレビでやってたもんなぁ……)


「半七捕物帳は伝七捕物帳と間違えて借りてもうたけど……面白かったわ」


「そうやろ?面白いよなぁ。アタシ岡本綺堂大好きやねんっ!」


 あっ……と思ったときにはもう遅く、小梅は思わずそう叫んでいた。


「うん。ちょっと怖い話とかもあって面白いよな」


 井登くんはにこにこしながらうなづいている。


「それで、あのさぁ…信濃さん。もしかして時代小説だけじゃなくて時代劇とかも好き?」


 井登くんがちょっと緊張したように小梅にそう尋ねた。


「うん。あんまり詳しくはないけど。あ、御家人斬九郎は観たよ。原作がすごい好きやったから。眠狂四郎もスペシャルかなんかでやってたやつ観たことある。私、眠狂四郎もめっちゃ好きやから……」


「そうなんやっ!そうかぁ……柴田錬三郎やったら「岡っ引き、どぶ」とかは?」


「ドラマは観たことないけど本は読んだよ。アレも面白かった!」


「ホンマに!そっかぁ……なんかうれしいわ」


 井登くんはそう言って本当にうれしそうな顔をした。

 小梅は思う。井登くんも自分と同じなのだと。なかなか同士が見つからないのだ。この世には時代劇好きの高校生だってたくさんいるだろうがあまり一般的ではない。話がしたくても盛り上がれるほどしゃべれる人が身近にいないんじゃないだろうか。


(いや、いる。ここにこの私が!)


「もしよかったら何かおすすめの時代劇教えて」


 小梅の言葉に井登くんは、えっ!と声を出して小梅を見つめた。


「えっ、あっ、じゃああの……今度DVD持ってくるわ」


「うん。楽しみにしてる」


 先ずは井登くんのおすすめを受け入れよう。そして仲良くなったら風太郎センセイを紹介すれば良い。井登くんもセンセイの奇想天外ミラクルワールドの虜になってくれるに違いない。この人ならきっと、いや絶対に。


(ついでに私の虜にも……それは都合が良すぎるか……)


 小梅はこんな時こそ忍法が使えたらいいのに……と心の中でチッと舌打ちした。

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