春花秋草

大和成生

第1話 信濃小梅 前編

【あたら夜の 月と花とを おなじくは あはれ知られむ 人に見せばや 源信明】



「何読んでんの?」

 

 信濃しなの小梅こうめは恐る恐る顔を上げた。隣の席の男の子がこちらを見ている。


「いや、あの…信濃さんていっつも本読んでるから。どんなん読んでんのかなぁって思って……」


「…えっと…あの…歴史物……みたい…な?……」


 えー、男の子とあんまり話したことないのに……どうしたらいいの……みたいに見えるよう、小梅はもじもじと恥ずかしがっている振りをしながら顔を背けてうつむく。


「すげー 賢いんやなぁ」


(別に賢くはないやろ……)

 

 読書は字さえ読めれば誰でも出来る、学力はもちろんそのほかの何の能力も必要ないものなのに……と小梅は少しムカついた。

 

 例えばゲームなら先に進むためにはテクニックもいるだろうし、レベル上げなどの努力も必要だろう。でも読書にはそんなものはいらない。ただ読み進めるだけでどんどん展開してくれる。

 読書とは、どこかの誰かが必死で考えたり調べたり創作したりしながらようやく発見発掘または生み出した宝物を、労せずただただ掠め取るだけの行為だ。その宝物を自分の糧として活用し何事かを成し遂げてこそ初めて「賢い」と言えるのだと思う。まだ何事も成していない、ただひたすらにその恩恵を受けて楽しんでいるだけの自分のような者を「賢い」とは思わない。読書好きを「賢い」と決めつける人が多いのは何故なのか。アホかって本読むわい、読ませてくれよと小梅は思った。


「……全然…そんなこと……」


 心中ではもやもやと不満を溜めながらも、そんなそぶりは見せぬよう語尾はもにょもにょとごまかして更に深くうつむいた。


(顔よ赤くなれ……忍法茹で蛸)


 小梅は必死で息を止め息んでみた。


「あ、ごめんごめん。もう邪魔せえへんから続き読んで」


(良かった。なんとか誤魔化せたか……助かった)

 

 何を読んでいるのか答えるわけにはいかない。特に親しくもない、ましてや男子になんて、もう二度と……小梅はいつの間にか胸に抱え込んでいた文庫本をぎゅっと握りしめた。


 

 小梅は幼い頃から本が好きだった。小学校の高学年になる頃には図書館の児童書コーナーの本ではなく大人が借りる本を読むようになったし、家の本棚にあった本も片っ端から読んだ。今思えば本当に理解して読んでいたのか怪しいものだが、大人の本を読むことで少し大人になった気分を味わっていたのだろう。 

 家の本棚には母親が好きだった平岩弓枝の「御宿かわせみ」や宇江佐真理の「髪結い伊三次」、北原亞以子の「慶次郎縁側日記」などの時代小説のシリーズがずらりと並んでいた。その影響もあってか小梅は時代小説が大好きで、図書館で借りてひたすら読みまくった。吉川英治、司馬遼太郎、山本周五郎、池波正太郎、柴田錬三郎、藤沢周平などなど。

 そしてそして、ついに運命の出逢いを果たしたのだ。


 それは小梅がもうすぐ中学3年生になろうという春休みの図書館でのこと。何気なく手に取ったのは山田風太郎の忍法帖シリーズのうちの一冊だった。オリジナリティ溢れるその作風は小梅が今まで読んできた、どの時代小説とも違っていた。時代小説なのにカタカナが出て来たり(ピチピチと美しいとか)漢字を使うはずの箇所が不思議な形容(ぶッさき羽織とか)になっていたり。しかもトンデモ設定の嵐なのだ。

 関西人である小梅は笑ったり呆れたり「んなわけあるかいっ!」と声に出して突っ込んだりで、気がつけば奇想天外な山田風太郎ワールドの虜になっていたのだった。こんな面白い物があったのかと驚き、感動に打ち震え、寝食を忘れて風太郎作品に没頭した。学校でも授業中以外はひたすら本を読み続けた。


「それさぁ、そんなにオモロいん?タイトル何ー?」

 

 そんなある日の昼休み。クラスの男子が読書中の小梅に向かって声をかけてきた。


「くノ一忍法帖」


 本に集中していた小梅はそっけなく端的に答えた。


「くノ一?!」


 その男子が大声で叫んだため、他の男子も小梅の近くに集まってきた。


「なに読んでるって?」

「くノ一なんとかやって」

「それってエロいやつちゃうん?」

「マジで?」

「何かDVDで見たことある」

「お前がエロいやん」

「ええやんけ、別に」

「え、でもなんで女子がそんなん読んでんの?」

「信濃って……そういう……!?」

 わちゃわちゃわちゃわちゃ………


 周りが自分のことで大騒ぎしている中、小梅はひたすら本に没頭し何も耳に入っていなかった。

 しかしその日から小梅のあだ名は「くノ一」になった。机にいやらしい本を入れられたり、廊下を歩いていると知らない男子から卑猥な言葉を掛けられたり、家に変な電話が掛かってきたりする日々が続き、とうとう事態を知った中学校の担任の先生から小梅の両親に連絡が入った。


「本を読むのが悪いとは言わん。でもこのテの本はお前の歳の女の子が読むにはちょっと早すぎる内容やと思うんや」

 父親の言葉に、小梅は唇を噛みしめた。

 

 早すぎるって……じゃあいつになったら良いの?

【忍法筒涸らし(性交渉中にかけられると男性は死ぬまで射精をし続け、結果干からびたのちはかけた相手に傀儡として使われてしまうというくノ一の忍法)】が使えるようになったら?

【忍法天女貝(女陰で男根をくわえ込み締め上げる技。かけている本人が死んでも緩むことはなく、逃れるには男根を切り落とすしかないのだ)】を習得したら?

 

 唇を噛んでないとうっかりこんなことを口走りそうだったからだ。


「好きなことするんはエエ。でもやらなアカンことをおろそかにしてやりたいことばっかりやるんは違うやろ。義務を果たしてこそ権利を主張出来るんや。子供に教育を受けさせるのが親の義務、教育を受けるのは子供の権利でもあり義務でもある。先ずはちゃんと勉強すんのが義務教育中のお前の務めや」


(確かに。本ばっかり読んで全然勉強してなかったなぁ、来年は受験やのに……)


 父の言葉に少し反省した小梅は、受験が終わるまでは忍法帖は読まないと約束した。受験が終わっても読んで欲しくはなさそうな父の本音には気づかないふりをしておいた。

 確かに忍法帖、なかでも特に「くノ一忍法帖」は中学生には少し刺激が強すぎる内容だったかも知れない、それは小梅とて思っている。だけどどうしようもない。だって面白いねんもん、しゃあないやん。

 でも今はしばしお別れするしかなさそうだ。高校生になったら思う存分貪ってやる、じらせばじらすほど欲望は高まるのだから。それを楽しみに受験勉強に励むとしよう。今は耐えろ、耐え忍んでこそ一人前のくノ一だ。

 くノ一では全くないのだが……。

 

 そしてその翌日。


「お母さんの母校の春秋高校の図書室にはOBから寄贈された山田風太郎の本が山ほどあったで。毎日図書室通ってそこにあったやつ全部読んだなぁ……めちゃめちゃ面白かったわ」


 こっそり小梅の部屋へ来てニヤリと笑う母の言葉に、小梅は春秋高校受験を即座に決意したのだった。

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