初恋

 あれから何度かIKEAに行く機会があったけれども、ブローハイ(※あのサメのぬいぐるみの正式名称)にはときめかなかった。父親はボクがブローハイを欲しがったことを覚えてくれていたので「おい、サメ、いらんのか?」と、積み上がったブローハイの前を通るたびに聞いてくる。


「いらない……」

「そうか」


 あの日、あの時、この場所で出会ったあのブローハイがほしかった。ぬいぐるみは、すべて同じ顔をしているわけではない。一卵性双生児の細かいパーツが異なるように、ぬいぐるみもまた一体ずつに個性がある。同じものは存在しない。


 やがて大学生になったボクは、周りに流されるようにして、講義室で隣の席になった女の子と付き合い始める。ボクがIKEAの話をしたら「家にあるよ、サメのぬいぐるみ!」と乗ってきてくれた女の子だった。


「ブローハイ?」

「って言うの?」


 話を聞けば、彼女もボクと同じく家族に連れられてIKEAに行き、ブローハイに出会ったらしい。彼女がボクと違うのは、彼女はブローハイを買ってもらえたこと。ボクは買ってもらえなかった。ホットドッグ三個でごまかされるべきではなく、泣いてあの床を転げ回ってでも買ってもらわなければならなかったんだ。だから、ボクはずっと後悔している。


 もし、あの時ではなく、今のボクがあのブローハイと出会っていたならば、自分のおこづかいで買っていただろうに。タイミングが悪い。


「そんなに好きなら、うちのブローハイを見に来る?」


 遠回しに誘われて、その日の夕方には彼女とふたりで彼女が一人暮らしをしている部屋へと向かっていた。サメのぬいぐるみがおうちデートの口実になることもあるようだ。


「あっ」


 そしてボクはに再会した。まぎれもなく、ボクの心を奪っていったブローハイだ。見間違うはずもない。なぜなら夢に何度も出てきたから。


 両手に握っていたレジ袋を落として、靴も脱がずにボクは部屋に上がっていく。


「ああ!」


 自分の持ち物であるかのように抱きしめた(彼女のものだ)。ハミングの香りがする。彼女はぬいぐるみを洗うほうの人らしい。世の中には、買ったらそれっきり、飾っておいて洗わない人だっている。


「ど、どしたん、急に」


 普段はこれでもクールで知的で冷静なメガネキャラで通しているボクだから、彼女にはとても驚かれたようだ。運命的な出会いをした相手に再会できて、おとなしいキャラのままではいられない。


「ありがとう……」

「?」

「ありがとう!」

「???」


 今はそれしか思い浮かばなかった。ありとあらゆる偶然に、ボクは感謝している。このブローハイとまた出会えたことや模試では判定ギリギリだったこの大学に合格できたこと、彼女と知り合えたこと。


 彼女と付き合っていれば、またこのブローハイに会える。

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